2013年1月7日月曜日


小話『保育所で親が迎えに来るのを待っている男の子』 (20130107)

 車通りに面して建てられているマンションの一階部分が保育所になっている施設がある。夕刻、男とその女房はその保育所の近くにあるK宅急便の事業所に立ち寄り、小包の宅配を依頼した後、二人でT川の堤防を歩くウオーキングをした。途中その保育所の前を通った。一人の男の子がガラス越しにこちらを見つめている。多分その男の子は自分の母親が迎えにきてくれるのを待ち続けているのであろうか。室内には数人の子供と保育士の女性が二人いるだけである。

 男は心の中でその男の母親がパートタイムで働いているのだろうと思いながら、「あの男の子は犬猫病院に預けられた子犬のようなものだ」と言うと、女房は「それはひどいわ。子供同士保育園で集団生活を送りながら保育士からいろいろ躾を教えられた方が、下手な母親一人から教えられるよりはずっと成果があがると思うわ」と反論した。男は心中「6時を過ぎたばかりこの時間だからあの子の母親は仕事を終えてこちらに向かっていることだろう。しかし今時の母親の中には自分が趣味ごととかいろいろ自分がしたいことがあって、幼い子供をこのような保育園に預けている者もいるのではないか」、と思いながら昔ナチスが子供たちを国家で集団で育てることをやっていたということを思い出した。

子供たちは国家の宝であるから、家庭教育が十分出来ない母親に育てられるよりは保育園で集団で育てられる方が良い面もある。問題は規格である。子供たちに対する躾の仕方についてコモンセンスのような標準が無いのが実情ではないだろうか?男は保育士の養成がどのように行われているのか一度調べてみようと思った。

テレビで何処かの保育園の様子が紹介されていた。お昼寝の時間なのだろうか、小さな子供たちはみなそれぞれの姿で眠っている。可愛い!小さな子供はかわいい。街で数人の保育士たちが園児たちを散歩に連れて行っているのをよく見かける。小さな子供たちがよく目立つようにと、皆黄色くて深い帽子を被って、手をつないでよちよち歩いている。年齢が低い子供は乳母車に乗せられている。子供をそのような保育園に預けている母親は安心であろう。ところが横浜などではそのような保育園に預けたくても保育園の数が少なく、待機児童の数が非常に多いらしい。

そういう問題を解消しようとして保育園を新設しようとすると、その保育園の近所の人たちが子供たちの騒がしい声に苦情を言うらしい。子供たちの声は騒音ではなく煩わしい音だから静かに暮らしている年寄りたちには我慢がならないらしい。その点車通りに面したマンション一階の保育園は問題がなさそうである。しかしガラス窓越しにじっとこちらを見つめていた小さな男の子のことが瞼にやきついていて、いつまでも気になっている。