2011年10月18日火曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(47) (20111018)

 “実際に、時宗は元の来襲に対して、非常に立派に戦った。

 当時は元に滅ぼされかけていた宋から禅の高僧が次々に渡来していた。そのため、その頃から鎌倉の仏教は禅宗が特徴になる。その禅宗の教えを受けた時宗は青年ながら非常に肝(きも)が据(す)わっていて、これには宋の禅師たちも感服している。特に無学祖元(むがくそげん)に参禅してからは、その勇邁(ゆうまい)な気性に磨きがかかった。

 蒙古来襲のとき、時宗はまだ二十歳の青年であったが、いささかも慌てることなく泰然としていたのは、祖元の精神的指導に負うところが少なくないだろう。祖元もまだ二十歳の時宗のことを「二十年乾坤(けんこん)を握定(あくてい)して喜慍(きうん)を表情に出さず、外敵を掃討しても驕(おご)る素振りを見せない」といって称賛している。

 日本の武士たちはそれまで外敵と戦ったことがないから恐れを抱く者もいたらしいが、時宗に会うと皆奮い立って戦場に出かけて行ったそうである。時宗自身は鎌倉にいて動かなかったわけだが、それでも武士たちを奮い立たせるだけの何かを以ていたのであろう。頼山陽(らいさんよう)は『日本楽府』の中で、時宗のことを「相模(さがみ)太郎(時宗)は肝(きも)、甕(かめ)の如し」と表現している。”

 先の巨大地震被害を受けた福島第一原発の初動対処において菅元首相は東京を離れ現場に赴いた。それ以前においても菅元首相には官僚たちの信頼がなく、昔大学で勉強したというだけであるにもかかわらず「俺は原子力発電に詳しい」とうぬぼれ、初動対処を誤った。もし時宗が首相だったら放射能汚染に苦しむ今の状況は起きなかったと思う。

昔の指導者は仏教の指導者に師事して教えを受けていた。例えば古代において聖徳太子も聖武天皇も仏の教えを政治に反映された。戦犯処刑された東条英機元首相もそうであったが日本国の指導者は仏教の精神を心に刻んで政治を行ってきたと思う。しかし戦後特に民主党政権になって以降、各指導者は世俗にまみれ、私利私欲のかたまりのように見える。民主党員は起訴されている小沢元代表の恫喝と彼の子飼いのシンパに怯えている。

『夢中問答集』(校注・現代語訳川瀬一馬、講談社学術文庫)に夢想国師と室町幕府初代将軍足利尊氏の同母弟直義との問答を記録が収められている。その中に(問)「あまりに善根に心を傾けたる故に、政道の害になりて、世も治まりやらぬよしを申す人あり。その謂(いは)れあいや。」(答)「聖教(しょうきょう)の中に、癡福(ちふく、‘つまらぬ福’の意)は三生(さんしょう)の怨(あだ)と申すことあり。・・(中略)・・次の生に欲界(よくかい、‘淫欲と食欲の強い衆生の住む所’の意)の人天に生(しょう)じて、富貴(ふっき)の果報を得る故に、世間の愛着(あいちゃく)もいよいよ深く、罪業の薫力(くんりき)も亦重し。たとひ罪業をばさしも作らぬ人なれども、政務に心を乱したり。・・(後略)」とある。

民主党の国家観なき政治家たちは「市民」を標榜し、公式マニフェストに「憲法提言中間報告」あり、その中に「国家主権の委譲や共有へ」という下りがあるという。どういう人物がこのマニフェストをオーソライズしたか想像はつく。民主党は売国の危険政党である。時宗は「あの世」でこの国の現状を嘆いていることだろう。  (続く)

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