2011年11月26日土曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(86) (20111126)

 “しかし、西郷にしてみれば一応勅許(ちょっきょ)はもらっており、それが潰(つぶ)されるとなるとメンツが潰されたも同然である。また西郷の感覚としては、新しい政権を取った者が贅沢(ぜいたく)をしているのが気に食わないという考えもあったと思う。これは西郷の全くの誤解なのだが、例えば大久保が立派な洋館を建てた。これは外国人と会うときに長屋で会うわけにはいかないというのが理由だった。事実、明治十一年(一八七八)に大久保が暗殺された後で調べてみると借金しかなかったといわれるから、決して権力にものを言わせてカネを儲けたわけではない。

 しかし、西郷の心境としては、「お前たちに贅沢をさせるために維新をやったのではない。これでは士族たちがかわいそうではないか」となる。その頃はすでに版籍奉還(はんせきほうかん)、廃藩置県(はいはんちけん)がなされて、士族たちの地位は相対的に低下していた。そのうえに商工業を国家建設の中心とするならば、維新を実現させた武士たちは完全に割を食うことになる。

 西郷の倫理観からすれば、大切なのは「士」と「農」であって、武士が武士らしく生きることのできる国をつくることが何よりも大切であり、そのためには食べる分のコメがあれば十分で、余分なカネは必要ない。武士と農民を大切にするのが新国家の使命だと考えていたようである。

 だが、現実はそううまくは行かない。特に自分の目で西洋文明を見てきた使節団の一行にしてみれば、「武士の覚悟なぞでは勝ち目はない。商業と工業を伸ばさばければ駄目だ」という思いがある。「士農」を中心に据(す)えるべきとする西郷と、「商工」重視の洋行組との決定的な対立点であった。

 自分の意見を退けられた西郷は、クーデターによって大久保たちを打倒することはできたはずである。しかし、彼はそうはせず、潔(いさぎ)よく下野(げや)して薩摩に帰るのである。結果として、この後、明治十年(一八七七)に西南(せいなん)戦争が起こるわけだが、これは西郷が起こしたというより、周囲の状況が彼を戦争に引きずり込んだと見る方が正しいだろう。彼には権力を私物化する意思などこれっぽちもなかったのである。”

(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用)

 TPP反対を叫んだ自民党議員の中には「農業が壊滅的打撃を受ける」と本気に信じた者もいただろうし、農業従事者の票が欲しかった者もいただろう。或いはTPPには参加しなければならいが、アメリカの言うなりにならないために反対を唱えた者もいただろう。

 アメリカはオーストラリアに海兵隊を駐留させ、中国を牽制すること明確に打ち出した。その中国は「地域支配戦略」を明確に打ち出し、アメリカの打撃力を強く意識した軍備を増強させている。情報戦やサイバー戦はすでにかなり進んで、サイバー攻撃では日本でもかなりの被害が出ている。

 中国は奇襲作戦を重視している。「周辺国を支配する」というのは中国4000年の歴史の中で一貫した国家的意思である。国際的ルール違反を平然と実行するのが中国の「性格」である。「性格」は生涯絶対変わることはない。              (続く)

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