2013年1月22日火曜日


『花の合気道』という歌(20130122)

 男は自分自身の年齢のこともあって毎年躊躇しながらもある合気道の会の新年会に顔を出している。新年会は東京都内の某ホテルで行われている。この新年会はE八段・師範の指導を受けた弟子たちが毎年正月に師範ご夫妻を慕って一同に会し賀詞を交換する会で、もう何十年も続けられている。師範ご自身の合気道指導のモットーは「合気道の稽古をして楽しいこと」である。弟子たちの中にはお互い合気道の稽古を通じて知り合って師範ご夫妻の媒酌で結婚式を挙げ、子供も授かっているカップルが何十組もいる。

 その新年会に顔を出すと男は自分よりも年若い旧友たちに会い、懐かしく歓談して「今年も来てよかった」と思う。これが後何年続くことか。同じ年齢同士が集う同級会などではお互い飲食の量や内容に気を付けるが、若い人たちが多く集まる会合で調子に乗って酒を飲み過ぎたりしても良くない。男はある時期には心に決めて新年会には顔を出すことを遠慮しなければならぬと思っている。人は「そんなことをすると淋しくなるよ」と言うかも知れぬ。しかし男は別に淋しくなるとはちっとも思っていない。

 遣唐使船に乗って唐に渡りその地で没した阿倍仲麻呂と交流があった盛唐の詩人李白は、『山中問答』と題する作詞で「余に問う何の意あってか碧山(へきざん)に棲むと。笑って答えず心自(おのず)ずから閑なり。桃花流水杳然(ようぜん)として去る。別に天地の人間(じんかん)に非ざる有り」と詠った。男はいつか訪れる自分の最期に向けて日々支度をしているから、李白のように「此処は俗世間とは異なる別天地なのである。私は此処に独り住むことを楽しんでいる」という心境に近い。だからE師範の新年会に顔を出さなくとも淋しくなるとは思わないのである。しかしE師範の奥様は男のそういう心境を察してか、男に「こういう会とは別にS道場建設委員会メンバーだけが泊りがけで集う会を持ちたいですね」と言って下さっている。男もそういう会なら喜んで参加したいと思っている。

 その新年会で『花の合気道』という歌があることを初めて知った。メロディーは演歌調であるが、その詩の内容が素晴らしい。歌詞はこうである。「一、合気の道はひとすじに 己を磨くためにある 他人(ひと)のためなら身を捨てる つよい覚悟が和をまねく。 二、正義にうすい今の世に 我慢のならぬことばかり ここに合気の真髄で 破れ時代の邪(よこしま)を。 三、流れる水はただ清く 転がる石に草はない これぞ合気と知るまでは 汗の試練を積むがよい。 四、ひとたび内に備えれば 外にはすべて憂いなし 技とこころの一体を こめた演武に花が咲く。」


 以下の動画はE師範が基本技を紹介している。手刀を実際の短刀と思えば基本は同じである。E師範はこの歌詞にあるように「技と心が一体」のような大変素晴らしい先生である。今年行われるS道場の20周年記念行事のため、ヨーロッパなどからE師範の弟子たちが既に100人以上参加を申し込んで来ているという。