2010年6月6日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(78) (20100606)

 福岡往復の航空券をインターネットで購入済みであったが女房の体調が良くないので今回は男だけが独りで帰省することにし、女房の分はキャンセルした。さらに男の分も1週間の予定のところ早く切り上げて向こうに3日居て戻ってくることにした。スーパー旅割の格安料金であったので多額のキャンセル料をとられてしまった。2月に女房が帯状疱疹を患いそのときも葬式や法事で帰省するため航空券や宿を取っていたがそれもキャンセルした。今年は多額のキャンセル料を払うはめになってしまった。老母も今年の冬を越すにあたって大丈夫かと言う気にはなっている。ちょくちょく九州に帰るという従来のやり方ではそろそろ立ち行かなくなってきたように思う。

 男はもともと父祖の地大分に帰ってそこに住み続けるということを考え続けてきた。そろそろそのことを真剣に考えなければならない時期に来たと思う。男は「人生至るところに青山あり」の考え方をしており、どこに住んでもよいのであるが、やはり地縁血縁の深い郷里が一番住み心地がよいと感じている。何も喧噪の、空気が汚れている都会地で人生の晩期を過ごしたいとは思わない。

 ところがどこでも女性はそうらしいが、女房も母のことで一時的短期間に田舎で暮らすことはやむを得ないと考えているが、終生そこに住む気はない。その理由はいろいろな不便と医療への不安と、心通わせている友との距離的別離への淋しさなどがあるからである。

 男のある友人は千葉に住んでいたが定年後妻子と別れ、福岡に移住し、新たな伴侶を得て日々晴耕雨読の暮らしをしている。彼は男の影響を受けて何年か前から詩吟にも親しんでいるということである。九州帰省の折には是非立ち寄れといつも書き送ってきてくれている。是非一度のその暮らしぶりを覗かせてもらおうと考えている。

 女房はそのような隠居・遁世の暮らしかたを望んでいない。男と女とでは考え方が全く違う。どちらかがどちらかに折れて、まあ半々のところで折り合って落ち着くしかない。お互い共通していることは老後は煩わしいことから離れて自由気ままに暮らすことであるということである。しかし身内に要介護者がいて、しかも老老介護を余儀なくされる状況に至るとその願望は願望だけにとどまってしまう。

 それでも老母が独居している田舎の山間の町では僅かの土地を借り受けて耕作することは不可能ではない。老老介護のかたわらそのような晴耕雨読の暮らしができないことはない。都会好きの女房と離れて暮らし、ときどき女房が田舎に帰って来、ときどき男が都会に戻って来る、そのような結構な生活を1、2年間続け、そのうち母の状態次第で女房も一時的に田舎に暮らし、母を看とる。そのようなことも考えられる。

 今年は多額のキャンセル料を取られて馬鹿をみているが、それは状況の変化に対応する仕方の勉強のコストであると考えて、損失を利得に転換しなければならないと思う。

25 よく気をつけていて、明らかな知慧あり、徳行をたもち、学ぶところ多く、しっかりしていて、敏捷な人に親しめよ。諸の星が月にしたがうように。