2012年12月29日土曜日


日韓関係の改善のために(130)「日本の統治は悪だったのか?(続き)(20121229)

 以下の《》内は、私が主として呉 善花『韓国併合への道 完全版』を熟読しながら勉強してきた結果の感想である。《日本の朝鮮統治は、朝鮮を日本と同化・一体化させることにあった。これは、西洋列強の植民地政策とは根本的に異なっていた。これはまた、シナ(中国)が共産党綱領にある「臨時憲法」で、占領後の奄美・沖縄・八重山(先島)諸島に適用しようと考えている「一国二制度」のようなものとも違う。しかし日本が朝鮮民族のために、ひいては日本のため良かれと思って推進してきたこの「同化・一体化」政策は、朝鮮民族の尊厳を損なうものであったに違いないと思う。

もともと伊藤博文は韓国の併合に強く反対していた。それが、当時の韓国(大韓帝国)の事情の故に併合に至らざるを得なかったのである。初めの間は朝鮮民族の尊厳を大事にしていたが、日中戦争勃発以降は急進的な同化・一体化政策が推進され、朝鮮民族を完全に日本人にするための教育が行われるようになった。特別攻撃隊員として沖縄の沖で敵艦に突入して逝った陸軍士官学校同期の朝鮮籍の日本軍人のことで、同期生会に出席した日本人の同期生に対し朝鮮籍だった同期生が、「その気持ちは貴様たちには判らんだろうなあ、それが判るときが、両国の本当の友好がうまれるときだ」と言ったということを、日本人はよく考えるべきである。

 呉 善花『韓国併合への道 完全版』にあるように、昭和12年(1937年)10月以降、朝鮮の子供たちにも「一 私共は 大日本帝国の臣民であります  二 私共は 心を合わせて 天皇陛下に忠義を尽くします」などと学校で毎朝唱和させ、大人には「一 我等は皇国臣民なり 忠誠を以て君国に報ぜん」などと唱和させ、昭和13年(1938年)三月以降、日本と同じ教科書を使うようになって、朝鮮語が正課から外されたことなどは、明らかに朝鮮民族の尊厳を奪うものであったに違いないと思う。

しかし、現在の韓国人がどう思っているかということは別に置いて、日本による35年間の朝鮮併合・統治の結果、朝鮮民族として非常に良かった点が多々あったと思う。物事を一方的に観るのでは、真実の姿が見えて来ない。日本人も韓国人も、物事を多面的に、総合的に観て、歴史を判断することが是非必要なことである。それが、日韓関係の和解につながるものであると思う。》(関連:2010105日火曜日『母・ともゑ (20101005)

 日本による35年間の韓国併合・統治の結果、朝鮮民族として非常に良かった点について、呉 善花『韓国併合への道 完全版』より“”で引用する。「土地調査事業」については、『日韓関係の改善のために(127)「日本の統治は悪だったのか?」(20121226)』『日韓関係の改善のために(128)「日本の統治は悪だったのか?(続き)(20121227)』にあるとおり、韓国教科書には「日帝による土地収奪のため」と「嘘」が書かれている。
 巨額投資による産業経済の発展  朝鮮統治では、最後まで投資過剰の赤字経営が続けられた。朝鮮総督府の統計年報(各年度版)によれば、朝鮮の財政赤字は総額一七億六六五七万円(一九一一~一九四一年)で、赤字分は本国からの交付金(年間約一二〇〇万円)・借入金・公債でまかなわれた。また貿易収支では総額六億四七〇〇万円(一九一〇~三九年)の赤字である。一九〇〇年前後以降、日本から投入された資本は総額で八〇億ドルにのぼった。
 こうして北部には大規模な工業地帯が築かれ、南部では資本主義的な商業が大きく発達し、米産は飛躍的な伸長を遂げた。開墾・干拓・灌漑などの大規模な土地改良、鉄道・道路・架橋・航路・港湾等の交通整備や電信・電話等の通信設備の敷設、近代工場や大規模水力発電所の建設などが全土に渡って展開された。・・(中略)・・
特筆すべきは人口が増えたことである。併合時の朝鮮半島の人口は一三一二万名(一九一〇年)だったが、併合後には最終的に二五一二万名(一九四四)と二倍近くまで増加している。それほど経済力が成長したのである。(後略)”

 “学校数の激増と識字率の急伸  総督府は、本土と同じ普通学校制を施行し、国立大学の設置(京城帝国大学)、文学・芸術活動の活性化などの文化政策を推進した。新たに建設された各種の学校は一〇〇〇校にのぼった。・・(中略)・・一九四三年に国民学校(六年制)は総計五九六〇校を数えた。学校ではハングル・漢字・日本語教育を推し進めたので、朝鮮の識字率は一九一〇年に六パーセント程度だったのが一九四三年には二二パーセントへと上昇している。
 日本語、朝鮮語、算数、日本史、朝鮮史、朝鮮伝統の修身などの教育を公立学校を中心に展開した。終戦までの数年間、朝鮮語教育が停止されたが、日常的な朝鮮語の使用を禁じたのではない。(後略)”(続く)