2010年6月30日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(102) (20100630)

 今日(28日)、わが家も夕刻にはエアコンの電源を入れた。日中はいろいろ作業をしていたので、タオルを首に掛け流れ落ちる汗を拭いながら耐えていた。夕立あり一時気温が下がったが、夕刻になりリラックスする時間帯になってまた気温・湿度ともに上った。ついに女房が「冷房を入れましょう」と言う。全室の窓を閉め、エアコンを入れるとこれまでの蒸し暑さが一挙に解消し、快適になる。しかし、CO2の排出は増える。

 昔、子供のころ農家で暮らしていたが、戦後のことでもあり、エアコンなど洒落たものは何もなかった。今日のように気温31度、湿度75%のような蒸し暑い日々が続いていたと思うが、今のようにそれを著しく不快には感じていなかった。

 屋根は藁ぶきであった。夏の夜、全ての窓は開けたままで、蚊帳を吊ってその中に布団の上にござを敷いて休んでいた。ドロボーなどの心配は全なかった。朝早く起き、夜は早く休んだ。昼は午後の暑い盛りの時間帯、皆昼寝をした。子供頃の男は東の縁側で昼寝をしたが、東風(‘こちのかぜ’と呼んでいた)が吹き抜け涼しかった。おやつは井戸につり下げて冷やしたスイカやまくわを食べた。

 現在のように除草剤もない時代であったので、子供でも田の草取りの作業に出ていた。稲のうねの間を手で押して水中の土を耕す器具を転がしたり、四つん這いになって草をむしり土中に埋めたりしていた。今思えばかなりの重労働であったが当時の農村の子どもたちは当たり前のように、そのような農作業に従事していた。

 田植えや稲刈りなどのとき一家総出で作業をしたが、そのようなとき祖母が手作りのおやつとお茶を持って来てくれて、皆で休憩の時間を楽しんだ。おやつで男が記憶している物は、サツマイモ(唐いもがなまってそう聞こえたのかもしれないが‘トイモ’と言っていた)をスライスして乾燥させ、粉にしたものを練って薄伸べしたものと、小麦粉を練って薄伸べしたものを交互に重ね、丸めて茹でると、白と黒の渦状になるが、それを適宜切ったものが美味しかった。敢えて名付ければ‘田舎風カステラ’である。

 女房の母親は男の家に後入りで来たため、女房は子供時代母親と別居し、同じ農家である母親の実家の大家族の中で過ごした。女房はよく話してくれるが、昼寝の時間にそっと抜け出し、‘子供同士で近くの田んぼの脇の水路でフナなどの魚を獲ったり、農業用水路で水浴びをなどしたりして遊んでいたそうである。そのそっと抜け出す様子、子供の頃の女房の姿を想像すると一層愛しく思う。今の老いた男が、昔の、その家では女房の母親の弟妹たちの一番下の‘妹’のように可愛がられていた子供の頃の女房の格好を想像している。

 近くで子供たちがバレーボールを投げたりして遊んでいる。すぐ近くに川が流れているが子供たちが水浴びできるような川ではない。都会地ということもあり、子供たちはそれが当たり前の世界ではあるが、のびのび遊ぶ環境がない今の子供たちを可愛そうに思う。

48 他人を悩ます人々のあいだにあって、われらは人を悩ますことなく、いとも楽しく生きて行こう。他人を悩ます人々のあいだにあって、われらは人を悩まさないで暮らそう。