2011年4月13日水曜日

緊急対処の仕方について日本とアメリカの違い(20110413)

 日本の軍隊(=自衛隊)は、常に「有事即応」の態勢にある。未曾有の巨大地震が発生したとき、自衛隊は直ちに出動した。特に民主党政権になってから、政府は凡庸であっても自衛隊は‘同盟軍’同志ずっと緊密な関係を維持してきた。その関係で在日米軍も直ちに出動し、自衛隊と協同して災害の救援・救助・復旧支援に最大規模の人員・装備・資材を投入してくれた。これは日米軍事協同訓練の成果である。

軍隊で組織的訓練を受けた者は、有事即応のことが身体で理解できている。しかし軍隊の経験のない者は、それを頭では判っていても体ではなかなか判らないようである。

 大手新聞各紙は、此の度の大震災についてそれぞれの思想で記事を出している。被災地における自衛隊や米軍の活動について良く伝えている新聞もあり、なるべく控え目に伝えようとしている新聞もあり、殆ど伝えていない地方新聞もある。

 今日の読売新聞に以下のような記事があった。有事即応の対処について、日米がどう違うのか判る。(下記引用文は、新聞記事の文章の前後関係で、一部語句を前後させている。)

 ① 1979年に起きたスリーマイル島原発事故直後に、(カーター大統領は情報源を)当時の原子力規制委員会(NRC)原子炉規制部長ハロルド・デントンに一元化するように指示し、現地対策本部前のトレーラー内に、デントンとホワイトハウス、知事、NRCを結ぶ特設電話を設けさせた。

② デントンは、それまで一度しかなかった記者会見を連日開き、知事とも頻繁に連絡を取った。

③ 原発には水素爆発が繰り返される恐れが残っていた。格納容器から水素を抜く過程では、放射線が広がる。鋼鉄製ブロックで遮断する必要があった。(軍施設に保管されていた鋼鉄製ブロックを持ち出すため)デントンは回りくどい手続きを求められていた。

④ 混乱を和らげたのは、デントンとカーター大統領の連係プレーだった。

⑤ (カーター大統領はかつて)海軍将校として原子力潜水艦開発にかかわり、カナダで1952年に起きた実験炉の冷却水漏れ事故の処理にも参加した。

⑥ カーター大統領は、スリーマイル島原発事故の実態を即座に理解していたという。

一方で、被災地への救援活動について、次のような記事がある。緊急対処の仕方について日本とアメリカとでは大きな違いがある。

① ある岩手県幹部は、「省庁の政務三役に要望すると『分かりました』と受けてくれるのに、実際には全く計画が動いていないケースも多い。省庁の実務担当者と直接やりとりしたいのだが・・・」と民主党政権が掲げる「政治主導」に苦言を呈した。

② 官僚の不満は強い。ある省庁の幹部は「政務三役からの支持への対応で手いっぱいになってしまい、我々が主体的に対応する余裕がなくなった」と語る。

 復興構想会議が立ちあがったが官僚OBは活用せず、会議の委員として岩手県知事を除くと官僚OBはいない。読売新聞の記事には、“「政策の実現性について省庁との調整もなく、言いっ放しに終わる可能性がある」(政府関係者)と懸念する声も出ている。”とある。

 菅首相が自賛するリーダーシップは、カーター大統領に遠く及ばない。

2011年4月12日火曜日

志方俊之氏へのインタービュー記事(20110412)

 東京都知事に石原氏が圧倒的な支持で再選された。今、この国に必要なのは、石原氏のような方である。石原慎太郎氏が内閣総理大臣であればよいのにというのが、巷の人びとの思いである。

 菅首相は統一地方選挙で民主党が惨めな負け方をした責任を、岡田幹事長になすりつけようとしている。菅首相は自分自身のことが判っていない。

 一方、小沢一郎氏側は、選挙戦惨敗の原因は菅首相にあるとして、党内で菅首相に非難の矛先を先鋭化させる構えである。これもまた良識ある国民を怒らせる行動である。彼らは、国の事よりも自分たちの利益を優先させている。そもそも民主党への支持を失わせていった根本原因は彼らが作ったことを、良識ある国民はよく知っている。

 今回の統一地方選挙では、自民党も勝ったとは言えない。自民党はこれまで自衛隊高級幹部の有為の人材を斬ってきた。2004719日に栗栖弘臣第12代陸上幕僚長・第10代統合幕僚会議議長を斬り、2008113日に田母神俊雄第29代航空幕僚長を斬った。その一方で、一部高級官僚の天下り・甘い汁を吸う渡り歩きの専横を許した。

一部の左翼系新聞は一顧もしないだろうと思うが、去る6日付の読売新聞に元陸上自衛隊北部方面総監志方俊之氏へのインタビュー記事が載っていた。氏は現職が帝京大学教授であり、軍事アナリストであり、東京都参与(災害対策担当)である。

 今回の未曾有の大災害を契機に、我が国は国家としての「有事即応体制」を作って行くべきである。自衛隊だけが有事即応であるだけでは、国家の危急時に即時対応ができない。
以下に志方氏インタビュー記事の一部を引用する。

① 菅首相は政治主導にこだわり過ぎた。新しい組織をつくり人材も次々と投入しているが、組織が機能するまでには相当の時間を要する。緊急時にはむしろ、これまで培ってきた官僚組織をフルに活用していくことが効果的だ。

