2011年11月17日木曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(77) (20111117)

 “ルース・ベネディクトは日本の文化を「菊と刀」で表現した。「菊」とは、本居宣長(もとおりのりなが)が「敷島(しきしま)の やまと心を人問はば 朝日に匂ほふ山桜かな」と詠んだような優しい気持ち、平安朝文学をつくったような雰囲気のことである。一方、「刀」は大和(やまと)魂であり、鎌倉武士に象徴される武士道になる。したがって、大和心というのは菊派の大和心と刀派の大和心(大和魂)の二つがあることになる。

 これを人間のあり方として見れば、両方を備えた人が好ましいということになる。どちらの比重が大きいかは人によっていろいろ違うと思うが、武のたしなみがって心が優しいという人が日本人の理想像になるわけである。

 この菊と刀を神代からある「和魂(にきたま)」「荒魂(あらたま)」という言葉で表せば、菊は和魂派で大和心、刀は荒魂派で大和魂ということになる。この二つの大和心は時代によって現れ方が異なり、戦争中は刀派、荒魂派の大和心(大和魂)が随分主張されたし、平和な時代は菊派・和魂派の大和心が主流となった。

 江戸時代にうたわれ、今でも花柳(かりゅう)界でうたわれている今様(いまよう)がある。「花より明るく み吉野の 春のあけぼの見渡せば 唐人もこま人も 大和(やまと)心になりぬべし」というものだが、これは菊派の大和心の雰囲気をよく表している。江戸がいかに平和な時代だったかということである。”

 「今様」とは「現代風、現代的」という意味であり、奈良平安時代の「当時」という意味である。「今様」というと雅楽の楽器で奏でる今様と、「酒はのめのめ」のような筑前今様とがある。筑前今様の「黒田節」は手拍子で楽しんだり、袴姿で右手に槍と左手に大杯を持ち男踊りと男の歌声とを見聞きして楽しむものである。

 雅楽今様での詠い方は雅楽演奏のメロディに合わせたようなもので、演奏に合わせるようにゆっくり詠うものもあり、少し早めに詠う場合もある。少し早めに詠うとそれは当時の庶民が詠っているような雰囲気を感じることができる。

 私は両方好きで、詩吟の漢詩の前に今様が入っているものや、漢詩の起句・承句と転句・結句の間に入っているものがある。

 日本にはこのような素晴らしい文化があることを日本人は誇りに思わなければならないと思う。ちなみに韓国には「アリラン」という民謡がある。韓国人はそれを誇りに思ってることであろう。其処は民族と文化の違いである。どちらが良いとも悪いとも言えない。

 ただ、今の日本人は日本の古い文化を知らない人が多い。これは大きな問題である。文化や伝統は日本民族の「体外遺伝子」の重要な一部である。「体外遺伝子」というものは、「古事記」の神代につながる万世一系の天皇がいる日本という国の「自存」のため、非常に重要・不可欠な要素である。

                                 (続く)

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