2012年12月7日金曜日


日韓関係の改善のために(109)「日露戦争への道/国防軍・集団的自衛権」(20121207)

 小沢一郎氏系の国会議員らが寄り添った「日本未来の党」という傘はどんな傘であるか?それは日本国民の総意が共感を覚える傘なのか?日本人が得意としてきた「表」と「裏」を使い分ける「言葉の魔術」を行い、日本国民の総意を集めようとしている。それはどういうことかというと、これまで原子力発電所依存から脱却する言葉として「脱原発」という言葉があった、それを「原子力発電所依存から卒業する」という意味で「卒原発」という言葉に置き換えたけである。「日本未来の党」を立ち上げた嘉田代表は、盛んに「女性」という言葉を口にする。なんとなく「ほんわかムード」で女性票を獲得しようと狙っている。比例代表区でトップからずっと名前が上がっているのは殆どが小沢一郎氏の「国民の生活が第一」の国会議員たちである。「日本未来の党」という傘は小沢一郎氏系の国会議員たちが国会議員として生き残るため最も頼りにしている傘であるとしか見えない。

しかし日本国民の総意は、民主党政権による国家運営の失敗を二度と繰り返させないことである。女性である嘉田代表が「ほんわかムード」で「子ども」「女性」などの女性・母親の味方であることを強調しても、実現不可能と思われるようなことに対しては厳しい判断をするだろう。柳の下にドジョウは二匹居ないのである。また、嘉田代表が「反戦」「平和」の情緒的なムードを漂わせても、国連が尖閣や沖縄を侵略か守ってくれると確信する人は殆どいないであろう。小沢氏は国連旗の下でなら自衛隊を海外の紛争地帯に派遣することができると主張していたが、それはナンセンスであることを多くの日本国民は知っている。小沢氏がかつて民主党国会議員140名ばかかりを引き連れてシナ(中国)を訪問し、その国会議員一人ひとりに胡錦濤国家主席に拝謁の握手をさせたことは記憶に新しい。日本未来の党は「ほんわかムード」でシナ(中国)の国家戦略を変えられると思っているのだろうが、現実はそのような情緒的なことでは変えられるものではない。否、4000年の歴史を誇るシナ(中国)は、今後何世紀を経ても中華民族が世界で最も優れた民族であるという自尊心を決して捨てないであろう。何故なら「中華思想」は正しく「国家の性格」を形成する根本の精神であるからである。それは人の「性格」は決して変わることがないのと同じである。ただし周囲の環境や状況により人の「行動」は変わる。国家も全く同じである。三国干渉前のシナ(中国)は、「仕方ない、諦めよう」という状況であった。それが、三国干渉後は俄に反日感情が持ち上がった。「小日本め!」というわけである。

 日本軍は強大なロシア軍を打ち破って日露戦争に勝利した。今、実質「軍」と変わらない自衛隊を「国防軍」と呼称することに何の躊躇が必要であろうか?アメリカと戦って降参した日本が、今度はアメリカと強固な同盟関係を結び、日本の防衛に投入されたアメリカ軍に対し、日本防衛の局地戦闘のときアメリカ軍を援護することが何故不都合なのか?「ほんわかムード」で日本の針路の選択を誤らせる政党は、ある意味で国賊でもある。

昨日に続き岩間 『改訂版 大東亜解放戦争 上巻』より“”で引用部する。日本国民は、日本が万世一系を頂く国であるということの意義を、三国干渉後や先の大東亜解放戦争後や、また昨年3月の3.11大震災後の状況で、改めて認識することになる。王統としての歴史が浅いイギリスのように、王女が王位継承権を有する国とは違い、日本は神武天皇以来ずっと男系で皇統が続いてきた国である。国家観が乏しい国会議員たちによってこの日本国家の大本が崩されるようなことが絶対あってはならない。

“例えば、当時湖広総督の要職にあった張之洞は「速やかに、英、露、独、諸国に利益を与えて実力援助を乞うべし。重酬(手厚い報酬)を与え、決して惜しむべからず。英、露、独は如何なる報酬を与えても、中国を距ること遠く、これを日患(日本による禍い)に比すれば甚だ軽なり」という驚くべき意見を上申している。(中村粲「大東亜戦争への道」)・・(中略)・・

ロシアは独、仏と共に条約調印後六日目の四月二十三日に我が国が条約で獲得した遼東半島を放棄せよと「勧告」してきた。ロシア公使の勧告は「遼東半島を日本が所有することは、清国の都を危うくするのみならず、朝鮮独立を有名無実化とするもので、右は極東永久平和に障害を与えるものである」と述べ、日本に対する「誠実なる友誼」から同半島の放棄を勧告するというもので、独、仏の勧告もほぼ同じ文面であった。世にこれを「三国干渉」と呼んでいる。

干渉は武力の威圧の下に行なわれた。軍事的にも財政的にも三大強国を相手に、今戦争を了えたばかりの日本に新たな戦いを起こす余力はなかった。
日本は涙を呑んで「勧告」を受託、遼東半島を清国に還付した。ロシアは我が国の遼東半島放棄に満足の意を表し「世界の平和のため祝意を述べる」と表明した。

日本国民の無念思い過ぐるものがあった。日本国内世論は激昂したが、明治天皇は大局を誤ることなきようにとの叡慮(えいりょ)から「遼東還付の勅語」を渙発され「深く時世の大局を見、微を慎み、漸を戒め、邦家の大計を誤ることなきを期せよ」と国民に隠忍自重を諭されたのであった。

この勅語は激発せんとする人心の鎮静化に甚大な効果があり、国民は大御心の深きに対し奉り、血涙を流し、嗚咽(おえつ)するのみであった。そして他日の遼東奪還を心に深く誓いつつ国力の充実に励み「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」をもって他日を期したのであった。日本の遼東半島の還付がロシアの平和を招来したものかどうかは、その後の歴史が証明した通りである。(中村粲「大東亜戦争への道」)”(続く)