2012年10月5日金曜日


日韓関係の改善のために(46)「首都漢城を制圧した清国軍の暴状(20121005)

 30年後に日本国内の原子力発電所をゼロにするという願望のような目標は、国家として大変馬鹿げた目標である。エネルギー源を化石燃料に非常に多く依存している現状において、化石燃料をいつまで、どれほどの量を使い続けるつもりなのか?そしてこの地球上でその化石燃料資源の残存量はどれほどあるのだろうか?資源の枯渇により化石燃料に依存することができなくなったとき、我々の子孫はどのようにして生きてゆけるのだろうか?我々の子孫はそのとき何かの方法でエネルギー源を確保しているだろうから、今を生きるわれわれはこれまで培ってきた核技術を一旦捨ててしまってもよいと考えるのか?

国家というものは、一般大衆の移ろいやすい心の向くままに国家の大事を決めてはならない。この地球上に日本の国家が存続し続けることを願うならば、今を生きる日本の国家は未来何世紀、何十世紀先の日本の国家ことも考えて物事を決めるべきである。

人に遠い過去から遠い未来に続く「一本の道」があるように、今を生きる国家にも過去から未来に続く「道」がある。人はその「一本の道」を意識することができれば、不安なく今を生きることができるように、国家も「道」を自覚することができれば存続することができる。もし日本国民が、自分の祖国日本が過去に悪いことをしたと教育されるならば、日本の国家としてその「道」は自覚されないだろう。3.11以前までの日本はその「道」が自覚されていず、大変危ない状況にあった。

国家の「道」を自覚する唯一の方法は、歴史を正しく学ぶことである。国民にその国の歴史を正しく教えない国家は必ず亡びる運命にある。愛国心を高揚させるためとして国民に誤った歴史を教え込む国家がわが日本の隣にあって、わが日本を貶めようと企んでいる。3.11を契機に平和の眠りから目覚めた日本国民は、大東亜解放戦争前まで教えられていた日本の歴史をよく学ぶことの意義や必要性を感じ始めた。引き続き 善花著『韓国併合への道 完全版』より括弧(“”)で引用する。

“復活した閔氏政権は、壬午軍乱の結末によって、もはや新勢力としての日本は恃むに足りない、やはり巨大な中華帝国との宗属関係を維持し続けてきた過去の伝統に従うべきだと、考え方を後退させることになった。

しかしながら、李朝は中国軍の首都駐留という、これまでになかった新たな事態を受け入れなくてはならなかった。駐留清国軍は、漢城各所で略奪、暴行を働き、多くの漢城市民がその被害にあうことになってしまったのである。清国の軍兵たちが集団で富豪の家を襲い、女性を凌辱し、酒肴の相手をさせ、あげくのはては金銭財貨を奪うなどの乱暴狼藉が日常のごとく行われたのである。”(続く)