2011年10月13日木曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(42) (20111013)

 琵琶(びわ)法師の語り物としての『平家物語』は作者不詳である。琵琶法師がいつ頃からこの物語を語り始めたのかも不明であるということである。私の手元に講談社学術文庫『全訳注 杉本圭三郎 平家物語』が(一)から(十一)まである。ときどき書棚から取り出して文語調の原文はざっと目を通すだけで現代語訳を読んでいる。琵琶法師が琵琶を弾きながら語ったとされるこの物語を読むと、これを書いた人はかなり歴史に詳しい人物で、しかもその人一人だけで書いたのではく複数の人がチームを組んでこの物語の登場人物に関する出来事やその登場人物の人となりに関する情報を集め、琵琶法師が語る原稿を書いたのではないかと、私は素人なりに想像する。

 平家とは権勢をほしいままにした伊勢平氏のことである。平氏には桓武平氏など四つの流れがある。桓武平氏の流れを汲む伊勢平氏が『平家物語』の主人公である。頼朝と義経の対立についてもこの物語の中で語られている。

 渡部昇一『日本史』の中で興味を引いた部分は頼朝の未亡人北条政子のことである。北条政子の実家北条氏も桓武平氏の流れをくむ土着豪族で在庁官人であったらしい。以下括弧(“”)で引用する。

“頼朝(よりとも)のあと継いだ二代頼家(よりいえ)、三代実朝(さねとも)の時代である。実質的に実権を握っていたのは頼朝の未亡人北条政子(まさこ)と、その背後にいる北条家であった。特に実朝の頃には実権は完全に北条家に移り、北条幕府と呼ぶべきものに変わっていた。源氏の血が絶えてからは、将軍職には公家から幼い子供を連れてきて据え、北条氏は「執権(しっけん)」として実質的な政治を行うようになった。

これが可能になったのは北条政子をはじめ、政子の弟義時(よしとき)、その息子の泰時(やすとき)と、北条家にすぐれた人物がいたからである。義時や泰時の立場から云えば、自分の姉、伯母(おば)と一緒になって北条幕府をつくったといってもよいだろう。”

“承久の乱は日本の国体の三度目の変化だと私は思う。この「日本の国体は変化すれども断絶せず」というのは、日本史および日本人の国民性を考えるうえでのキーポイントである。

一回目の国体変化は、第三十一代用明(ようめい)天皇の仏教改宗である。

二回目は源頼朝が鎌倉幕府を開いたことによって起こった。宮廷と関係なく天下を武力で征服し、守護・地頭を置いた。これは政治の原理の根本的変化である。

そして三回目の承久の乱では、先に触れたように三人の上皇を島流しにした。さらに順徳上皇の子で四歳だった仲恭(ちゅうきょう)天皇は在位わずか七十日で幕府によって廃された(当時は「半帝」とか、九条家出身なので「九条廃帝」などと呼ばれ、仲恭天皇と追号されたのは明治三年になってからである。

これ以降、皇位継承を幕府が管理することになった。宮廷の位でいえば、うんと低い武家の頭領が皇位継承を決めていくことになったのである。これはある意味で主権在民のようなもので、大きな国体の変化である。”    (続く)

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