2012年3月16日金曜日


韓国併合 韓国皇帝の勅諭(20120316)

 “「皇帝若(ここ)に曰く朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以降今日に至るまで維新政令に丞図し備試し、未だ曾て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望無し。中夜憂慮善後の策茫然たり。此に任し支離益甚だしければ終局に収拾し能はざるに底(いた)らん。

 寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せしむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廓然として自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依仰したる隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を鞏固(きょうこ)ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。

 惟(ただ)爾(なんじ)大小臣民は国勢と時宜を深察し煩擾(はんじょう)するなく各其業に安んじ、日本帝国の文明の新政に服従し幸福を共受せよ。

    降熙四年八月二十九日     御璽」

 この勅諭は純宗の名前の如き純なる真心が伝わって、「疲弊極処に至り、憂慮善後の策茫然たり」と書かれ純宗の深い悲しみが詠む人の心を打つのである。しかし今や最善の方法は韓国を日本国皇帝(天皇)陛下にお譲りし民生を保全ならしめることである。私は国民のことを忘れたのではない。国民が救われ楽しく生活することを願っている私の心を理解してほしい。と述べておられて涙なくしては読めない勅諭であります。

 戦後、韓国及び北朝鮮の人々は、日本は侵略して植民地にしたと言って今も。反日、抗日を唱えている人が殆ど大多数であるが、併合は最も良い最善の方法であり、これしか方法がなかったのである。”(以上、『大東亜解放戦争』より“”で引用) (続く)

 併合後、日本がどれほど多くの資金を韓国の民生安定のため投入したか、このことについては39日にこのブログでリンクした動画、松木国俊先生の講義で詳しく説明されている。

戦後日本人が刷り込まれた自虐史観も悪かったが、韓国・北朝鮮の人々(在日を含む)も歴史を正しく認識することが重要である。日本を「敵」に仕立て、物語を歴史のように捏造し、反日工作に余念がない韓国政府は、また自ら自国を誇りのない国に導いているとしか思えない。

勿論、併合には負の遺産は非常に大きいものがあったことは確かである。日本が戦争に負けたこと、多くの韓国・北朝鮮人も日本人として戦地に赴き犠牲になったこと、日本人の間に朝鮮人を見下げるような風潮があったことなどは、明治以降の日本の指導者たちが併合時の初心を忘れたため起きたことである。この点は日本人も深く反省しなければならない。

それでも非常に多くの日本人たちは朝鮮人を愛し、朝鮮の文化・文明の向上のため尽力してきたことだけは確かである。

最後の朝鮮国王・李根に嫁いだ日本の皇族・皇族・梨本宮守正王の長女・方子女王は朝鮮王妃となり、戦後は韓国に帰化し、李垠の遺志を引き継ぎ、当時の韓国ではまだ進んでいなかった障害児(主に知的障害児・肢体不自由児)教育に取り組んだり、趣味でもあった七宝焼の特技を生かしてソウル七宝研究所を設立し自作の七宝焼の他にも書や絵画を販売したり、李氏朝鮮の宮中衣装を持って世界中を飛び回って王朝衣装ショーを開催する等して障害児教育のための資金を集めるなどして、日本と韓国の間の懸け橋としての役割を果たされている。