2011年11月18日金曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(78) (20111118)

 “桜田門外の変から大政奉還へと一気に突き進むというときに思想的な根拠となったのは、「王政復古(おうせいふっこ)」、すなわち君主制の復活という考え方である。

 そして歴史上に王政復古の範を求めると、北条幕府を倒した後醍醐(ごだいご)天皇、そのとき働いた楠木正成(くすのきまさしげ)と新田義貞がいるというので、これらの人々が幕末から明治にかけて英雄中の英雄になって浮かび上がってくることになった。

 これには『太平記(たいへいき)』の影響も大きかったと考えられる。『太平記』は反北条という立場で後醍醐天皇側から書かれているため、幕府と戦おうとする者は楠木・新田側に立ち、彼らを英雄視することになるのである。

 実際に王政復古するまでには紆余(うよ)曲折があった。幕末当時、いちばん説得力があったのは、「公武合体論」であった。これは日米修好条約締結をめぐってこじれた朝廷と幕府の関係修復をめざしたもので、朝廷と幕府の君臣の関係を改めて確認したうえで、実際の政治は公家も参加するが、実際は朝廷より委任された幕府及び大大名が行うという、それまで慣習化されていた形式を再確認して幕府の権力強化をねらったものである。これは薩摩藩の島津斉彬(なりあきら)・久光(ひさみつ)、越前藩の松永慶永(よしなが)(春嶽(しゅんがく)らが唱え、西郷隆盛(さいごうたかもり)も最初は賛成していたと思われる。

 常識的に考えると、公武合体はいちばん無難な方法である。ところが歴史の大変革のときというものは、必ずしも理にかなった無難な方法が通るかというと、そうはならないものである。

 公武合体から王政復古への大転換の舞台となったのは小御所(こごしょ)会議である。徳富蘇峰(とくとみそほう)の言葉によれば、「徳川幕府を造った出発点が関ヶ原の戦いであるとすれば、徳川幕府を終えたのは小御所会議である」ということになる。では、小御所会議とはどういうものであったのか、以下に触れてみよう。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用)

 今、日本はTPPをめぐって歴史の転換期にある。自民党の大物はTPP反対集会に参加して「TPPは日中韓の関係を壊すものである」という趣旨のことを述べた。ある識者は、「日本の貿易量でみるとかつて対米貿易量が大きかった。しかし今では対中貿易量が増え、対中国は20%、それに対して対アメリカは15%、と中国がトップになり、今後ますます中国の比重が大きくなる」と言い、「アメリカやオーストラリアが日本にTPP参加を迫るのは、アメリカやオーストラリアは、東アジア共同体に参加したいためである」と言った。これらの発言で見えてくるのは、そう遠くない将来、日中韓を中核とした政治・安全保障・経済の統合である。

 その方向が良いのか、アメリカ・オーストラリアが提唱する環太平洋貿易自由連合体が良いのか。日本は歴史の大転換点に立っている。

 私はグローバリゼーションで国境の壁を取り払うという選択は絶対すべきではないと考える。性格の違う者同士が一緒になっても必ず破たんするに違いないと思う。 (続く)

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