② 自衛隊については、菅政権は早期に10万人規模の人員を投入した。・・(略)・・自衛隊は今回のような広域の災害を想定した訓練も積んできている。

③ 東京電力福島第一原子力発電所の事故で投入された自衛隊の特殊武器防護隊は、放射線の線量計を持っており、東電よりも機動的に対応できる。計画的に配置、運用し、定期的に計測した放射線量を天気図のように示すことで国民に正確な情報を提供することもできる。自衛隊は放射能テロなどに備え、対処訓練も行っており、比較的防護性の高い装甲車なども持っている。原発事故で避難した住民の中には一時帰宅を望む住民も多いようだが、自衛隊車両を活用した住民サービスも検討すべきである。

④ 我が国には、「国家が国民を守る」という基本がない。民主党だけが悪いわけではない。自民党政権時代からの「危ないことは考えないでおこう」という事なかれ主義のツケだ。

⑤ 緊急事態基本法の制定は急務だ。ただ、同法は国民の私権制限にもつながるため、憲法問題もかかわってくる。与野党を超えた憲法論議を期待したい。

2011年4月11日月曜日

国を憂えるソーシャルネットワークが緊急に必要である(20110411)

 民主党はこの国をめちゃめちゃにしてしまった。そういう感じがしてならない。今日の統一選挙結果は、民主党にとって悲惨なものになるだろう。そう期待する。

 今、この国にとって必要な指導者は、民主党内には全く見あたらない。民主党の体質には、この国難のときに非常に危ういものを感じる。

 民主党の国会議員には、右から左までいろいろな出身者がいる。菅首相自身も市民運動家であった。民主党内には、幕末の志士たちのような人材が殆ど居ない。居ても数人程度で、党内の国会議員は小市民的感覚、労働者的感覚、主婦的感覚の者が殆どである。

 そのような民主党を選んだのは国民である。しかし、今国民はそのことを後悔している。そのような民主党政権で、この国難を乗り切ることが出来るだろうか?

 戦前ならば軍事クーデターが起きるところである。アメリカは日本の危機的状況を非常に心配している。日本が国力を落としてしまうことはアメリカにとってのみならず、東南アジアやヨーロッパの国々、中東諸国等世界中の国々にとっても損失が余りにも大きい。

 幸い、自衛隊はアメリカ軍との関係を緊密に維持してきていた。国が傾きかけそうな時、軍がしっかりしていれば、国の危機を乗り切ることができる。軍は、「国の背骨」である。

 我が国には、万世一系の天皇がいる。天皇の力は、国家危急のとき発揮される。天皇・皇后両陛下は避難場所・被災地をまわられ、悲しみ苦しんでいる人びとの心を分かち合って下さっている。皇居にあっては、国の為、人びとの為祈りを捧げて下さっている。

 菅首相は、日本中の賢い方々に知恵を求め、貴方の後継者を全政党の国会議員の中から選び出し、国民に示して頂きたい。国を救う体制の基礎を作って欲しい。自分のまわりに、自分に都合がよい○○会議や△△補佐官を作っても、それは結局国の為にはならない。

 被災地をまわり、労働組合の決起のように右こぶしを高く上げ「頑張ろう!」と掛け声を発するようでは、一国の首相としては余りにも情けない。被災市の首長の声を聴いて、「必ず実行する」と約束手形を乱発している。その場所を離れて、にたにた笑い顔を見せる。

 朝日新聞はそういう首相に好意的記事しか書いていない。朝日は、来日して横田基地で出動準備している米海兵隊放射能専門部隊を「情報収集目的」と断じている。

 この国の左翼の連中は、この国を弱体化することに加担している。その目標は何か?
国を救うソーシャルネットワークが、今緊急に必要である。

2011年4月10日日曜日

復興モード、小沢氏への期待は?(20110410)

 菅首相は、復興計画のビジョンについて「山地を削って其処に町を作る」と言う趣旨のことを述べた。一方で、ある学者は被災した場所に津波の被害を受けない高さの台を作り、その上に町や農地など被災以前の風景を作るという案を発表した。後者は、巨大地震が起きても決して潰れない深さまで杭を打って基台を建設し、その上を人工の国土として個々の所有権を認めない土地を作り、町や村や農地などを作ろうと言うものである。

 かつて何度も津波の被害を受けた町では、津波の来ない台地に新たな住宅地を作る計画を実行していた。しかし、住民は津波が引いた後の場所に戻って住んだ。その場所がまた津波で、今度は壊滅的な被害を受けた。住民が台地に住まず元の場所に戻ったのは、其処が暮らしやすかったからである。そこで、台地に住民を定住させるには、その台地に行政機構など町の主要部分を其処に置く必要があるという意見が出された。

 復興会議には、建築家安藤忠雄氏らが加わることになった。勿論地域の首長なども委員になるようである。議論百出し、なかなか意見が集約されない可能性がある。そこで必要なのは、非常に強いリーダーシップである。菅首相にそれが期待できるのか?

