2013年1月3日木曜日


「1+1=2+α」又は「1+1=2-β」 (20130103)

 算数では確かに「1+1=2」である。しかし一個の集合体である一人の人間と、もう一個の集合体である一人の人間の総和は、二個の集合体ではない。例えば夫婦二人の力は、一人だけの時よりも強かったり多かったりする。一方で、一人だけのときよりも弱かったり少なかったりする。何故だろうか?

 一組の夫婦は一組の家族である。その家族の力が強いか弱いか、又は大きいか小さいかが問題である。人はこの世に生を受けてこのかた大宇宙の時間軸の中にある。草木や動物たちと同じ様に、人は永遠に生き続けることは決してできない。そういう中にあって、人は他の人との組み合わせによってその集合体の力が倍以上になったり、組み合わせた二人分にも満たなかったりする。

話は飛躍するが、国家と国家の関係でも同様である。同盟であろうと共同体であろうと、それを構成する個々の国家の総数以上の力が発揮されないと、同盟も共同体も意味がない。よく「性格の不一致による離婚」という言葉を耳にするが、国家同士でも「性格の不一致」がある場合には、決して上手く行かないだろう。「性格の不一致」は「価値観の不一致」でもある。価値観が合わない夫婦は決して良い人生を送ることはできないように、価値観が合わない国家同士の共同体は決してうまく運営されないだろう。

 価値観が一致するか否かについては、当事者同士の問題の認識に関わることである。当事者の一方が「隠れているが現に其処にある問題」を認識していても、他の一方がそれを認識していない場合、表面的な利害関係だけで結びつこうとする。当事者の一方は心底では全く別の考えがあるのに他の一方はそれに気付かずにいる。そのような結婚は何れ破綻する。国家同士の同盟や共同体の場合も同様である。相手の心底にあるものを見ぬく力がないとそのような結婚や国家同士の場合の同盟や共同体は、初めは上手く行くように見えても後で必ず失敗する。下手をすれば取り返しできないことになる。国家の場合は国家の存亡の危機に陥ることになる。

最も重要なことは、「隠れていて表には見えないが現に其処にある問題」に気付くことである。そういう能力のある人は良い結婚が出来、良い人生を送ることができる。国家の場合は、独立と平和と安全と繁栄が続く。

「隠れていて表には見えないが現に其処にある問題」に気付かない原因には三つの要素がある。一つは「知識」である。二つ目は「感情」である。三つ目は「文化」である。