2012年12月31日月曜日


終わった! (20121231)

 今年の820日以来、「日韓関係の改善のために」と題して、主として呉 善花『韓国併合への道 完全版』及び岩間 弘 『決定版 大東亜解放戦争 上巻』を読みながら、いろいろ学習し、考えてきた。これで今から66年前、昭和2112月に33歳の若さで他界した私の生母への思いを成し遂げたような気分である。日本が朝鮮を日本と一体化させ、朝鮮人を日本人に同化させる政策を一層前に進め、やがてアメリカ・イギリスと戦争をしていた時期に父も母も朝鮮にいて朝鮮の子供たちの教育に携わっていた。父は朝鮮の青年たちの訓練にも携わっていた。

その母が乳がんで死ぬとき、当時10歳であった私にいつものように「お兄ちゃん、起こしておくれ」と言った。いつもなら「背中をさすっておくれ」というところをそのときはそう言わなかった。母の背中にはがんが転移していてこぶだらけであった。今思えば母は相当痛みを感じていたに違いないが、私にはその苦痛の様子を素振りにも見せなかった。そのときは「東を向けておくれ」と言い、そのようにしてあげたら、初めて「お仏壇からお線香を持って来ておくれ」と言い、「お父さんを呼んできておくれ」と言った。私は裏の山林で燃料にする枯れ落ち松葉をかき集める作業していた父を呼びに行った。父と一緒に急いで戻って来た時には、母は既にこと切れていて布団の上に寝かされていた。多分母が東に向かって手を合わせていたときに倒れ、驚いた祖母が母を布団の上に寝かせてやったのだろうと想像する。母は幕末の熊本藩士御舟奉行の孫、遺してゆく長男の私に身を以て、日本人としてあるべき生き方を教えてくれたのであった。

東は皇居の方角である。私は死ぬ前の母が「東に向けておくれ」と言った意味を考えもせず私の晩年近くまで無為に過ごしてきた。父母が30歳前後の頃に過ごした朝鮮のことについて学び終え、自分の思いや考えたことを書いたことによって、長い間私の胸につかえていたものが無くなった。これはあくまで自己満足であるが、いずれ私がこの世を去ったあと、私が書いたものを私の孫たちが目にして、何かを考えてくれるかもしれないという期待はある。たとえそうでなくても良い。私には自分の人生に関わりがあったことをきちんと整理し終えたという満足感がある。余生は一生懸命に生き、やがて草木の如く枯れて死ぬる時には、母のように一所懸命に死のうと思う。

今日、26日、安倍晋三氏が第66代内閣総理大臣になった。党4役や閣僚たちは錚々たる顔ぶれである。半年後に参議院選挙を迎えるので基幹的にきわめてタイトであるが、皆顔を引き締めて、死にもの狂いで仕事をすることだろう。残念ながら民主党にはこのような人材が極めて少ない。日本国民はそのような民主党に3年間も国政を任せてきた。日本の国力は低下し、日本は沈みかけた。今こそ日本は「陽が昇る」国に再生させるときである。

 韓国にも生涯独身をとおして国の為身を捧げてきた朴槿恵(パククンヘ)氏が大統領に選ばれた。日韓両国のそれぞれ国の為身命を尽くす覚悟の指導者が選ばれた。日韓関係はきっと良い方向に向かうだろう。近くて遠い国が、本当に近くて近い国同士になることだろう。それこそが凶弾に倒れ、今なお韓国では誤解され続けている伊藤博文の思いを実現することになるのだ。

民主党政権誕生以前から国を憂えてその時々に思うこと、考えたことを「随筆」といえばおこがましいが、文章にしてきたことは、本日をもって終わりとする。今後は随筆家でも文章家でもない私は、日々の社会的出来事などを日記のように書きとめるのみである。但しこれは一般に公開するものであるので、おのずとその内容には制約がある。そのことを考慮に入れながら、これからは随筆家の真似をしてゆこうと思う。古今さまざまな人が書いた「随筆」なるものを読まねばならぬ。今後の楽しみがまた一つ増えた。