2013年1月26日土曜日


天涯孤独になったある友人のことを思う(20130126

 男より9歳年長であるが心が通い合うある友人から封書の手紙が届いた。封を閉じる所にローマ字表記の名前とアラビア語表記の名前を併記したものを線で囲ってある金色の印が押されている。彼は現役時代中東のある国でその国の電気通信網の建設に従事していた。男とは仕事を通じて知り合った。男にはもう一人同様に仕事を通じて親しくしている年長の友人がいる。彼は男が管理していたある施設の植栽を担当する企業に勤めていた。どういうわけか男はそういう年長の方々に目をかけられていた。年長のそういう親しい友達がいずれあの世に逝ってしまったら、男はきっとさびしくなることだろうと思う。その前にしておかなければならないことを考え、是非しておこうと思う。

アラビア語併記の印を押した封書の手紙をくれたその友人は、300年も続いた旧家の出である。その旧家は跡を継ぐ者が絶え、末弟であったその友人が都内のある大きなお寺に頼み込んでその旧家のご先祖の供養の祭祀を行うとともに、自分自身に子がいないので家名も絶えてしまうことをご先祖に報告し、詫びたという。

 その友人は2年前に最愛の奥様を亡くされた。その奥様の葬儀は奥様の実兄がいる実家でその兄がその友人の実の兄のようにして、すべて取り仕切って行ってくれたそうである。ところがその兄が突然他界してしまった。男の友人は拠り所を一切失ってしまったのである。その友人は自分がいずれこの世を去った後も最愛の奥様の供養ができるようにと件のお寺に頼んで亡き奥様の50回忌に亘る通歴の法要もしてもらっていた。

 男はその友人からそのような経緯が綴られている手紙を頂いて、ふと唐の時代の文章家で詩人であった柳宗元という人が作った詩『江雪』に込められている情景を頭に浮かべた。その詩というのはこうである。
 千山鳥飛絶(千山鳥飛ぶこと絶え) 萬経人蹤滅(万経人蹤滅す)
孤舟蓑笠翁(孤舟蓑笠の翁)    獨釣寒江雪(独り釣る寒江の雪)

この詩を男は以下のように解釈した。
山々を見れば鳥一羽も飛ぶ姿はない。道という道は雪に埋もれ人が通ったような足跡もない。一艘の舟の中に笠をかぶり蓑を着た独りの老人が座っている。その老人は寒々とした冬の川に釣り糸を垂れている。風景の中から切り取ったその情景はまるで薄墨で描いた水墨画のようである。その情景の中に、独りの老人として私(柳宗元)自身、或いはこの詩を鑑賞する人自身が投影されている」と。

笠をかぶり蓑を着た独りの老人が一艘の舟の中に座って寒々とした冬の川に釣り糸を垂れている。その老人が天涯孤独の身になった件の友人と重なる。その友人は会社を定年で退職した後九州のある田舎町に家を建て、奥様と二人で暮らしていた。その奥様が亡くなられたあと一人住まいをしている。ご近所の方々がその友人のことをあれこれ何かと気遣ってくれているそうである。

男は明日その友人に電話を入れ何処かで会う話をしようと思った。会って何かを話してその友人を慰めようというのではない。できれば名所旧跡にでも一緒に訪れ、一緒に温泉に浸かって身体を温め、良い板前さんが造る新鮮な魚料理を美味しい大吟醸酒と一緒に味わう機会を持とうと考えている。

アルジェリアで日本の企業戦士10人がイスラム武装集団によるテロによって非業の死を遂げた。男のその友人は現役時代ある大手の通信機器メーカーに勤めていて、中東のある国の電気通信網の建設に関わりその国の発展に貢献していた企業戦士であった。男は9歳年長のその友人から、ローマ字表記とともにアラビア語で表記した名前が併記されている印を押してある封書の手紙を頂いて、企業から派遣された遠い外国で、その企業のため、日本のため、そしてその国の発展のため貢献している名もなき戦士たちのことを思わずにはいられない。国家観がなく、日本国民として恩恵を受けていながら自分の国を愛さず、大企業を悪ととらえ、社会的弱者のみに目を向ける政党や政治家たち、国家のことよりも自分自身の利益のため行動する政治家たちに対して、既にあの世に辿り着くまでそう長い時間はかからない年齢になっている男は強い憤りを覚えざるを得ないのである。