2011年11月10日木曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(70) (20111110)

 “町人文化が花盛りととなったのは五代将軍綱吉(つなよし)の頃、元禄(げんろく)元年(一六八八)にはじまる元禄時代であったといえるだろう。この時代は「元禄風」という言葉があるくらい、たいへん贅沢(ぜいたく)な時代であった。今でいえばバブルの時代である。

 ところが、あまりに贅沢がすぎるとその反動として、目につく贅沢を抑えようという意見が出てくる。それを最初に具体的な改革として行ったのが八代将軍吉宗(一六八四~一七五一)であった。いわゆる「天保(てんぽう)の改革」である。吉宗は質素倹約を旨として富貴の引き締めをはかり、大名から一万石につき百石を献上させ、また新田開発をすすめるなどして、幕政改革に手をつけた。・・(中略)・・

 吉宗の後の家重の時代に田沼意次(たぬまおきつぐ)(一七一九~一七八八)が大名に取り立てられ、さらに家治の時代に老中に抜擢(ばってき)されると、「田沼時代」といわれる華やかな時代を迎えることになる。

 約二十年続いた田沼時代も、文化花盛りの溌剌(はつらつ)とした時代だった。洋学が栄え、前野良沢(まえのりょうたく)や杉田玄白(すぎたげんぱく)がオランダ語(もともとドイツ語)の医学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳して「解体新書」として刊行した。志築忠雄(しずきただお)は『暦象新書(れきしょうしんしょ)』でニュートン力学やケプラーの天文学を紹介した。平賀源内(ひらがげんない)はエレキテル(静電気発生機)や寒暖計を発明した。

 また近世日本文学の代表作といわれる上田秋成(うえだあきなり)の『雨月物語』、俳諧(はいかい)の与謝蕪村(よさぶそん)が登場し、国学では賀茂真淵(がおのまぶち)の『万葉集』などの古典研究、本居宣長(もとおりのりなが)の『古事記伝』が出た。・・(中略)・・

 また田沼意次が老中になってから、異常気象、火山の噴火、地震などの天変地異が続き、天明(てんめい)三年(一七八三)には東北地方を大飢饉(ききん)が襲い(天明の大飢饉)、それ以降も日照り、凶作、大洪水が続いた。”

 今から230年ほど前に東北地方で大飢饉や日照り・凶作・大洪水があったという。東北地方は大災害に見舞われることが多い地方である。天明の大飢饉では幾多の餓死者も出たことであろう。それでも人々はその後立ち上がり、雄々しく生活を切り開いてきた。東北人には「立ち上がれ! 頑張ろう!」という東北人魂がある。

 私の遠い祖先は系図に書かれていることから推察すると道長の時代、宮城県にあった摂関家の領地の管理のため黒河に赴任し、給料は会津の小田にあった摂関家の領地から京都に残した家族のもとに送られていたのではないかと思う。京都から遠い道のりを1ヶ月もかけて現地に赴き、与えられた職務をこなしていたことだろう。多分妻子は連れてゆかず、その地で没したことだろう。その働きが良かったから京都に残した息子は大学を出て出世した。そのようなことを想像して東北地方を一層身近に感じている。      (続く)

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