 この非常のとき、リーダーが先ず明確なビジョン、それも説得力のあるビジョンを持ち、議論百出が間違いないであろう復興会議をリードして行かなければならない。正に、今人びとに意識的・無意識的に願望されているのは、この非常のとき古の英雄のような、非常に強いリーダーである。自分の考え方をしっかり持っているリーダーである。民主主義だからと言って、自分の周囲の者の意見を集約して自分の考え方にするような者は、今この非常のとき‘百害あって一利なし’の者である。そのような者は、復興モードに移行した段階においては、リーダーとして相応しくない。

 民間企業であれば、有能な外国人を社長・CEOに委嘱し、大改革を断行して業績を上げることができる。今、この非常のとき、異能の人物でないと役に立たない。

 明治維新のとき、かつて下級士族であったサムライたちは、‘異能’を欧米先進国に求めた。当時としては破格の報酬を支払い、欧米に人材を求めた。それが良かった。

 自分たちが有能であると過剰なまでに自信を持っている官僚たちは、‘異能’を欧米人に求めることを嫌うだろう。しかし、今、必要なのは発想の転換である。

 小沢一郎氏は、中国への朝貢外交や天皇への不敬、不透明な政治資金、国会での説明を避けている不誠実さ、程度の悪そうな国会議員たちを手下にしていることなどで嫌われている。もし剛腕と言われる小沢氏が菅氏に代わって首相になり、復興の基礎を築く仕事を成功させるならば、その業績により彼の嫌疑は免れることを国民は認めるかもしれない。

 菅氏の役割は終わりつつある。菅氏の最後の役割は、この国の新しいリーダーに後の事を託すことである。菅氏はよくやった。しかし菅氏がこれ以上首相の座に居ることを国民は望んでいない。明日の統一選挙でその答えが出るだろう。

菅直人氏には首相の役割を終えた後、明治神宮と靖国神社に堂々と参拝して頂きたい。

2011年4月9日土曜日

靖国神社と菅首相(20110409)

 今年は桜の開花が数日遅れたが、今、九段の桜は満開である。今年は東日本大震災のため花見は自粛されているが、それでも九段には平日であっても人出が多い。靖国神社には平日にもかかわらず観光バスなどで非常に多くの人びとが参拝に訪れてきている。

 この神社には、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎など幕末の志士はもとより、戊辰戦争、佐賀の乱、西南戦争という内戦を経て、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々、そして列強のアジア侵食をなんとしてでも食い止めようと必死に戦った日清戦争、日露戦争において、戦場で散った兵士たちの御霊が祀られている。

この神社には、東南アジアを欧米の植民地から解放するため戦った大東亜戦争の戦場で斃れた兵士たち、従軍・救護看護婦や女子学生、学徒動員された軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々、また当時日本人の兵士として戦い斃れた台湾や朝鮮半島出身の数万の方々の御霊が祀られている。

この神社には、沖縄戦でのひめゆり学徒隊、白梅学徒隊等の7つの女学校の生徒、南樺太で最後まで残って任務を全うした上で、迫り来るソ連軍の前に最早これまでと他の局に自決を告げて自決した真岡郵便電信局事件の9人の乙女らが祀られている。なお、女性で最初に祀られたのは、戊辰戦争の南部・秋田戦線で斃れた山城ミヨという人である。

この神社には、学徒動員中に軍需工場で爆死した学徒や、輸送船「対馬丸」で沖縄から鹿児島への学童疎開中に敵潜水艦により撃沈され死んだ小学校児童達も祀られている。

終戦後65万人の軍人・軍属・学生らが、当時のソ連軍により強制的に極寒のシベリアに送り込まれ、劣悪の環境下で奴隷のように重労働に使役された。そのうち6万人が抑留中死んだ。靖国神社には、それら無念の思いで逝った方々の御霊が祀られている。

この神社には、日本が大東亜(解放)戦争に敗れた結果、戦勝国側の論理によって無理やりA級戦犯およびBC級戦犯とされて刑死した者が、昭和殉難者として祀られている。

この神社に隣接して、この神社に祀られている英霊の真心や事績を後世に伝えるため、「遊就館」という施設がある。ここには、特攻隊で散った非常に多くの方々の写真や遺書などが展示されている。特攻隊生き残りの方々の証言、特攻隊員と接した沖縄の老婆や、当時日本の統治下で暮らした台湾の人びとの証言が映像で紹介されている。反日的な識者や教師らが、「日本人は悪いことをした」と日本の過去を否定するようなことを言って、人びとを洗脳しようと躍起になっているが、ここでは冷静に事実のみが伝えられている。

一方、中国には社会党の馬鹿な日本人が総評から金を出させ、馬鹿な日本人が設計した南京大虐殺記念館(中国では「南京大虐殺紀念館」)がある。そこでは、シナ人が同じシナ人の耳や鼻を削いだ残虐行為を、日本兵が行ったと全く偽の写真を作り、当時の南京市の人口よりも多い30万人を日本兵が殺したと宣伝している。

その南京大虐殺記念館を、平成6年の当時の菅直人民主党幹事長が訪れ、中国に謝罪し、当時の小泉首相の靖国神社参拝を批判した。菅首相も反日的識者に洗脳され、自虐史観を持っていたのだ。今、この国の危機の時、菅首相には是非靖国神社に参拝して頂きたい!

