2010年6月4日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(76) (20100604)


 男は政治家たちやテレビに登場し影響力のある報道関係者や論客や平均的日本人の間で、次の二つの言葉の定義について「よく分かった」という共通的理解がなされていないということに気付いた。それは一つは「抑止力」という言葉と、もう一つは「沖縄に抑止力を配置する意義」という言葉である。

 この大変重要な二つの言葉が定義されずに民主党政権が誕生するまで過ごしてくることが出来たのは何故であろうか?言葉の意味が定義され、広く普遍的に了解されないままだと必ず問題が起きる。そうでなくてもものごとに内在する‘矛盾’というものは時間の経過とともに必ず大きくなってゆくものなのである。

 なぜ上記のような重要な言葉がきちんと定義されないままに今日まで来たのであろうか?その根本原因は、われわれ日本人は昔から言葉よりも以心伝心というコミュニケーションの方法を大事にし、しかも古来そのやり方でうまくやってきたところにある。法廷以外の日常生活の中では言葉を使って論理的に話す者は「理屈っぽい」と非難される。「まあまあ」「なあなあ」で話をまるく収める。普天間の問題も自民党政権時代に「まあまあ」「なあなあ」と丸く収められていたが、民主党政権に変わって矛盾が一挙に噴き出したのだ。

 鳩山首相によって「抑止力」という言葉が一挙に表に出たが、一般国民はそれはアメリカが担っているものであると単純に思っているように見える。しかし抑止力は在日アメリカ軍と自衛隊の協同により効果を発揮できるものである。沖縄における抑止力ではアメリカ軍が非常に大きな部分を占めているが、それは海上自衛隊の対潜哨戒機や護衛艦による哨戒活動や航空自衛隊のレーダーサイトや戦闘機による警戒活動なしでは成り立たないものである。そのことを理解していない国民は非常に多いと思う。

 沖縄にそのような抑止力が存在するということは、日本の安全保障にとって必要である。軍というものは一朝有事に際し即応できなければ存在価値はない。北東アジアの情勢は緊迫している。東南アジア諸国が平和であるということはわが国の平和と繁栄のために必要である。抑止力は北東アジアと東南アジアににらみを利かせる意味おいて、然るべき場所に存在していなければならない。その然るべき場所が沖縄なのである。

 しかし男は、沖縄には日本の安全保障にとって必要以上のアメリカ軍部隊が展開していると思う。基地も多い。アメリカ軍機の墜落事故やアメリカ兵による犯罪も多い。沖縄の人たちはアメリカ軍の基地が存在することによる負の部分が大きいと感じている。その負の部分は国として何らかの補償をしつつ、将来的には沖縄にはわが国にとって必要最小限のアメリカ軍部隊の駐留としなければならない。

 男は、人々が単純に「沖縄にアメリカの基地は要らない」と言うのを情けなく思う。テレ朝の鳥越氏もその主張をしている。全ての問題は言葉の定義と国民的了解の欠如にある。

23 もしも愚者が「われわれは愚かである」と知れば、すなわち賢者である。愚者でありがら、しかも自分では賢者と思う者こそ、「愚者」と呼ばれる。