2013年1月15日火曜日


ハーフの子供の子育て (20130115)

 世間ではその深い意味を考えることなく「子育て」という言葉が使われている。沖縄ではアメリカ軍の兵士と恋に陥り、妊娠し、子供を産んだ若い女性たちが多い。父親になったアメリカ兵はその子供を父親として認知することなく帰国してしまったり、自分が妻子ある身であることを隠して沖縄の女性に子供を産ませ、後で彼の家族から〇○(アメリカ兵の名前)とは付き合わないで欲しい、という手紙が来たりして、父無し子が多いようである。日本本土でも大東亜解放戦争に敗れてアメリカ軍が進駐してきた後、似たようなことが数多く発生した。彼女らのことは映画にもなった。

 江戸時代でも似たようなことは沢山起きていたらしい。長崎ではそういう女性たちは洋妾(ラシャメン)と呼ばれていた。彼女らは日本に駐在する外国人の軍人や商人の現地妻となっていた。当然子供も生まれたことだろう。その子供たちはたくましく育てられたに違いない。プッチーニのオペラ『蝶々夫人』は実話でなく、幕末にヨーロッパ系の外国人男性(一説にはロシア人男性)との恋に陥った日本人の女性の話を伝え聞いたプッチーニがオペラに仕上げたという話もある。これは実話ではなく、その当時ありそうなことを物語にしたものであったようである。

 イギリスの船乗りで士官であったWilliam Adams(日本名・三浦按針)は、慶長六年(1602)頃、徳川家康の御用商人であった馬込勘解由という人の娘・お雪と結婚した。馬込勘解由は日本橋大伝馬町の名主であった。按針お雪との間には一男一女をもうけている。その子供たちは養育を世話する日本人女性たちがついていて、按針の子供たちは武士の子供として育てられたに違いない。

 日本では非常に古い時代からヨーロッパ系の男性と「やまとなでしこ」との関係があった。明治初期にオーストリア・ハンガリー帝国の駐日代理公使・ハインリッヒ・クーデンホフ・カレルギーと結婚した日本人女性・光子はヨーロッパの貴族夫人となった。光子は東京麻布の骨董商・青山喜八の三女であった。光子とハインリッヒの間に生まれた子供・リヒアルト・クーデンホーフ・カレルギーはEU の生みの親である。

 日本人同士の男女から生まれた子供の子育てと、外国人、特に欧米系やアフリカ系やインド系の男性と日本人女性との間に生まれた子供の子育てには何か違いがあるかもしれない。歌手・ジェロの母方の祖母は横浜出身の日本人である。子育ての違いが何であるかはよく分からないが、シングルマザーであろうと、その周囲、特に親や兄弟姉妹や友人らに、何か精神的な影響を受けているに違いない。一般論的に評価すれば、それは日本にとってはプラスの影響であるに違いないと思う。