2011年4月8日金曜日

品不足を見て買いに走った消費者心理について思う(20110408)

 震災発生後、パンや牛乳やヨーグルトや納豆や飲料水などが店頭から消えたことがあった。原因は例えばヨーグルトの場合、一定の温度を保って発酵させるヨーグルトの生産が計画停電のため停止となったためであるし、納豆の場合、商品に貼るシールを生産する工場が大津波により破壊されたため、納豆に貼るシールが手に入らなくなったためである。

飲料水の場合は、福島第一原子力発電所の被災事故により、水道水が放射能により汚染されたためである。乳幼児をもつ母親は特に不安になって汚染されていない水を求めた。

そのような状況に加え、店頭から日ごろ何時でも手に入る商品が消えて無くなると、一部の主婦たちが「これは大変なことになった」と不安になり、買いだめしておこうという心理が働き、買いに走った。これが品不足に一層拍車をかけた。

 二人暮らしの老夫婦は、毎朝ホテルパンを食べている。そのホテルパンを買うため10人ぐらい列を作って並んだ。自分の順番が次にくるとき、前の中年の女性が「(2斤が一本の出来たてのホテルパンを)3本下さい」と店員に注文した。店員は「すみません、ひとり一本にして貰っています」と、その中年の女性をやんわりたしなめた。するとその女性は、さすが恥ずかしいと思ったか、素直に応じた。

 公衆道徳について思うことがある。電車やバスの車内放送で携帯電話の使用について丁寧に注意している。そのような注意が無くても自然にできている秩序もある。例えば駅などのエスカレーターに乗る時、東京方式と大阪方式がある。つまりエスカレーターの左側に並ぶか右側に並ぶかの違いである。先を急ぐ人はその右側か左側かを歩いて通る。

携帯電話の使用に関する社内放送について、その放送を無視する者がたまにいる。しかし、その車内放送の効果は十分ある。日本人は一般に、公衆道徳について公的な立場からの依頼・指示・指導に従う特性があると思う。

 今後また災害などにより品不足が生じたとき、不安になって買いに走る消費者に対して、もし売り子の店員が「震災で入荷量が減りました。出来るだけ多くの人に品物が届くように、一人何個まで、一回限りでお願いします」と細やかに丁寧に話すならば、消費者は多少不満であっても「この際仕方がない」と店員の依頼に納得するだろう。

 日本人は秩序を守ることが習慣づけられている。何か緊急な事態が起きたとき、誰か権威がある立場にある人が号令をかければ、日本人はその指示に従う。日本では、特に田舎では、もしある人が秩序を守らないと、その人は周囲の人から白い目で見られる。日本人はそれが怖いと思うし、恥ずかしいと思うから大勢の人の考え方から外れることをする人は極めて少ない。殆どの日本人は、所属集団の中で皆と同じような考え方をする。

 都会地では若者がそのような日本人の特性に反発し、個性を強調して時には皆から外れた行動をすることがある。しかし、所詮日本人は日本人。その血の中には遠い昔から連綿として受け継いできた日本人の特質がある。だから日ごろいがみ合っていても日本人全体に降りかかるような危機の時には、日本人は団結し、非常に強い力を発揮するのである。

2011年4月7日木曜日

人生にもきっと浅瀬がある(20110407)

 本多顕彰(ほんだ あきら)という方が、「人生にも、きっと浅瀬がある、と思うようになった。私は苦しいときには決してじたばたしない。幸いに、私の人生には、浅瀬がいつもあった」と言っている。

 本多顕彰は、明治31(1898)10月、愛知県名古屋市に生まれ、昭和536月、80歳で没した。彼は東京帝国大学英文科卒で、東京女子高等師範学校教授・法政大学教授を歴任された英文学者・文芸評論家であった。

 人生は人それぞれで、平穏無事な、幸せを絵に描いたような人生を歩んできた人もいれば、一方で死にそうな苦しい思いを経験し、苦労が絶えない人生を歩んできた人もいる。

既にこの世から去った親や祖父母や叔父叔母や先祖らが非常な苦労をし、子孫のために頑張ってくれたお陰で、今、幸せな日本人が沢山いる。今日の日本人の幸せは、それらの方々のお陰である。

その日本で、未曾有の大災害が起きてしまった。夫や妻や子や親や、祖父母や兄弟・姉妹を亡くし、家・財産を失ってしまった人たちが沢山いる。

親を亡くしたある9歳の男の子は、健気にも悲しいことを忘れ、前向きに生きて行こうとしている。似たような子どもたちが沢山いる。

これまで平和を享受してきた日本人は、この苦しみを乗り越え、次世代のため、良いものを遺さなければならない責務がある。

 被災した人びとは、「負けてたまるか!」と歯を食いしばって、復興にむけて立ちあがっている。日本中が「頑張ろう」の合言葉で助け合い、励まし合っている。

 しかし、今日平穏無事であっても、明日何が起きるか判らない。もし万一わが身に何か起きたとき、上記本多顕彰の言葉を思い出そう。人は、自分の人生を終えるまで、その時たとえ75にも80になっていて、もし何か重大なことが起きたとき、その時「きっと浅瀬がある」とわが身を励ましたい。そして言葉でも何でもよいから、何か良いものを、自分の子や孫たちにはもとより、他人の子どもたちにも遺して逝きたいものである。

2011年4月6日水曜日

単純なる心を持つのは実にむずかしい(20110406)

