2011年11月29日火曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(89) (20111129)

 “こうしてできた憲法は、西洋から見てなんらおかしいところのない憲法であり、日本人がつくったにしても、日本人の日常の生活感覚にはあまり関係ないという感じが強かったと思う。だからそれを補い、日本人の体質との間のすきま風を無くすために、憲法発布の億年の明治二十三年(一八九〇)に明治天皇の名で発布されたのが「教育勅語(ちょくご)」であった。

 教育勅語は非常に日本人の感覚に合うものであった。戦前の義務教育ではほとんど明治憲法のことは教えなかったが、その代わりに子供たちに徹底的に教育勅語を暗記させた。そういう理由もあるが、教育勅語は日本の隅々にまで、誰からも反対されることなく定着した。

 教育勅語がまず説くのは日本人の伝統的価値観である。つまり万世一系の皇室の尊さを述べ、それから「親を大事にせよ」「友人や配偶者と仲良くせよ」「身を慎(つつし)んで学業に励(はげ)め」「人格を修養せよ」といったことを述べる。そのあとに勅語は「一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公(こう)ニ奉ジ以(もっ)テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)ニスベシ」という。これを読むとやはり勅語は軍国主義的であると思うかもしれないが、当時、勅語を作った人たちの感覚としては、「徳川家の幕府や大名という主家に対して忠誠を尽くしていた時代は終わった。これからは国家に忠誠を尽くせ」といいたかったのである。国の象徴が天皇であるのだから(これは現行憲法も同じ)、「皇運ヲ扶翼」することは「国の繁栄に貢献」するというのと同じ意味である。ただ表現が伝統的で古風であったというだけである。

 このような内容のものであったから、誰もが感覚的に「ごもっとも」と納得できたのである。その点で、教育勅語は鎌倉幕府の執権北条泰時(やすとき)の定めた御成敗式目(ごせいばいしきもく)(貞永(じょうえい)式目)の系統につらなるものだといえるだろう。”

(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用。) 

 今、日本人の家庭で「教育勅語」の印刷物を所持している家庭は何%ぐらいだろうか?教育勅語は「徳川家の幕府や大名に忠誠を尽くす時代は終わったのだから、これからの日本人は国家に忠誠を尽くし、国家繁栄の為に貢献しなさい」という趣旨のことが古風な文体で書かれているから如何にも「軍国主義的」であるように見える。しかし教育勅語をよく読むと、現行憲法に照らして何処にもおかしなところがない。
 「教育勅語」は、日本人の遺伝子(DNA)とともに、日本人の身体の外にあって眼には見えない遺伝子であるということに日本人は気付かなければならない。DNAが「内部遺伝子」ならば、教育勅語は「外部遺伝子」を構成する要素の重要な一部である。

 この外部遺伝子は、左翼勢力によって相当傷つけられている。そして日本人に悪性のがんを引き起こしている。今こそこれを治療して、日本人を正常な状態に回復させなければならない。           (続く)

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