2011年11月12日土曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(72) (20111112)

 “文化・文政の時代は四十年続き、その結果として乱れた財政と風紀の立て直しをめざしてまたも改革を起こす人が出てくる。それが老中水野忠邦(みずのただくに)(一七九四~一八五一)である。

 天保の改革は困窮する幕府財政の緊縮と大奥(おおおく)の粛正を動機とした。・・(中略)・・家斉が亡くなり、実権が家慶(いえよし)に移ると、水野忠邦は直ちに西の丸の家斉について汚職・腐敗を極めていた若年寄以下一千名近い者たしを処罰し、城の内外で綱紀粛正と改革を断行した。

 民間では、風俗取締りを強化し、芝居小屋を江戸の中心から郊外の浅草に移転させ、寄席を廃止するなどして庶民の娯楽を規制した。・・(中略)・・

 また、立派な家屋、高い菓子、派手な看板、羽子板、羽二重(はぶたえ)、縮緬(ちりめん)、繻子(しゅす)、舶来品など、寛政の改革に輪をかけるように細かな禁令を実施し、少しでも文化の高い生活水準の匂いのするものはすべて禁止した。・・(中略)・・

 しかし、これは商業と商人に対する嫉妬(しっと)と憎悪から出た政策であり、また代案も用意してなかったため、逆効果になった。江戸開府以来自然発生的に発達してきた制度をなくした代償は大きく、貨物は動かなくなり、金融は止まり、物価が上がるなどの問題が起こった。

 結局、天保の改革は二年足らずで終わり、水野忠邦は失脚した。水野失脚が町人に伝わると、数千人ともいわれる群衆が彼の屋敷に押しかけて石を投げ、兵を出してようやく家が破壊されるのを防いだというのだから、どれほど水野の評判が悪かったうかがい知れる。

 民衆がどんどん金持ちになっていくのに幕府が困窮していくというのは不思議な現象であった。江戸幕府は軍事力を持ち、司法・行政に関わるすべてを掌握していた。通貨発行権まで持っていたのである。それなのに貧乏になっていくという例は世界でも稀(まれ)だろう。

 このように幕府の力が低下しているときに黒船がやって来た。これをきっかけに幕府は急速に瓦解(がかい)して行くのである。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用)

 民衆から税をとっていても幕府は貧乏になっていった。今の日本でも政府はものすごい額の借金をしている。そこで法人税・所得税・消費税などを上げて税収を増やそうとしている。そういう時期にTPPの平成開国を迫られている。社民党や共産党は金持ちからもっと税金を取れと言っている。「持てる者」への嫉妬があるように思う。「市民」に迎合して首相以下閣僚は自ら歳費減額をしている。なんだか幕末と似たような状況である。

歴史は繰り返す。だから政治家はよく歴史を研究しておく必要があるのである。封建時代の指導者たちはよく歴史を勉強し、統治の糧にしていた。今の政治家たちはもともと皇国史観に無縁だったし、学校で歴史、特に信長時代以降の歴史をよく学んでいない。それでよい政治や外交ができるはずがない。           (続く)

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