 上記表題は、島崎藤村の言葉である。この言葉の前に「混乱せる今の時にあたって、」という語句がある。

 今、この国は未曾有の大災害に遭って、非常に混乱している。このような時こそ単純な心を持ちたい。津波で夫を失い、妻を失い、子どもを失い、親を失い、家も財産も失った非常に多くの方々がいる。わが身をその立場に置き換えて、その悲しみを想像すれば、その悲しみは言語に絶するものがある。しかし、本当の悲しみは当事者にしか分からない。

 原発の事故のため集団避難生活を余儀なくされている人びとの苦しみも、その本当のところは当時者にしかわからない。同じ苦しみを受けている人びとはお互い助け合い、慰め合い、励まし合っている。

全国各地、世界各地から同情と見舞いの心が寄せられている。お名前をあげるときりがないが、非常に多くの有名人がそのような方々の苦しみや悲しみを分かち合おうと非常に多額な寄付と奉仕活動を行っている。無名の非常に多くの方々が、自らの労力を提供して同じ気持ちでボランティア活動を行っている。

メディアも連日、被災地の状況や原発事故の状況を伝えている。政府も企業も地方自治体も、皆、この未曾有の大災害から立ち直るため、懸命な努力をしている。128百万人の日本国民が、なんとかこの困難な状況から抜け出したいと切に願望し、じっとしてはいられずそれぞれその同じ願望の方向に向けて行動している。

そういう中、放射能汚染の問題について、海外からの厳しい目が注がれている。「情報が不十分である、不正確である」という批判が出ている。農水省には放射能汚染状況の情報が提供されていないと、通産省に抗議している。

原発からの放射能汚染が深刻になりつつある状況下、そして、被災者や被災地の苦しみに人びとが徐々に耐えきれなくなりつつある状況下、この国の中で非難・批判の声が高まる可能性がある。人びとはそのようにしてストレスを解消したいと思っているだろう。

今、必要なのは、島崎藤村が言うような「単純な心」である。天皇陛下は、自ら粗食を求め、不自由な暮らしを求め、人びとのため祈りを捧げて下さっている。

菅首相以下要人は、そのような暇さえ惜しいだろうが、陛下のお心を「単純に」有難く思い、是非機会を作って明治神宮と靖国神社にお参りし、祖霊と国のため散った人びとの御霊に、心を正して祈願されるとよいと思う。

昔、真の武士は、吉田松陰や西郷隆盛に象徴されるように、単純な清い心を持っていた。今の時代、「神頼み」と揶揄され、批判され、非難され、嘲笑にさらされるかもしれないが、菅首相以下政府要人が、そのような「単純な」行動をされれば、必ず復旧・復興への希望の光が射してくるに違いない。

2011年4月5日火曜日

オカルト的と言われるかもしれないが・・(20110405)

 大阪のO氏が「俺にも言わせろ!」とブログで叫んでいる。今日の記事のタイトルは「死者0人 明治の教訓 15メートル堤防が村を守る(伝承が日本の根底と知るべし)」である。

 日本は、古来「神の国」である。ここでいう「神」とは、キリスト教やイスラム教など一神教の「神」ではない。『古事記』には、高天原に成った「神」は三柱(みはしら)の獨神(ひとりかみ)である。次々に神々が成り、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)二神が天つ神(あまつかみ)の命(みこと)により、淤能碁呂島(おのごろじま)という島を成した。

 イザナギがイザナミに「汝(な)が身は如何に成れる。」と問うたら、イザナミは、「吾が身は、成り成りて成り合わざる處(ところ)一處(ひとところ)あり。」と答えた。するとイザナギが「我が身は、成り成りて成り餘れる處一處あり。故(かれ)、この吾が身の成り餘れる處をもちて、身の成り合わざる處にさし塞(ふさ)ぎて、國土(くに)生み成さむと以爲(おも)ふ。生むこと奈何(いかに)。」と言った。するとイザナミは「然善(しかよ)けむ。」と答えた。

 このようにして「みとのまぐはひ」をして、この日本の島々ができた。そして多くの神々を生成した。これが、われわれ日本の国土と日本人である。

 この日本列島に我々の先祖が住みついて、今日まで伝承してきたことを有難く思い、先祖を敬う気持ちを決して忘れてはならない。天皇は、我々日本人の中心である。

 先の大戦で、国の為尊い命を捧げられた310万人の軍人・軍属の御霊は靖国神社に祀られている。伊勢神宮、明治神宮、宇佐神宮、出雲大社などなど、我々の先祖や国の為命を捧げた方々が祀られている神社に詣で、今ある感謝の気持ちを決して忘れてはならない。今、我々が試練を受けながらも、こうして存在しているのは、今、この世にはいない、我々の先祖や国の為命を捧げた方々のお陰である。過去世は現世に、現世は来世につながっている。仏教は、そのことを教えている。

 今、この国は、余りにも過酷な試練に遭っている。「明治以降戦前の日本人は悪いことをした」と一般大衆を扇動してきた政治家や学者らを、厳しく批判しなければならない。

2011年4月4日月曜日

オンラインニュース記事から (20110404)

 此の度の東日本大震災の情報など各種情報の内容や伝え方については、メディアによる違いが大きい。インターネット・オンラインでNHK、読売新聞、朝日新聞、産経新聞、琉球新報、自衛隊の朝雲新聞などを調べてみた。

