2012年12月19日水曜日


日韓関係の改善のために(121)「韓国併合(続き)」(20121219)

 日本が韓国を併合する前に、日本及び韓国の国内では日本との「合邦」を目指す社会的運動があった。これは当時の日本及び韓国が自ら生き残る「自存」の行動であった。人間個々がそれぞれ「自存」を目指すように国家も「自存」を目指す。その一つとして、アジア・太平洋地域では日中韓FTA、TPPなど経済連携の動きが盛んである。

シナ(中国)はアメリカに対抗し、自らが「世界の中心=中華」思想を前面に出し、東シナ海・南シナ海で自ら覇権を唱えている。胡錦濤前主席はかつて、シナ(中国)は「東方の盾」になるのだと明言したことがあった。

日清戦争・日露戦争を戦い、韓国を併合するに至った日本には「大義」があった。しかし、今のシナ(中国)には野生動物のような本能的・利己的な欲望があるようにしか見えない。シナ(中国)は、その国土面積はアメリカ並みであるが耕作面積率はかなり低い。その国土に人口の大部分が漢民族であり、その他数多くの少数民族からなる人々が住み、共産党一党支配の下で国家としてまとまっている。国家を一個の「生物」として見れば、シナ(中国)はその「生物」が生き残ろうとする自存の行動のように行動せざるを得ないのかもしれない。日本はそれに対してどのように向き合えば良いのか。日本はシナ(中国)が国際法を無視して無謀な行動をしていることを座視し続けることはできない。日本の理性的な態度、隠忍自重・我慢・辛抱・忍耐は、シナ(中国)に誤ったメッセージを送っていることになっているのかもしれない。身に降りかかる火の粉は払わねばならぬ。今こそ日本は「武士道」精神をもって、断固・毅然たる行動をシナ(中国)に見せつけなければならぬ時である。
 
 以下、呉 善花 『韓国併合への道 完全版』より関係部分を “”で引用する。
“アジア諸民族の連帯をもって西欧列強に対抗しよういう「大アジア主義」が民間の知識人たちの間から生まれてくるのは、きわめて自然なことであった。
 そうした意識をもった日本の民間志士たちは、甲午農民武装蜂起のおり、天佑侠を作って東学党に参加している。その中心は越後の住職だった武田範之であり、後の黒竜会の指導者として、日本の側から民間で日韓合邦運動を推し進めた内田良平(当時十七歳)もそのなかにいた。

 彼らの大アジア主義に思想的な影響を与えたのが樽井藤吉の『大東合邦論』(一八九三年)だったといわれる。これは日本語ではなく漢文で書かれたもので、そのため中国や韓国の知識人にも広く読まれたという。樽井と親しかった金玉均もこの本を読んだことは間違いなく、孫秉煕と李容九もこれを読んで強く刺激され、孫文ら中華民国設立への革命を進めた中国知識人にもすくなからぬ影響を与えたといわれる。 

『大東合邦論』の基本的な主張は、「日本を盟主とする大東亜連盟」の結成によって、文化的・政治的・経済的に西欧列強の侵出を斥け、衰退するアジア諸国の共同の繁栄をかちとろうという理想である。「日本を盟主に」というところには、いまでは抵抗を感じる人が多いと思うが、日清日露の戦役を勝ち抜き、アジアで一人近代化を大きく進めて西欧列強に対抗する日本をリーダーとしてアジア諸国の連帯を考えていくことは、当時としてはきわめて当然のことだったとみなくてはならないだろう。・・(中略)・・

金玉均が描いた「日中朝の連帯をもって西欧列強の侵出に対抗する」という理想は、あきらかに樽井藤吉の『大東合邦論』に重なるものであり、李容九の日韓合邦もまたその理想に重なる発想だったはずである。
李容九らが当面の独立よりも合邦を目指したのは、第一に排日による民族の自主性確保はすでに不可能であり、朝鮮民族の命運は中国民族や日本民族の命運と、さらにはアジア諸民族の命運と軌を一にするものと理解されていたからである。”(続く)