2012年12月21日金曜日


日韓関係の改善のために(122)「韓国併合(続き)」(20121221)

 韓国の反日感情の原因について考える。韓国では伊藤博文が豊臣秀吉とともに最も嫌われている人物とされているが、それは伊藤博文が、日本・日本人に対する韓国・韓国人の様々な思いや感情の元となる様々な事柄の象徴のようなものであるからではないかと思う。

 呉 善花 『韓国併合への道 完全版』には、日本・日本人が韓国・韓国人の心情に理解を示さなければならない大変重要なことが書かれている。関係部分を下に “”で引用するが、思い出すのは、大東亜解放戦争で特攻隊員として沖縄作戦で敵駆逐艦に体当たり散華した崔貞根(日本名 高山昇)少佐のことである。

崔貞根少佐は、陸軍士官学校在校中、同期生の一人に「俺は天皇陛下のために死ぬということはできぬ」と、その心情を吐露したという。同期の齋藤五郎氏は陸士の同期会で、韓国軍第三軍団長として朝鮮戦争で武勇を馳せた李亨根将軍(日本陸軍士官学校五十六期)にそのことをただしたところ、「その気持ちは貴様たちには判らんだろうなあ、それが判るときが、両国の本当の友好がうまれるときだ」と答えたそうである。(関連:2010105日火曜日『母・ともゑ (20101005)

 竹島問題とか、いわゆる従軍慰安婦問題とか、また一部の韓国人が剣道・華道・茶道・歌舞伎など日本固有の文化について、それらの起源が韓国にあると国際的に宣伝しまくっていることなどに嫌気を感じている日本人は、すでに存命かどうか分からぬが李亨根氏が陸軍士官学校同期の齋藤五郎氏に言ったという「それが判るときが、両国の本当の友好が生まれるときだ」という言葉を重く受け止めるべきであると思う。

 “東学のリーダーで李容九を指導した孫秉煕は、後に一九一九年(大正八年)の三・一独立運動の指導者として検挙されるが、そのときの予審第一回調書での孫の発言を断片的に拾いあげてみると、・・ (中略)・・「[日本統治下]の行政について不満はありませんが、日本人は朝鮮人をヨボを以ってし、劣等視しているのは不平です」「日韓併合の際の勅語には一視同仁とあるのに併合後朝鮮人は常に圧迫を受けて……」(金正明編『朝鮮独立運動Ⅰ』原書房刊/「第二章 三・一運動」中の「三・一運動関係調書・公判・裁判記録(一)孫秉煕事件」より)

 こうした孫秉煕の発言から見えてくるのは、彼が目指したのは第一に、民族の自立というよりは民族の尊厳の確保にあったということである。そのため彼は、自力で民族国家建設ができない以上、より力の強い日本との合邦によって民族の尊厳が確保され、さらにはアジア諸国の合邦によって、西欧列強に対するアジア諸民族それぞれの尊厳が確保し得ると夢見たのだったろう。”(続く)