 結論から言うと、今の時代、日本国民は、特定のメディアによる情報だけでものごとを判断するのではなく、各種主要メディアの情報を入手して判断すべきであるということである。我が家もそうであるが、普通一般の家庭では、新聞は特定の新聞社の新聞を取っている。朝日新聞や産経新聞や琉球新報だけをとっている家庭では、どちらかと言えば偏った情報しか得ていないと思う。朝雲新聞は、自衛隊機関誌であるから別扱いである。

 以下の記事は、msn産経ニュースの4月3日付の記事の引用である。

 “米軍準機関紙「星条旗新聞」によると、空軍第320特殊戦術飛行中隊は、仙台空港復旧のためパラシュート降下という度肝を抜く作戦を敢行した。その後、自衛隊とともに海兵隊が重機を使い、3月20日には「仙台空港の約80%を復旧させた」(コゼニスキー海兵隊大佐)というから、実戦を経験した部隊はやることが違う。”

 一方、琉球新報では、他の新聞はあまり取り上げていないが、駐留米軍による被害に関する記事が多い。そういう中、今日(4月3日付)で、“『薩摩藩の奄美琉球侵攻四百年再考』 単なる「過去」ではない歴史”という タイトル次の記事があった。

 “09年は、薩摩藩による琉球侵攻から400年に当たり、沖縄県・鹿児島県の各地でシンポジウムが開催され、徳之島のシンポジウムもその一つとして開催された。薩摩藩の琉球王国への侵略戦争という構図の中で、埋没しかねない「奄美」という視角を強く意識した本シンポジウムを記録した本書の持つ問題意識や検討した成果は大きい。

 例えば薩摩支配下の奄美を中華帝国と結び付いた琉球との関わりで取り上げた金城正篤氏・弓削政己氏の分析からは、奄美諸島を薩摩藩の「直轄地」という性格のみではなく、中国・琉球・日本関係の中で捉えるべきであるという認識に至る。奄美諸島の歴史を日本(幕藩制国家)と琉球王国、さらに中華帝国といった東アジア規模で考えることで新しい近世奄美の歴史像を構築することができるのではないだろうか。ところで、シンポジウム開催に当たって近世以降の奄美に対する歴史観が変化することを危惧して「時期尚早」(51ページ)であるという意見もあったようである。400年の歴史が私たちにとって単なる「過去」ではないことを示していよう。”

 われわれは、奄美・沖縄は、日本の一地方であり、薩摩による支配は「過去」のことであると思っている。ところが、そのことが、沖縄の一部の人たちにとって気になっているようである。その延長線上に、普天間基地移設の問題、鳩山氏の「東アジア共同体」構想があるように思う。徳之島は奄美群島の一つで、普天間基地移設問題で話題になった。

 沖縄は日本国の一行政単位である。人びとの交流・移住の密度も非常に濃い。今さら、新たな歴史像を構築する必要は全くない。この関係者たちは、何を意図しているのか?

2011年4月3日日曜日

信なければ、民意なければ (20110403)

 自民党総裁谷垣氏は、菅総理に対する拭いきれない不信感があって、菅直人氏が総理の座から下りなければ大連立は反対であるという。

 この国家危急のときの内閣総理大臣は、「民意あっても、信なければ」勤まらないだろう。逆に「信があっても、民意なければ」内閣総理大臣は務まらないだろう。

 ここでいう「信」とは、・官房長官・閣僚・官僚・補佐官・政務官等内閣総理大臣の周囲の方々が、内閣総理大臣のもと、己の心を無にして公務に専心する気持ちである。

 今、この「日本丸」は、船長を菅総理とし、1等航海士、1等機関士、1等船舶通信士等乗組員である上記の政府要職の方々によって運行され、暴風雨の大海原を航行中である。

 この船には、天皇家初め日本の各家々の家族、災害被災者、在留外国人等が乗っている。この船に乗り合わせている人びと、128百万人の民は、この船が無事この暴風雨に荒れ狂う海を乗り切ることができるかどうかと一抹の不安を感じつつも、「この船は絶対沈まない、必ずこの嵐の海を乗り越えて行ける、われわれにはその力がある」と自信を持ち、誇りを持ち、団結してそれぞれの持ち場をしっかりと守って頑張っている。

 今、この時、この船には、船長や乗組員になることができる資格(海技免許)を持っている人たちも乗り合わせている。もし、何かあれば、その方々はいつでも船長や乗組員の役割を担うことができる。

さて、「民意」は、船長を誰かに代わって貰いたいということであろうか? 乗組員たちは皆、船長に「信」を置いているのだろうか? 或いはまた、船長も一部の船舶職員も、それぞれが誰かに自分の役割を代わって貰いたいと思っているのだろうか?

