2013年1月1日火曜日


李白『山中問答』・良寛『半夜』の心境 (20130101)

 「一年の計は元旦にあり」という。今の私には格別計画もないが、さりとて惰性で生きて行くつもりはない。ただ、英語を母国語のように話せるようになりたいと思う。それと昨日書いたように随筆を書く。これまでのように日本の政治や外交や防衛のことについては文章にしようとは思わない。また、歴史や易経や万葉集などについても文章にしようとも思わない。これからは随筆と詩吟と英語に時間を多く割り振ろうと思う。陶芸も今作りかけのものを完成させて後、やめることにする。健康上のことでは、血管年齢88歳をずっと若返らせること、そしてメタボ太鼓腹をへこますこと、この二つが新しい一年の目標である。中国の崔敏童という人が、千二、三百年ほど前「一年始めて一年の春有り 百歳曽(かつ)て百歳の人無し」と詠ったが、今の時代平均寿命が延びて百歳の人は増えるだろう。私は自ら他人の手助けが必要になるまで長生きしたいとは思わないが、天に生かされている間は一生懸命に生きなければならないと思っている。

 年賀状は30日に投函した。コンピュータを使って250枚ほどを短時間で仕上げた。枚数はなるべく減らすようにしている。活字は殺風景なので毎年自分と女房のツーショット・スナップ写真をはめ込んでいるが、今年からはツーショットのもと自分だけのものの二種類にした。来年からは毎年殆ど同じ文章で、はめ込む写真だけ取り換えることにしよう。はめ込む文章も今回は「年末超多忙。賀状発出遅延。元旦不配となることをお詫びする」旨小さな活字で書き添えた。特定の人には手書き一筆を添えるが、殆ど活字だけの年賀状である。皆の多幸・繁栄を祈願しつつ近況報告が主目的である。女房の分は別である。

女房は昔子育て真っ最中の頃、ある時計製造会社の研究所のスタッフとして働いていた。その頃の仲間と毎年年賀状を交換している。女房はその頃社員旅行で伊豆大島一泊旅行に行っている。その頃の写真がある。子供が中学生の頃、PTA仲間のコーラスグループに入っていた時の写真もある。自分も若かったが女房も若かった。この正月の間その頃のアルバムを取り出して、一緒に昔のことを振り返ってみようと思う。しかし女房は放送大学の単位認定試験のため猛勉強中であり、過去を振り返ることなどに興味はないようである。

私自身、昔は過去を振り返ろうとはしなかった。前だけしか見ていなかった。ところが老い坂に入ってからは未来のことよりも過去のことばかり見ている。先はゴールの死しか見えていない。満ち足りていて夢や希望はない。李白が作った『山中問答』という詩には、「人は私(李白)に、そなたは何の意味があってそんな緑深い山中に住んでいるのか、と問うが、私は笑ってその問いには答えない。私の心は長閑(のどか)である。谷川の水面に浮かぶ桃の花びらが遠くまで流れ去って見えなくなる。此処は俗世間とは異なる別天地なのである。私は此処に独り住むことを楽しんでいるのである」という意味のことが書かれている。今の私は李白のような心境である。ただし李白のような立派な詩を作る才能は全く無いが・・・。

昨年末はこの詩と良寛の「半夜」を吟じてインターネットで公開中である。これらは、今私が現に生きている証でもある。
この詩は、「首(こうべ)を回(めぐ)らせば 五十(ごじゅう)(ゆう)余年(よねん)人間(じんかん)の是非(ぜひ)は一夢(いちむ)の中(うち)」という内容である。私もまた、自分の首をゆっくりまわして考えれば、正に良寛さんが言っているとおりである。女房と二人三脚の半生、というより共に老いの坂を下の方まで下ってきている人生は、正に一夢の中のようである。

 かくして、今年はノロウイルスが猛威を振るっているため田舎には帰らず、本当に久方ぶり老夫婦の平和で穏やかで満ち足りた年越しを過ごそう。今年為すべきことは全て為し遂げた。一杯の晩酌もまた格別である。(123118時)