2012年12月12日水曜日


日韓関係の改善のために(114)「日露戦争への道/韓国併合への道(続き)」(20121212)

 「新党大地」鈴木宗男氏が「新党大地は脱原発(原子力発電所)・原発ゼロを実現することができる方策をしっかり考えている。それはロシアから天然ガスを持ってくるということである。サハリンから稚内、苫小牧、大洗までパイプを引く。日本とロシアとの間で強力な経済協力と連携を行うことによって北方領土も返ってくる。エネルギー問題も解決担保できる」と主張している。ロシアから天然ガスを輸入するというアイデアには共鳴できるが、彼の主張には肝心なことが抜けていると言わざるを得ない。

 それは何かというと、①エネルギー安全保障について全く触れていないということ、②天然ガスといえどもCO2を排出するということ、そして③天然ガスはこの地球に無尽蔵に埋蔵されているというわけではなく、石油同様いずれは枯渇するものであるということ、この三つである。特にエネルギー安全保障の観点では、エネルギー供給源をロシアだけではなくその他の国にも分散しておく必要がある。彼の主張はロシア一辺倒という考え方のようである。ウクライナはロシアにエネルギー源を依存する量を減らそうとして原子力発電所を建設したいと考えている。原子力発電所はモンスターのようなものである。このモンスターを制御するために考え得る最高の技術を用い、その技術と事故対策を常に高めながら再生可能エネルギーで完全にかつ安定的にエネルギーをえることが出来るようになるまで、このモンスターを使いこなすことが重要である。このことに全く触れない彼の考え方は現実的ではない。

今度の国政選挙で何としてでも当選したいという心理は理解できるが、いやしくも国会議員たる者は私利私欲から離れ、その身を国家のために捧げる気持ちを第一に考えて貰わなければならぬ。一般に古参の国会議員ほど固定観念に捉われ、偏った思想に固執する傾向がある。一般に守旧派に属していると見なされる者は、自分が守旧派に属していることに気付いていない。守旧派はどの組織においても良いことしない。韓国皇帝ら同様、シナ(清国)皇帝らも、守旧観念により結果的にそれぞれ自らの国を亡くすことに手を貸した。

 明治32年(1899年)、シナ(当時、清国)で起きた義和団事変は、西太后が国権の回復を目指して義和団を義民とみなしたことに端を発する。北京の各国公使館区域が義和団とシナ(清国)の官兵によって包囲されたとき、現場に最も近い場所に駐屯していた日本軍は各国から注目されていた。列強各国は日本軍に4000名以上の各国外交官・居留民・護衛兵・キリスト教徒たちを救出することを要請していたが、ロシアはその要請をことごとく妨害したという。この状況と対比されるような状況が、今後‘共産党王朝国家’シナ(中国)国内で起きないだろうか?(以下“”引用とともに。岩間 『決定版 大東亜解放戦争 上巻』を参考。)
 “四月下旬、義和団は北京に入った・・(中略)・・暴徒はいよいよ猖獗(しょうけつ)をきわめ、六月に入ると日本公使館書紀生・杉山彬(あきら)とドイツ公使館ケテラーの殺害事件が発生した。杉山は遺体を切断され、心臓をえぐり出されるという、またしても、支那流の虐殺であった。
 またこの月、北京公使館区域が義和団に包囲されると共に、清帝は列国に対して宣戦の上諭(じょうゆ)を発するに至った。翌七月に入ると、義和団と清国官兵合わせて数万の兵力に包囲された公使館区域の籠城(ろうじょう)も限界に近づき、絶望的状況に陥った。・・(中略)・・当時日本大使館二等書紀官として北京籠城を経験した石井菊次郎の回想によると、ロシアは、満洲の占領の口実を得るため、籠城者が殲滅されることを望んで居たので、日本に対する救援要請をことごとに妨害したという。(「日本外交秘録」)

 他国の疑惑を招かざるよう慎重な態度を持してきた我が国であったが、英国から四回にわたって出兵要請がなされるに及んで、遂に列国の希望と承認の下に第五師団を派兵し、これを主力とする八か国連合軍は八月十四日、北京公使館区域を義和団清兵の包囲から救出した。連合軍の総兵力は約二万、その半分は日本軍であった。翌十五日、西太后と光緒帝は北京を脱出、西安に蒙塵(もうじん)(天子が危難をさけて御所からよそへのがれて行くこと)した。”(続く)