 「民意」が、「今この時は今の船長(菅首相)のままでよい、しかし、この船には海技免許をもった優秀な方々も沢山乗り合わせているので、是非皆で協力し合って欲しい、船長も乗組員らもそのような優秀な方々に協力してもらえるように条件を整えてもらいたい」ということであるならば、船長も乗組員も他に海技免許を持っている方々も、お互い虚心坦懐、私心を無くして協力し合うべきである。

 先ずは、具体的には、民主党はマニフェストを凍結する。菅首相は、ご自分の過去の言動について率直に謝る。その上で、自民党も公明党もみんなの党、その他の党派も胸襟を開き、期間を定めて、菅総理のもとで協力する。

 こうあって欲しいというのが、今の「民意」である。

 ついでながら、小沢一郎、鳩山由紀夫の両氏には、「民意」はない。あるのは、一部の取り巻き、両氏から恩を受けている若輩の国会議員、私心のある老獪な国会議員らである。両氏はこれらの国会議員らの「信」があるかもしれない。しかし「民意」はない。

 また、もし菅総理に「私心」が見られるようであれば、菅総理に対する「信」も「民意」も一挙に無くなる。信用を築くのには時間がかかるが、信用を失うのは一瞬のことである。

2011年4月2日土曜日

集合的無意識(20110402)

 此の度の大災害に関する報道を視聴して思ったことがある。

 それは、政治家や有識者やマスコミなどのように積極的に発言していない、または発言しても身近な範囲にしか発言していない無名の絶対多数の人びとの、無意識または無意識に近い思いのとおりに、世の中が動いてゆくということである。

 この動きは、人びとが「そうあるべき」と思っている方向への動きである。道徳の方向への動きである。人びとは一時期、影響力のある者の発言に耳を傾け、その者が誘導する方向に引きずられるが、やがてその者の発言を信用しなくなる。

 道徳に従う発言や行動は、たとえ初めのうちは見向きもされなくても、道徳に従う発言や行動が忍耐強く続けられると、人びとはその発言や行動に関心を示すようになる。

 それは集合的無意識の現われである。いま、この日本では、国の危機に対して人びとは自分の思想や理念とは無関係に、「皆同じ船に乗っている」という意識になっている。船長が自分の思想や理念に合わない人であっても、またこれまでその船長に好感を持っていなかった人であっても、その船長が一生懸命やっている姿をみて、今は船長とともに、皆で力を合わせて、この大嵐の海を乗り切ろうと思っている。

それは集合的無意識の現われである。政治家や有識者やマスコミなど影響力がある者は、この集合的無意識を無視することはできない。道徳の方向に逆らってきた政治家は、沈黙せざるを得ない。彼らはいずれ淘汰される運命にある。

自衛隊は米軍と緊密な連携を保ち続けてきた。その成果が初動対処の時に如実に顕われた。そして今、自衛隊と米軍なしには、危機から脱出することはできない。アメリカ海兵隊は、福島第一原子力発電所被災事故による放射能汚染の拡大を防止するため、特別に訓練されてきた専門部隊を送り込んでくれた。人びとは、彼らの活動に大きな期待を寄せている。この際、普天間の問題と関連させたうがった見方はすべきではない。

天皇皇后両陛下は、国の為、人びとの為、祈りを捧げられ、人びとの苦しみを分かち合いたいと行動しておられる。両陛下の純粋無垢のお心に人びとは心を動かされている。

此の度の未曾有の大災害に遭い、人びとの集合的無意識は変わった。

2011年4月1日金曜日

福島から避難された方々 (20110401)

 大津波による災害と福島第一原子力発電所被災事故に関連して、我が家の近くにも被災者が2家族引っ越してきた。大津波でおばあちゃんと孫が犠牲になり、葬式を済ませたという。その方は福島第一原子力発電所から南30キロのところにあった家も墓も何もかも、跡形もなく波にさらわれてしまったという。

 大津波や発電所の事故で避難を余儀なくされた方々は、住みなれた町から離れ、長期間避難生活を送らなければならない。その方々の身になって、その辛さを想像しよう。

 放射能汚染の拡大を食い止められるかどうか見通しが立たない。世界中が固唾をのんで見守っている。現場作業者たちの士気を失わせるようなことが決してあってはならない。

 日本がこのような状況にある最中、ロシアは我が国を領空侵犯し、わが戦闘機が実弾を装備して緊急発進し、ロシア空軍機を追い払った。また、東シナ海では中国の軍用ヘリコプターがわが護衛艦(‘駆逐艦’と言う)に接近した。また、韓国は竹島の実効支配を強化し、歴史をねつ造して「独島(竹島)は歴史的にみても韓国の領土である」と言っている。
 アメリカ海兵隊は、陸上自衛隊(‘国防陸軍’と言う)の要請を受けて、ある高校の体育館の汚泥除去作業を一緒に行ってくれた。また、福島第一原発の放射能抑え込みのため、アメリカ海兵隊の専門チームが一個中隊規模で福島に来てくれる。中国やロシアにすり寄り、アメリカを遠ざけようとした政治家たちは、今、何を考えているのか?

 今、このような状況にあるこの国で、すでに支持が非常に低くなっている民主党・国民新党だけで未曾有の危機を乗り越えようとすることを、国民は大変不満に思っている。何故、党派の垣根を越えて全党結束して国難に対処できないのかと思っている。

 菅首相の過去の言動は棚にあげよう。今この危機にある時、内閣総理大臣の重職にある菅直人氏を立てて、全国民一致団結して、この国難を乗り越えなければならない。それが、国民の総意である。そして一日も早く、この憂鬱な状況から脱したいと誰もが思っている。

 民主党は、マニフェストにこだわるな! 自民党・公明党など野党が受け入れることができるところまで、当面の実施目標を下げよ! さもないとこの国は絶望的になる。国民の不満は一挙に爆発するかもしれない。

2011年3月31日木曜日

本音が見えたような気がする (20110331)

