2013年1月29日火曜日


恍惚の人(20130129

 35年ほど前だったか『恍惚の人』という題名の映画があったかと思う。男はその映画を観ていないが宴会か何かの席で仲間たちが皆の前でその題名でお芝居を演じて皆を笑わせたことがあった。「恍惚の人」は本人自身が本当に幸せでないと「恍惚」ではないだろう。

 今、差別用語は使わないということで「痴呆」のことを「認知症」という。アルツハイマー病のため直近のことを忘れるようになり、本人はもとより本人の家族もいろいろ悩みを抱えることになる。医療や福祉制度の充実とともに人間の寿命が延び、社会の高齢化が進み認知症の高齢者が増えている。男の継母(以下‘婆さん’という)もその一人である。

 数日前の夜中にその婆さんから突然電話が入った。「どうしたの?」と問うと「物忘れがひどくなった」と訴える。男は、婆さんは淋しくなったのだろうと思った。一年前婆さんは真夜中に家を抜け出し、日中よく散歩で通る警察署に行き「誰か見知らぬ男と女が勝手に家にきて泊っている」と訴えた。男と女房は独り暮らししている婆さんの面倒を看るため盆・正月はもとより、大体2カ月ごとに帰っていた。婆さんが認知症になってきているということはかかりつけの医師から聞いていた。その症状が妄想となって現れたのである。

 前の晩、婆さんは10時前に就寝し、男と女房も就寝した。その前に婆さんの様子が少しおかしかった。就寝後間もなく婆さんが男と女房が休んでいる部屋にやってきてなんだかかんだ話しかけてきた。男は婆さんを適当にあしらって寝室に帰した。ところが夜中の3時ごろ男は物音で目が覚めた。婆さんがまた何か言いに来たのだろうと思って寝ぼけ眼で「どうしたの?」と多少怒って言った。すると突然電灯が灯って「警察の者です」と男の声である。びっくりして飛び起きた。見ると警察官が二人立っている。婆さんがとんでもないことを警察に訴えたものだからそういう事態になった。

 翌朝婆さんはけろっとして「今朝早く散歩してきた」という。これはもう完全に認知症が進行している、独り暮らしは無理だと判断して急きょケアマネージャーに相談し、婆さんをとりあえずはショートステイに預けることにした。そして四月に開設される地域密着型の特別養護老人ホームに入居できるようにした。これはかかりつけの医師のアドバイスで7、8年も前から婆さんを幾つかの特別養護老人ホームのどれかに入居させることができるようにと申し込みを行っていたお陰で、非常に幸運にそのようなことができたのである。

 新しい老人ホームは個室でテレビや電話などを持ち込んで婆さんが普段独り暮らししている雰囲気を作ることができるようになっている。婆さんは其処で偶然にも35年前別れた近所の同じ年の女性とも出会って毎日同じような内容であるが話がはずみ、毎晩845分ごろ男と女房が電話するたびに「なんでも美味しい」「楽しい」「よく歩ける」「死ぬるのを忘れたようだ」「いつも電話ありがとうございます」と言ってくれている。長年独り暮らしをし、デイサービスを受けていた頃にくらべれば、その老人ホームでの暮らしは何人かの友達もでき、話し相手もいて、家屋敷を守ることとか一切の心配はしなくてもよく、まるで天国のようであるのだろう。認知度チェックのため「晩ご飯は何だった?」と質問してみたら「カレーライスだったよ。美味しかった」と返事が返ってきた。

 毎晩845分ごろ電話をすると「今帰ってきたところ」と必ず言う。「皆元気?孫たちも元気?」と言うのも口癖である。孫たち、つまり男と女房の息子たちはそれぞれ嫁たちが息子の名前で婆さんの誕生日や「敬老の日」やお正月に必ずお菓子を贈ってくれている。女房はときどき「年寄りの原宿」といわれる巣鴨などに行って婆さんに着せる衣類を買い求め贈っている。婆さんはそれを着ると友達から関心を持たれる。93歳にもなっているが「女だから新しい洋服を貰うと嬉しい」と言う。

 婆さんは毎晩845分ごろまで共同の部屋で夕食後友達とテレビをみたり、しゃべったりして時間を過ごしている。婆さんに毎晩定刻に電話することを時々忘れていたが、数日前、夜中に婆さんから突然電話が来て以来、男と女房はタイマーをセットして毎晩845分という定刻に婆さんに電話を入れている。婆さんはそのことを感謝してくれている。男と女房にとって婆さんが毎日幸せだと口癖のように言ってくれていることが大変有難い。男と女房はノロウイルスが流行っているから面会は出来ないという連絡があって今度のお正月には帰らなかったが、春になれば帰って婆さんに会おうと考えている。「死ぬことを忘れたみたい」という婆さんも、いつ急変があるか判らない。「終わり良ければ全て良し」である。男と女房にとって婆さんが寿命の尽きるときまで「幸せ、幸せ」と言い続けてくれることが有難いのである。