2012年3月20日火曜日


韓国併合(七)金完燮氏『親日派のための弁明』・朝鮮の歴史(つづき)(20120321)


岩間 弘 著『大東亜解放戦争』から“”で引用。

“この様にして朝鮮と清の事大主義は遠く漢の時代(前一九五年)から、即ち約二千年も以前から続いているのであるが、ここに述べられている様に、李朝になってから益々密接な宗属関係が確立された。

この様に宗属関係が紀元前から更に李王朝になって五百年も続いた時、李朝は明や清の属国として庇護されて来たので国防という事を殆ど考える必要がなくなって行ったと思われる。

国防意識が無くなった時独立国としての意識も当然希薄になって行ったのであろう。その証拠に、第三次日朝協約を結び、純宗皇帝が「詔書」により軍隊を解散した時は僅かに王宮及び首都を守る軍隊が、それもあまり訓練されていない軍隊が約一万人居たのである、これでは国を守ることが出来る筈はない。

国防意識がないという事は国の為に働くという意識も無くなり、人生の目的が自分の立身出世、金儲けに明け暮れ、社会秩序が非常に乱れ、皇帝を取り巻く宮廷もまた腐敗政権であった。

事大主義は強いと思う方へ顔色を窺(うかが)い、ぺこぺこ頭を下げることであり、清についたり、日本についたり、ロシアについたりしたのである。これでは自国に対する誇りを持てなくなり、民心が乱れるのは当然である。

自主独立、それは何よりも外国の力を排除し、自分の力で立つ事である。それには敵が脅迫したり攻めて来たりしても撥ね返し、撃退する力のある軍隊がなければならない。

だから明治三十一年露館播遷より還御した後、折角高宗国王が国号を「大韓帝国」と改め、自らも「国王」を「皇帝」と改め、十月十二日には皇帝即位式を盛大に行い、内外に宣言したのであったが、結局は名称と形式が変わっただけで何も変わらず、尻切れ蜻蛉(とんぼ)に終わって了ったのであった。何故だろうか。

それは事大主義、宋属関係が二千年、李朝になってからでも五百年も続いた為に、自主独立とはどういう事か、どうすれば自主独立国家になれるかという事が全然判らなかったからではないかと思われる。

こう書いて来ると、何だか今の日本に重ね合うような気がして、真に寒心に耐えない思いがする。”

中国の李鵬首相は1995年オーストラリアで、「日本は二十年後には無い」と言ったそうである。毛沢東は、確か、「日本は65年間立ち上がれない」というようなことを言ったと記憶している。
230万人の戦死者を出し、2,525名の20代前後の若い命が航空特攻で失われ、絨毯爆撃を受け、2個の原子爆弾を落とされて一挙に何十万人という市民の命が奪われた末、日本はアメリカに屈した。その結果戦後68か月間、日本はアメリカの占領下に置かれた。
その後も日本はアメリカの強大な軍事力に守られながら今日まで来た。日本の状況は、韓国を併合するまでの大韓帝国(日本が日清戦争で韓国を独立させるまでは李氏朝鮮国)と似ている部分がかなりある。日本人よ、目覚めよ!