2011年10月28日金曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(57) (20111028)

 “応仁の乱は将軍の権威を著しく衰えさせたが、それだけではなく、守護大名が家臣に実権を奪われるという事態も生じさせた。いわゆる「下剋上(げこくじょう)」である。こうした風潮の中、日本中に戦国大名が誕生することになった。

 戦国時代は約百年といわれるが、私はこの戦国時代がなかったら日本は実に寂(さび)しい国になっただろうと思う。戦国時代の武将の言行を書き留めた『名将言行録(めいしょうげんこうろく)』という本がある。この本は館林(たてばやし)藩士であった岡谷繁実(おかのやしげざね)(一八三五~一九一九)が戦国時代の武将から江戸中期の将軍までの事績をまとめたものである。いろいろな武将が戦場で発した言葉、実際の行動、また戦いに臨む心得、相手との駆け引きなど、さまざまな知恵が事細かに記されている。これはまさに日本の宝ともいうべき内容であって、日本人を利口にするのに大いに役立ったと思う。

 シナには春秋・戦国という荒れた時代があり、その時代の逸話を書いた『史記』や、歴代王朝の歴史の面白いところを抜いてまとめた『一八史略』などがあるが、『名将言行録』はそれに匹敵する書物である。明治になってから出版されたため、古典の感覚で受け取られないのが残念だが、これはシナの歴史における『一八史略』くらいの価値は十分にある。”

 “当時の戦国大名は権謀術策(けんぼうじゅつさく)を用いて権力を手にした者が多かったから、人間が賢くなった。上杉謙信だろうが武田信玄であろうが、知力を尽くして外交をやった。信長も秀吉も家康も同じである。その点では、戦国時代から家康に至る時代ほど、日本人の能力が発揮された時代はなかったのではないかと思われる。

 群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)とうのは確かに人間のレベルを上げる。ゆえに、まともな封建時代がない国は近代国家になれなかったといわれるのである。発達した封建時代があった国は西ヨーロッパと日本だけであって、インドにも中国にも朝鮮にもなかった。それらの国の近代化は、結局、植民地または半植民地の時代を通過するか、共産革命を通過するしかなかった。”

 “その群雄割拠のあと、一頭地を出(いだ)したのは織田信長(一五三四~一五八二)である。・・(中略)・・信長が日本を啓蒙時代に導いた・・(中略)・・啓蒙時代とは何か。これをひとことでいうならば、「宗教の権威を最高にしない時代」ということになる。・・(中略)・・比叡山の焼き討ち、あるいは一向宗の皆殺し・・(中略)・・長篠(ながしの)の戦いの有名な鉄砲の使い方・・(中略)・・三列に並んだ鉄砲隊が順番に一斉射撃・・(中略)・・これは西洋ではハプスブルグ家がオスマントルコと戦ったときに初めて使った戦法だが、それは長篠の戦いから百年あとの一六九一年のことである。また、ある戦場である一定の時間、弾を撃ち続けるという戦術的思想も信長がオリジナルである。この思想が実現するのは第一次世界大戦時のドイツ軍まで待たなくてはならない。・・(中略)・・皇室を背景に命令を下さなければ天下を取れないという大戦略をもち、・・(後略)” (以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用)                     (続く)

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