2010年6月18日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(90) (20100618)

 男はH丘団地に住むNさんから招待され今日(17日)Nさん宅を訪問した。バスと地下鉄を乗り継いで、日吉・中山経由でわが家からNさん宅までおよそ1時間半かかる。公団集会所前に着くとそこでNさんが出迎えてくれていた。Nさん宅はそのバス停留所の近くにある。Nさんはその団地に初めから住んでいる。

 男は若いころ狭山の公団住宅に住んでいたことがあり、ある種の懐かしさを感じた。狭山の方は土地が広かったせいもあると思うが緑地部分が十分広かった。そこはここより数年後に出来たところで、作りはここより若干モダンであった。

 Nさんの奥様は料理が得意で、ご自宅で料理教室を開いていて団地に住む方を中心に10名ほどの生徒さんがいるそうである。初めに出された料理はイタリア料理風のかますのムニエルとそら豆のソースである。ワインはNさんの故郷小樽から以前贈ってきていたもので今日のためにとっておいたものである。その料理のディッシュにはプチトマト、そら豆、アスパラガス、バルサミユソースがあり、とても美味しかった。

 その後、春まき、シューマイ(ほたて貝入り)、レモンのきゅーり漬け、生うにのほたて貝あえ、茶わん蒸し、アスパラガスとえび煮、寿司(本まぐろ、鯛、金目だい、赤えび、みょうが)、わかめの味噌汁など頂いた。Nさんと奥様の心ずくしのおもてなしを受け、嬉しく思う。しかし男はそのようなおもてなしを自宅でするなんてことは到底できない。

 Nさんは男より3歳年長である。ずっと昔、仕事の関係で知り合い、以後今日までお付き合いさせて頂いているKさんも男よりはそのくらい以上に年長である。Kさんもそのころ横浜の左近山団地に住んでおられ、一度Kさん宅に招待され大変ごちそうになったことがあった。Kさんは食材にはこだわり、男はKさん宅で最も新鮮な魚の料理を頂いた。

 Nさんも同じように食材にこだわり、男のために最も新鮮な魚介類や野菜を買い求め、男が到着する時間に合わせて最も美味しく食べられるように料理して下さっていた。そのような心配りは男にはできないところがある。女房の方はそのような男の欠点を十分カバーして今日男がNさん宅を訪問するに当たってはいろいろ気遣い、心配りをしてくれた。

 女房は子供のころからよい躾を受け、また茶道も多少たしなんでいるため男には出来ないことが女房には出来る。3歳以上も年上のNさんやKさんには、ひとをもてなすということはどういうことかという、昭和一けた世代の教養がある。男は10代の大事な時期に母親がいなかったせいもあって、そのような教養には欠ける部分がある。


 Nさんは12歳のとき中国の当時奉天で、お父様は民間人であったのに軍人並みに扱われ、ソ連に抑留され、病死したという。民間人のソ連抑留は、関東軍参謀であったS氏がソ連と取引した結果だという。ソ連に抑留された人々への補償がついこの間の国会で決まったが、これまで抑留された人々が無視され続けてきた裏には何があったのか?!。

21 みよ、あのように宝石や腕輪で粉飾された形体を! それは愚人を迷わすには足りるが、彼岸を求める人々を迷わすことはできない。