2010年6月27日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(99) (20100627)

 最近、このブログは公開日よりも数日以上前に書いている。今日(23日)の金魚の水槽の水替えなど行ったのであるが、夕方近くになって新羽町のヨネヤマプランテイションまで行って熱帯魚の水槽で使っているEHEIM(エーハイム)のフィルターパッドを買いに行った。ついでに女房が喜ぶと思って尾ひれが美しいオスのグッピーを5匹買った。

 夕食後早速エーハイムのフィルターを交換しようとして作業を始めたのであるが、肝心のエーハイムが壊れてしまった。これはもう3年以上も使っているので蓋を開け閉めするとき負担がかかる部分のプラスチック製の部品が破損してしまったのである。

 やむなく水槽には2個のモーターで応急的に2か所にエアーを送り込むようにした。明日またヨネヤマプランテイションに行って代わりのものを買わなければならなくなった。

 以前は水槽の上部にフィルターを置く方式のものを使っていた。エーハイムに変えてからはその性能に満足していた。さすがドイツ製だと思っていた。しかしこれは取扱いになれない者にとってメンテナンスが難しい。メンテナンスは女房にも難なくできるものがよい。九州の田舎に女房と一緒に帰り1週間ぐらい家に不在になるとき、もし大地震が発生したとき上部方式とエーハイムのどちらが安全か考える。いろいろ思案し、また以前の上部フィルター方式に変更しようかと思う。

 このような物をもたなければあれこれ悩むこともない。女房は他人ではないが、自然や花や植物や動物やいろいろ観賞用の生き物が好きな女房を喜ばせてやろうとわざわざグッピーを買ったことは、下記42番のブッダのことばのとおり自分の悩みになっている。しかしこの悩みは喜びでもある。何故なら「自分が思うがままになし得る主」であるからである。

41 何物をももっていない人々は楽しんでいる。何物をももっていない人々は知慧の徳をもっているからである。見よ!人々は人々に対してかたちが縛られ、何物かをもっているために(かえって)悩んでいる。


42 他人に従属することはすべて苦しみである。自分が思うがままになし得る主であることはすべて楽しみである。他人と共通のものがあれば、悩まされる。束縛は超え難いものだからである。