2013年1月31日木曜日


日本国歌「君が代」と世界の国歌を比べて考える(20130131

 日本の国家は「君が代」である。自虐史観に捉われている世代の日本人は国家「君が代」と聞くと戦争にまつわる歌というイメージを抱く。事実、元首相菅直人氏は国会における質問に答えて「日本の国歌は変えた方がよい」という趣旨の答弁をした。今はどうか知らないが当時公立学校で国歌斉唱時起立しない教師たちがいた。彼らは処分を受け、その処分をめぐって裁判で争われた。

 サッカーの試合などで国歌「君が代」が演奏されるが日本の選手たちの多くは大きな声で斉唱しているようには見えない。これはおかしなことである。大阪の橋本市長は国旗・国歌に対し敬意を表しない教師は処分すると宣言し、実行している。

 日本の国歌は「君が代は 千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて 苔のむすまで」というもので、原型は『古今和歌集』巻第七「賀(がの)(うた)」の343番の歌に「題しらず」「読人しらず」として「わが君は千代にやちよに さざれ石の巌(いはほ)となりて 苔(こけ)のむすまで」である。その歌詞にある「君」について学者・著名人・日教組等からいろいろな意見があることは事実である。しかし、古代において天皇は「大君(おほきみ)」と呼ばれていたことも事実である。古代において「君」は一般に大切な人や高貴な人を指していた。例えば万葉集巻一の二〇に、天智天皇が蒲生野(がもうの)に遊猟されたとき同行した大海人皇子(後の天武天皇)に対して額田王(ぬかたのおおきみ)「あかねさす 紫野行(むらさきのゆ)き 標野行(しめのゆ)き 野守(のもり)は見(み)ずや 君(きみ)が袖(そで)(ふ)る」とあるように「君」は大海人皇子であった。額田王は天智天皇に寵愛されていたという宮廷歌人である。この歌に対して大海人皇子は「むらさきの にほへる妹を 憎くあらば 人嬬(づま)ゆえに 我が恋ひめやも」と答えている。

 現代において友人や同僚などに対して「〇○君」と言ったり、会話で例えば「君(きみ)、それは違うだろう」と言ったりするように、「君」は明らかに天皇を指すものではないことは確かである。国会議員同士は議会で「〇○君」と呼んでいる。そこで国歌「君が代」を現代風に解釈すると「わたしたちの国・日本国は、わたしたちの子子孫孫の末の代に至るまで、今後千年も八千年経ても、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどになるまでも、長く長くずっと続きますように」という意味になる。

 これに対して世界の国々の国歌はどうであろうか。

 フランス国歌「(前略)子どもや妻たちの首をかっ切るためにやつらは我々の元へやってきているのだ! 市民らよ武器をとれ 軍を組織せよ 進め! 進め! 我らの田畑に汚れた血を飲み込ませてやるために!」

 シナ(中国)国歌「いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ! 我らが血肉で築こう 新たな長城を築かん・・(中略)・・敵の砲火に立ち向かうのだ! 進め!進め!進め!」

 イタリア国歌「(前略)主が創りたもうたローマの僕(しもべ) 我がイタリア その美しい髪を捧げよ さあ隊列を組め 我等は死をも恐れない イタリアが呼んでいる そうだ!」

 アメリカ国歌「おお 見えるだろうか 夜明けの薄明かりの中我々は誇り高く声高に叫ぶ 危難の中城壁の上に 雄々しく翻(ひるがえ)る太き縞に輝く星々を我々は目にした 砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 我等の旗は夜通し翻っていた ああ 星条旗はまだたなびいているか? 自由の地 勇者の故郷の上に!」

 一部の人々はなぜ日本国歌「君が代」が嫌いなのだろうか? 世界各国の国歌に比べて日本の国歌ほど歴史と伝統があるものはないのではないだろうか? 白地に赤い日の丸の日本国旗とともに「君が代」の日本国歌は万世一系の天皇を頂く日本の国体とともに、日本人の魂の根源である。深層心理学でいう「セルフ」を表すものである。これを否定したら日本人の精神状態は正常では無くなること必定である。

 日本を貶めたいと考える人々は、あらゆる謀略・思想工作・情報工作を通じて日本人の深層心理にある「セルフ」そのものを破壊しようとするだろう。事実その活動に踊らされている政治家や一部の日本国民やマスコミがいる。日本人は自身の心の深層にある「日本人としてのセルフ」に気付くことが最も重要である。他国が自らの愛国心教育のため行っていることを無批判に受け入れ、「日本人は悪いことをした」と心の何処かで思っていることは大変間違っている。過去を反省することは必要であるが、自虐史観は払拭してしまわなければならない。さもないと日本が「千代に八千代に」栄えることはできないだろう。