2011年11月11日金曜日

渡部昇一『日本史』を読んで日本人はどうあるべきか考える(71) (20111111)

 “田沼意次のあとに老中となったのは白川候(しらかわこう)(陸奥国(むつのくに)白川藩主松平定信(まつだいらさだのぶ)(一七五八~一八二九)であった。彼が行ったのが、「寛政(かんせい)の改革」である。寛政の改革も享保の改革と同じく、主眼となったのは贅沢(ぜいたく)品を抑え、綱紀粛正(こうきしゅくせい)をはかるというものであった。武士に対して衣服の新調を禁じ、家は壊れたとき以外は建ててはいけないと命じた。また町人の持っている羽子板、雛(ひな)道具、玩具などに金銀箔(はく)を使わないように通達し、あるいは能役者の衣装や女の着物などにも制限を加えた。・・(中略)・・

 松平定信は「寛政異学(かんせいいがく)の禁(きん)」を出して朱子学以外の学問を禁止し、蘭学者を公的機関から追放して、政治批判を許さず、厳しく取り締まった。海防の必要性を説いた『海国兵談(かいこくへいだん)』の著者、林子平が処罰され、・・(中略)・・

 他方、倹約令を発し、徳政令(とくせいれい)を出して旗本御家人(はたもとごけにん)の借金を棒引きしたから、借金を返さなくてもよくなった武士たちには松平定信の改革は歓迎された。・・(中略)・・
 寛政の改革を田沼の腐敗政治と比較して風刺する有名な狂歌(きょうか)がある。

 白河(しらかわ)の清きに魚(うお)も棲(す)みかねてもとの濁(にご)りの田沼恋しき
 倹約や綱紀粛正ばかりでは世の中は貧乏臭くなって面白くもない。多少の汚職があっても、それによって経済がよく回り文化も活発になれば、生活していて楽しい。田沼時代はよかったなあ、というわけである。この気分は、高度成長期を経験した人たちにはよくわかるのではないだろうか。・・(中略)・・

 寛政の改革が潰れると、その後は締めつけが緩み、世の中はまた自由になった。この間に江戸文化の爛熟(あんじゅく)期が現出した。いわゆる文化(ぶんか)・文政(ぶんせい)の時代である。十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』、曲亭馬琴(きょくえいばきん)の『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』が刊行されたのもこの時期である。”(以上、渡部昇一『決定版 日本史』より引用)

 江戸時代は吉宗の質素倹約を旨とした風紀の引き締めの時代(「享保の改革」)。田沼の時代の自由な華やかな時代、しかし汚職が横行した時代。白川候の日常生活における贅沢の規制、学問の統制の時代(「寛政の改革」)。再び自由で華やかな時代。そしてまた財政と風紀の立て直しの時代(水野忠邦「天保の改革」)。と自由、不自由が繰り返された時代であった。そして多少汚職あり、風紀も乱れた時代に文化や学問が盛んになった。

 経済活動や文化活動や学問などは政府による規制や保護が厳しいとあまり活発でないが、規制が緩むと活発になる。競争があると市中に良い品物が流通する。今、我が国はTPP問題で大いに揺れているが、内向きになって守勢に立つよりは、勝機を狙い戦いに打って出た方が日本にとって良い結果を生むのではないだろうか?    (続く)