渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(69) (20111109)
例えば同じ頃のロンドンの人口は五十万くらいといわれている。それ以上増えなかったのは水がなかったのである。
それに対して、江戸は上水があるうえに、排泄物(はいせつぶつ)はすべて畑に返したため、非常に清潔だった。「江戸に廃物なし」といって、捨てる物は何もなかったといわれるほどである。・・(中略)・・
幕末から明治初年にかけて数多くの外国人が来日しているが、皆が感嘆しているのは江戸の町が清潔であることである。
また、彼らは子供が楽しそうな様子でいること、泥棒がいないことも特徴に挙げている。
治安についていえば、日本の旅館の部屋にはドアがない。ところが、卓袱台(ちゃぶだい)の上に財布を置いて旅行に行っても、帰ってきてみると財布は盗まれずにそのままあったこと、当時来日したアメリカの動物学者、E・S・モースも感激して手記に書いている。
江戸の治安維持を行っていた警察官にあたる同心(どうしん)などは百人単位で数えるくらいしかおらず、その上役にあたり、南町奉行(ぶぎょう)所・北町奉行所に配備されていた与力(よりき)の数はわずか二十五人しかいなかった。ちなみに、同心の下働きをしていた岡っ引き、目明(めあか)しというのは町人であった。百万の人口を考えれば、この人数の少なさは驚きである。それほど治安がよかったという証拠である。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より)
Wikipdiaで「玉川上水」のことが写真付きで詳しく紹介されている。私は若いころ小平付近で玉川上水を見た。その頃私はその「玉川上水」が歴史的にどんなものであったか多少関心を持っていたがそれで終わってしまっていた。あの頃が懐かしい。今、あらためてこの上水の歴史を知り、私の意識は往時の情景を脳裏に描いている。往時の人々の動きや町のざわめきや、人々の話し声などが聞こえてくるようである。まるで自分がタイムスリップして何世紀も前の江戸の街中にいるようである。
歴史を調べるということにより、そのように自分自身の意識を延伸させてその歴史の当時の状況を想像し、自分自身をその当時の状況の中に観察者のように置くことができる。そして自分がこの世に生れ出る以前の過去から、自分がこの世を去った後の未来まで自分はずっと生きているのだという気持ちになる。肉体としての自分の生死にはあまり関心を持たないような気分なる。 (続く)
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