2012年12月6日木曜日


日韓関係の改善のために(108)「日露戦争への道/今日的中華思想」(20121206)

 下関条約が結ばれた直後にロシア・ドイツ・フランス三国が、日本が戦利として得た遼東半島の清国への返還を要求し、日本はこれに屈して遼東半島の領有を放棄した。その後その三国が日本への干渉の代償として、シナ(当時、清国)から遼東半島をはじめとする各地の利権を得た。当時、列強はシナ(中国)を食い物にしていたのである。日本がロシア・ドイツ・フランス三国の圧力に屈したため、朝鮮国内の親日派に動揺が生じた。李朝はロシアに迎合し、朝鮮国内に日本侮辱の感情が起きた。李朝政府には親露派の人物が多数入閣し、閔妃一派もロシア公使ウェーバーへの接近を深めていった。閔妃一派に対する反感はそういう状況の中、在朝鮮の日本人志士のみならず反閔妃派政客の間にも起こった。閔妃は明治28108日未明、王宮に乱入し在朝鮮日本軍歩兵第18大隊と李斗璜指揮下朝鮮第二訓練隊及び日本人志士たちによって、寝室で殺害された。
(関連:20121122日木曜日『日韓関係の改善のために(94)「日清戦争への道(続)」(20121122)』 http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/11/blog-post_22.html 
日韓関係の改善のために(99)「閔妃殺害後の状況」(20121127)

シナ(中国)の核心的利益の対象になっている尖閣を初め沖縄・奄美・先島諸島や南シナ海の南沙諸島の確保は、シナ(中国)人の中華思想にもとづく強い願望であるのだろう。シナ(中国)はその願望を今何世紀かけても必ず実現させたいと考えているに違いない。国が弱かったため受けてきた屈辱を晴らしたいと思っているに違いない。そのためシナ(中国)共産党は「綱領」等の長期戦略を大事に保持し、シナ(中国)古来の戦術を駆使して行動している。「反日」を愛国心教育の材料にしてきたシナ(中国)政府は国民からの反発を恐れて、日本に対する強硬姿勢を崩すことは決して出来ないに違いない。未来志向と言いながらも竹島問題やいわゆる慰安婦問題の認識を一方的に我が国に押し付ける韓国も同様である。岩間 『改訂版 大東亜解放戦争 上巻』より“”で引用部する。

 “露・独・仏による三国干渉を引き起こす原因は清国にあった。日清講和条約の調印が行われるや、清国内に猛烈な反対が沸き起こった。
 アヘン戦争に負けて香港を割譲され、九龍半島が租借されても、フランスとの清仏戦争でベトナム、カンボジア、ラオス等への宗主権が剥奪されても仕方がないとおとなしく諦めていた清国は、日本に負け条約が調印されると猛烈な反対が捲き起こった。それは今まで永い間、我が国(シナ)は中華として世界の中心であり中華主義を国の誇りとして、日本は倭夷国として見下げたくにであった筈なのに、その日本に負けたことは何としても耐えがたい悔しさであったのだ。何としても屈辱を晴らしたかったのであった。
 そこで支那お得意の「夷を以て夷を制す」(以夷制夷)作戦に出た。遠交近攻(遠きと交わり近きを攻む)借刀殺人(刀を借りて人を殺す)支那古来の戦術である。”(続く)