2010年6月19日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(91) (20100619)

   男は最近自分の体の老化をかなり意識しはじめている。肢体、特に足の疲労がなかなか抜けきれない。何処か山村の宿の温泉にでもゆっくりつかり、数日間過ごせば元気になるのかもしれないと思う。気管支か喉の不具合が完全に治っていないせいか、たまに咳や咳ばらいなどをして気道になにか引っかかっているかもしれない極小の物質を除去したつもりであると、暫くの間は良い状態が続く。気道の形が変わるせいか睡眠中は全く問題ない。

  3週間ほど前に夜中に咳き込んで医者にかかって以来、アレルギーの元になる原因物質、衣類の防虫剤などを自分の周りから一切除去したり、早寝早起きをし良く睡眠をとるようにするなどして環境改善と養生に努めた結果段々によくなって来ているが、まだ完全に治ってはいない。あと1、2週間様子をみて要すれば呼吸器官系の診察を受けるつもりでいる。

  齢をとれば精密機械のような体のあちこちにガタがくる。見た目若く健康そうに見えても中身は確実に衰えている。男は「あの世」に逝く支度を急がねばと思う。

  昨日Nさんは、NさんとNさんの奥様の縁のことを話して下さった。お二人とも終戦まで満州で育ち、住んでいた場所が異なっていたのでお互い知らない間柄であった。ところが、多分Nさんのお父様のお仕事の関係であったのであろうか、奥様はNさんのお父様を知っていた。戦後引き揚げてきて、どういう因縁かは聞いていなかったがNさんは今の奥様と結婚した。Nさんの奥様も男よりは年長である。終戦時Nさんは12歳、奥様も同じ年ぐらいだったのであろう。Nさんは大陸での経験を語り合える伴侶を得たことが最大の幸せだと言う。男はそのことを十分理解できる。

  Nさんはお父様と満州で生き別れ、お父様がソ連に抑留され病院で亡くなったことを後で知ったという。Nさんは12歳で一家の柱、母や幼い弟や乳飲み子の妹などと奉天で流浪の旅をしているとき一家が所持していた時計など身の回りの品々を路上で売って生活費を稼いだという。その時通貨がソ連、国民党、八路軍と巡るましく変わり苦労したという。

 Nさんはまだお父様の消息がはっきりしない30代のときある機械の輸入ビジネスで財をなし鎌倉に7.5坪の墓地を確保していた。後にお父様の遺骨が保存されていることを知り、その遺骨を決して焼却しないよう当時の厚生省に掛け合い、60歳のときついにその遺骨が手元に届いたという。奥様は家の内装をリフォームし、正装してその遺骨を迎えたという。

  Nさんのお父様方のご先祖は秋田県、お母様方のご先祖は新潟県であり、何代か前に北海道に移住し、その地の行政で共同墓地の移設話があった折、鎌倉に墓地を確保した。そこに41歳でシベリヤに抑留され苦労して病死したお父様の遺骨を納め、供養したという。
少女時代お父様を知っていたNさんの奥様とのご縁といい、神奈川県に移住してそこにNさんの先祖を祀る墓地を確保することができたことといい、男はそこに人智を超えた因縁を知る。「前世」「現世」「来世」はつながっているのだ。

36 見る人は、(他の)見る人々を見、また(他の)見ない人々をも見る。(しかし)見ない人は、(他の)見る人々をも、また見ない人々をも見ない。