2013年1月28日月曜日


自分の聴力を知ること(20130128

 音が聞こえない人や難聴の人は手話が判る相手と手話で通話する。健常者が当たり前と思っていることでもそういう人たちにとっては当たり前ではない日常がある。先日テレビでそういう人たちが集まる居酒屋のことが紹介されていた。男はそれを見ていて大変楽しそうだなと思った。しかし、そういう仲間に入るには自分自身が手話で通話することができなければならない。その居酒屋の常連客の中には手話通話が堪能な健常者もいるようである。街角にそういう手話で話が通じる店が増えればきっと楽しいに違いない。

 同じように目の不自由なひとたちのためにそのような店ができるとよいと思う。おそらくそういう店を開いても採算が合わないだろう。そこはそういう店を開くことを支援するような社会的仕組みが必要である。昔はそういう耳が不自由とか目が不自由な人たちに対してあまり目を向けていなかった。今は豊かになってそういう人たちに国も地方自治体も目を向けるようになった。

 一方で加齢とともに目も耳も歩行も不自由になってくる。若い人たちでも年をとると皆そのような社会的弱者になる。それから逃れることはできない。勿論、メガネとか補聴器とか歩行器などの器具をうまく使えば不自由さをかなり減らすことは可能である。人は必ず衰えてゆくのだから、まだ若い元気なうちに自分自身がそういう社会的弱者に必ずなるということ知って、早々と手を打っておくことが利口な生き方である。

 実は男は詩吟をやっているため最近気になることがある。それは聴力に関してである。自分が録音した自分の吟詠を聞いてみて以前のように力強さや声の伸びが無くなったと感じている。加齢とともに聴力は必ず落ちる。普通は高音域が低下するがそれとともに低音域も低下する。

  男は以前定年退職後一時期、補聴器を専門に取り扱う店でアルバイトをしたことがあった。其処のオーナーが良い人だったので男は短期間でかなり専門的なことができるようになっていた。補聴器を合わせるため耳の穴の形をとることもコンピュータで補聴器を調整することもできるようになっていた。

  介護専門のNPOを立ち上げそのNPOの経営の基盤を作る仕事が忙しくなったのでそのアルバイトは辞めたが、その店で働いていたお陰で耳のことにはある程度専門的な知識を身につけることができた。だから詩吟をやっている自分の聴力のことが気になりだしたのである。男は一度自分の聴力を専門的に測定してもらおうと思っている。

  今はどうか知らないが、その店では当時70歳上の人には無料で聴力を測定するサービスを提供していた。其処では音域が横で聴力が縦に出るグラフを顧客に提供していた。自分の聴力の実態が把握できれば対処の仕方がある。男はもし自分の聴力に問題点があれば、詩吟を詠うとき補聴器を付けてやってみようと思う。軽度の難聴で必要に応じて使用する補聴器は音域の調整が可能な耳かけ式のもので十分である。