2012年3月6日火曜日


「憎しみ・闘争」と「信頼・分かち合い」(20120306)

 「韓国併合(一)一進会(つづき)」まで筆がなかなか進まない。韓国を愛した伊藤博文が何故暗殺されたのか、この後再び『大東亜解放戦争』を引用しながら考えることにしたい。先ずは、人類が獲得した「分かち合い」の行為を妨げているものについて考えてみたい。

 日本には靖国神社内の記念館、広島の戦艦大和記念館、知覧の記念館などがあるが、中国にあるように史実を曲げてまで「日本軍が残虐であった」とか、韓国になるように伊藤博文を暗殺した安重根が英雄であったとか、従軍慰安婦像もそうであるが、他国に対する憎しみを煽るような展示物はない。

アメリカには「パールハーバーを忘れるな」という合言葉を強調するような記念館があり、日本には「ノーモアヒロシマ」という記念館がある。アメリカの記念館は言ってみれば日本への憎しみを忘れさせないようにするようなものであり、日本のものは「人類は決してこのような原爆を使用してはならない」という願いを込めたものである。

 さて、人類は約1万年まえ自然の穀物の中から栽培に適したものを試行錯誤の繰り返しで作り出すことができた。それを契機に縄張りを挟んで他の部族との対立が始まった。しかし一方で対立を避け、「分かち合う」ことの大切さも身に付けてきた。研究結果、人類は「分かち合う」ことに大きな喜びを感じる気持ちが非常に強いということが分かっている。

 国境を隔てて対立しあう日本と中国・韓国・北朝鮮であるが、皆同じ人類である。文化や歴史や言語や人々の種類が異なっていても同じ人類である。個々の国民同士になれば「分かち合う」気持ちが表面に出てくる筈である。それを妨げているのが「国家」である。

 日本の場合天皇が人々中心にあり、古来天皇は日本民族の族長のような、家長のような、宗家のような存在であった。『日本書紀』などの歴史書を読めば、天皇が奈良時代以前の昔から如何に人々の幸せや国の安定を願ってきたかということが分かる。例えば譲り合いの末に即位され、その善政が後年の模範にされた仁徳天皇(在位313214- 39927日)は、家々から炊事の煙が上がっていないことを愁い、煙が上がってきたことを喜ばれた。江戸時代の詩人・歴史家であった頼山陽はそのことをこう詩に書いている。

     炊煙起
煙未浮。 天皇愁 煙已起。 天皇喜
漏屋敝衣富赤子 子富父貧無此理
八洲縷々百萬煙 簇擁皇統長接天

 さてこのような日本は、中国や韓国・北朝鮮の「国家」とどう向き合えばよいだろうか?その答えは、先ずそれらの国々「国家」と「国民」を分けて向き合うことである。お互い国民同士は貿易・観光・文化等の各分野でよく交流しあえば、両国民の間で「信頼感」が増え、自ずと平和が生み出されることであろう。

一方、「国家」自体も一つの組織体として生き残ってゆくために、とかく他の「国家」と衝突しがちである。その衝突を未然に防ぎ、もし衝突が起きた場合に対処するため「国家」は軍隊を持つ。

日本を取り巻く東アジアの現状では、鳩山元首相・小沢一郎氏や自民党の谷垣総裁・加藤紘一氏ら理想主義者が考えるような国家戦略では日本の平和と独立を守りとおすことは絶対できない。こういう世代の政治家たちには、次期選挙で是非第一線から退いてもらわねばならぬ。