2012年3月3日土曜日


韓国併合(一)一進会(20120303)

 表題は『大東亜解放戦争』(岩間 著、創栄出版)上巻193ページに出ている項目名である。中国が何故反日的行動に出ているかについて、それは個々の中国人民の意思によるものではなく、中国の「国家」を形成している中国共産党の意思によるものであること、そしてそれは中国共産党の「生き残り」即ち「自存」の行動であること、万物・社会組織は、それ自体で「自存」力を持っていることを改めて強調した上で、次に何故韓国や北朝鮮も反日的であるのかをこの本を引用しながら明らかにすることを試みる。

 日韓歴史認識の共同作業でこのことが研究されたかどうかは知らない。しかし、韓国側は克日の精神で自国の正しい歴史を認めたがらず、自国に都合の悪いことは全部歪曲された歴史であると主張し、史実でないことを「物語」化しようとしたらしい。

一進会の存在すら否定しているのではないかと思う。「一進会の唱えたのは日韓邦であり、あくまでも日本による韓国併合では無かったことに多くの史家は注意を向けようとはしなかった。それは合邦など世界に例のないことであり、そもそも日本の保護国となった韓国が日本との対等の資格をもって合併することを、可能にする現実的な条件などある訳も無かった」(呉善花「韓国併合への道」)

上記呉善花「韓国併合への道」はこの本に引用されている部分である。この本に以下のように書かれている。合邦が何故合併に至ったのか、何故あれほど韓国のことを思い、韓国併合に反対し続けた伊藤博文は、なぜ誤解され暗殺されたのか、この本によく説明されている。(以下、“”で引用する。)
 
“今迄見て来た歴史の様に、清との宗属関係、事大主義を断ち切り朝鮮が真に独立国になる為には、日本に学び日本の力を借りたいとする親日的な急進改革派の金玉均のクーデターがあり、穏健開化派の金弘集政権があったのである。
 
そしてその思想に共鳴する東学党があった。その東学党の党員として活躍していた李容九(イ・オング)や宋秉畯(ソン・ビョンジュン)らは、明治三十七年(一九〇四年)一進会を組織して日露戦争では日本軍に献身的な協力をしたのである。

 その会員は自称百万と称されているが、併合時の統監府の資料では約十四万と報告されている。最盛期で二十万から二十数万はあったのではないかという推測もあるが十四万としても当時の韓国では他に比較するもののない最大の勢力だったことになる。当時の人口千三百万、一韓握りの「親日的反動分子」の動きとして済ます訳にはいかないのである。(呉善花『国併合への道』)

 一進会は明治三十七年(一九〇四年)八月十八日に結成され、会長には元東学党の幹部だった李容九が推された。一進会の五大綱領は、(一)韓国皇室の尊栄 (二)人民の生命財産の安固 (三)施政の改善 (四)財政・軍政の整理 (五)日本軍への集積的協力であった。

 李容九は、日露戦争をロシアに代表される西欧侵略勢力との決戦とみなし、日韓軍事同盟でロシアの侵略を阻止して、アジアを復興することこそ朝鮮の運命を開く道と考えたのである。一般には排日的空気の濃厚な当時の朝鮮でこのように対日協力を声明し実践することは多大の困難を伴うものであったが、一進会は敢えて親日へ踏み切ったのであった。”
 
                                    (続く)