2012年12月15日土曜日


日韓関係の改善のために(117)「韓国併合と伊藤博文」(20121215)

 日本人が韓国に旅行したとき耳にするものは、ソウルでは「韓国で最も嫌われている日本人は伊藤博文と豊臣秀吉である」という言葉である。はたして伊藤博文は韓国及び韓国民に対して酷いことをしたのであろうか?韓国民は間違った歴史教育を受けており、日本人は大東亜解放戦争終結後「自分たちの父祖が韓国を侵略し、植民地化した」と思い込まされてきた。日韓両国民、お互い歴史的真実をしらないまま、ちょっとしたことでお互い嫌悪感を抱きあっている。これでは「近くて遠い国」はいつまでたっても「近くて親しい国」になることはできないだろう。両国の政治家たちがそれぞれ「未来志向、未来志向」と叫んでも、日韓の間の溝は決して埋まることはないだろう。

 そもそも日露戦争を戦った日本は、ロシアに対してシナ(清国)と韓国の独立を侵さぬように要求していた。『日露交渉ニ関スル往復』(露国対案に対する帝国政府の確定修正案)明治36年(1903年)1030日に、「第一条 清韓両帝国ノ独立及領土保全を尊重スルコトヲ相互ニ約スルコト」とある。日本がロシアに負ければ、ロシアが中立地帯とするよう要求していた朝鮮半島の北緯39度以北は完全にロシアのものになってしまっていただろうし、それ以南もロシアに占領されていたかもしれないし、勿論日本本土さえも危なかった。大韓帝国の独立は守れなかっただろう。関連は以下の二つの記事のとおりである。
    2011727日水曜日『日露戦争前哨戦(補記) (20110727)
    2011730日土曜日『日露戦争前哨戦(補記) (20110730)

 以下は、名越二荒之助 著『日韓二〇〇〇年の真実』を引用した、岩間 弘 著『決定版 大東亜解放戦争 上巻』を参考にし、また引用したものである。関連:2012310日土曜日『韓国併合(三)伊藤博文 初代統監の真意(20120310)

 “伊藤博文は日本が韓国を併合することには反対であった。彼の政策は、日本国内では「韓国本位にものを考え過ぎる」として不評を買った程である。彼は統監としてどんな態度で臨んだのか。明治四十年五月二十八日、統監府の課長以上の幹部(日本人)に対して次のように訓辞している。

 「苟(いやしく)も数千年の歴史と文明とを有する国民は、決して獣畜の如く支配すべきものではなく、また支配できるものでもない。日本の識者は決してこのような暴論(当時の日本国内の韓国併合論のこと)に賛成せず、またわが陛下の御思召(おぼしめし)も決してそうではない」

 また同年の五月三十日には、李完用内閣に対して、次のように叱咤している。

 「凡(およ)そ国家は自ら独立するの要素なくして単に他国のみによりて立ち得るものに非ず。今日の如くして進まむか、夫れ韓国を滅するものは他国に非ずして韓国自身ならむ乎。故に諸君は反復裏表なく専心一意韓国の為に謀らざるべからず。自分は諸君を助け、韓国をして自立せしめ得る様尽力しつつあり、然るに韓人は日露戦争の如き大激戦を目撃するも尚覚醒せざるは何事ぞや」

 「日本は朝鮮の独立を望み、彼の条約(保護条約のこと)を締結せり。故に韓国を強いて独立国なりと言わしめたるは日本なり。……日清の役(えき)にて韓国は清国の羈絆(きはん)(束縛)を脱したり。ロシアの、手を韓国に伸ばすや、之を拒まず、韓国の独立を謀る者は却って之を嫌悪し、遂に日本をして韓国のために露国と干戈相見るのやむなきに至らしめたり。故に今日外交権を日本の掌中に収めるは当然なり。何となれば之を依然として韓国の手に存せんか、韓国はいつまでも列国の競走場となり……それ韓国を滅するは他国にあらず、内外の形勢を察知せず、無謀軽挙を事とる韓人なり」”