2010年6月17日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(89) (20100617)

力士たちの野球賭博のことが問題になっている。相撲協会の自浄作用が問題視されている。賭博は昔から裏社会に生きる人たちの収入源になっていた。力士たちが野球賭博をし、相撲賭博に必要な力士たちの状態に関する情報を得ることが暴力団の目的であると言われている。警察は暴力団の資金源を断つため琴光喜が野球賭博をし、暴力団関係者から脅されて口止め料を払ったことを告白したことを契機に行動を開始した。

男は暴力団のリーダーになるような人たちは知能や行動力は優れていると思うので、裏社会で生きなくても表社会で堂々と実力を発揮できる素質を持っていると思う。しかし裏社会の方が収入が多く、面白味があるからそこから抜け出せないのだと思う。アメリカではかつてマフィアが勢力をふるっていたが、国家権力は彼らの資金源を断つ作戦でマフィア撲滅に成功した。撲滅といっても地下で依然として生き残っていると思うが・・。

アメリカでも韓国でもカジノなど娯楽のビジネスが盛んである。そこではかつて裏社会で生きていた人たちが表社会に躍り出てちゃんとした市民生活を送っているに違いない。男はこの世から悪は絶対に無くならないと思う。やたら正義感だけで悪を撲滅しようなんて考え方はあまりにも幼稚だと思う。日本も合法的な賭博も出来る娯楽ビジネスを盛んにすればよい。‘合法的’と言うのは賭ける金額について法的な制限を加えることである。

わが国には清水次郎長など任侠の世界で生きる人たちがもてはやされていて芝居や映画にもなっている。勿論アメリカにもマフィアを扱った映画が人気を呼んだ。しかしアメリカと日本の大きな違いは人殺しの無慈悲さの違いである。アメリカ映画では銃を使うせいもあってか無慈悲に人を殺す。そこでは人間は‘人’ではなく‘物’である。

日本では切腹という公然とした儀式による‘自害’がある。勿論、平安時代の昔から儀式抜きの‘斬首’という処刑はあった。公衆の前で手足を十字の柱に縛り付け、槍で突き殺すという処刑もあった。箱根ではお玉と言う若い女性が嫁ぎ先から関所を経ずに裏道で在所に帰ろうとして捉えられ、そのような惨い処刑をされた。以来代官はそのことを実行せざるを得なかったことで心を痛め、以後は「道を間違えた」という取り計らいで見逃したという。キリシタン弾圧でも自ら死を望む者以外を救おうとした。

世界で最も大きな無慈悲な行為の一つは広島や長崎への原爆投下である。東京大空襲である。東京だけではなく多くの大都市でも眼下で人々が逃げ惑う様子を想像しながら無慈悲に爆弾の雨を降らせた。日本軍が行ってきた戦争行為とはまるで質が違う。彼らは「少数の犠牲で大多数を救う」という論理のもと無慈悲を無慈悲と思わず地球上でもっとも野蛮な行為をし、勝てば官軍とばかりに日本の戦争指導者の言い分に耳を貸さず、‘日本人の魂の改造’の目的を達成するとう‘戦略的目標’を掲げて行動した。多くの日本人たちはマッカーサーを救国主のごとく崇拝した。「日本人よ大和魂を失うな」と男は叫びたい。

20 見よ、粉飾された形体を!(それは)傷だらけの身体という名のものであって、病に悩み、虚妄の意欲ばかりで、堅固に安住することがない。

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