 枝野官房長官が、防衛省の事務次官通達について、自民党石破氏の質問、「自衛官に対して、出るな、控えろという通達。これが事前抑制でなくてなんだ。首相や防衛相が自衛官を信じていないのが悲しい。事前抑制のような通達を出して、恥ずかしいと思わないのか」に対して、「内閣官房長官という法令の解釈に責任持つ立場になったので、改めて今回の通達の内容と、過去の判例を自ら検討した。事前抑制に全く当たらない」と突き放したという。(以上、インターネットmsn産経ニュースより引用)

 これは、民主党政権が、現職自衛官(憲法改正して‘軍人’と呼びたい)が、田母神元航空幕僚長など、正論を主張する講演会等に出席して、戦前の2.26事件のような反乱を起こすようになるかもしれないと危惧するからではないのか?

 武士道に代表される道徳の力は、何事にも勝って強い。‘軍人’の思想を統制しようとしても、自由な国・日本では、twitterFaceBookなどネットワークを通じて、正しいことはすぐ広がる。逆に正しくないことはすぐ抑えられる。

 「軍は国の背骨」である。為政者の過ちによって国が間違った方向に進むとき、それを正すのは軍である。


 

2011年3月30日水曜日

小沢氏系倒閣の動き(20110330特別)

 小沢一郎氏「一新会」メンバー約20名が会合し、「菅首相は国家的危機に対応していない」として倒閣の動きに出た。私は言いたい。「貴方方こそリーダーの足を引っ張り、自分たちの利益を誘導しようとしている」と。小沢氏及びその一派の動きは、私利私欲の行動にしか見えない。そのような政治家は、今、この国家的危機にあるわが国には要らない。

 若い世代や、子供たちを見よ!彼らは、健気にも一生懸命「日本頑張れ!日本を救え!」と、それぞれに出来ることをやっているではないか!貴方方は、何を見ているのか!

 昨日、サッカーの日本代表とJリーグ代表が試合をし、日本代表が21で勝った。彼らは義捐金を集め、日本の再起を願い、お互い全力を出し切って戦った。皆、心を一つにして、祖国日本のことを思い、それぞれに行動している。

 それに引き換え、貴殿らは、党利党略に走り、国を思わない身勝手な行動をしている。恥ずかしくないのか! 即刻、議員バッジを外して頂きたい。

 野党自民党内にも、職業政治家は多数いるだろう。この際、与野党を問わず全国会議員は、己の心を無にして、今、この国のリーダーとして頑張っている菅首相を支え、与野党一丸となって、この国の未来のため全力を尽くして頂きたい。

 期間を区切って民主党はマニフェストを凍結し、自民党ほか野党も、たとえ数の上では多数になったとしても、大局において同じ政策のもと大同団結し、一定の復興の道筋が確立されるまで、菅総理大臣を支えるべきである。

 それが、無党派層の、特に若い世代や子どもたちの切なる願いである。それが判らない国会議員は与野党問わず、国賊である!
 
与野党団結すべし(20110330)

 イスラエルの災害救助隊が、南三陸町に診療所を設置し、医療スタッフ60人が常駐して診療を開始した。これは医師法の超法規的措置で実現した初めてのケースである。イスラエルによる、このようにレントゲン撮影室も備えた大掛かりな診療所の開設は、アメリカに次ぐ規模の海外からの災害援助である。

 南三陸町は、住民の半数が津波で命を失った。佐藤町長以下幹部が町の災害対策本部で会議中津波に遭い、第二波来襲時、強引く波の中、町長ほか職員10名、その建物の屋上に上がる手すりなどにしがみつくなどして命拾いしている。ある職員の妻が彼女自身の家の2階にあり、家もろとも津波にさらわれて行った。その時町長以下10名の職員は、目の前でそれを見てしまたった。その心中や如何に。しかし皆心を一にし、悲しみ乗り越え、不眠不休で町民のために働いている。佐藤町長以下職員は、正に今の時代の‘武士’である。

 福島県新地町のJR常磐線新地駅構内では、4両編成の列車が大津波を受けて横転したが、40人ほどの乗客乗員は全員無事だった。たまたま乗り合わせていた警察官二人、乗客らを一列に並ばせ高台にある役場まで誘導した。列の後尾で皆について行けない人あり、たまたま通りかかった避難の個人車両あり、警察官これを停止させてその遅れた人を便乗させ、背後に迫り来る津波の中、間一髪全員を救うことができた。迫り来る津波の前で、避難勧告を放送し続けた若い消防官もいた。この人たちも、今の時代の‘武士’である。

 福島第一原子力発電所は、深刻な事態に陥っている。東京電力の社員・協力会社社員たちは、毎日ビスケットの朝食、アルファ米の夕食という一日2食だけの非常食で、放射線を遮蔽する特別な建物内に毛布一枚だけで雑魚寝しながら、命がけ奮闘している。彼らが浴びている放射線量は、一般の人たちに許容されているレベルをはるかに超えている。わが命をかけ、公の為、会社のため忠義を貫き通している。彼らもまた‘武士’である。

 この国難の時に、ロシアや中国は、我が国の防衛態勢をチェックしようとしてわが国の領空・領海に対する侵犯すれすれのことを試みたり。東シナ海の日中中間線の内側(日本側)に入りこんできて、警戒行動中のわが海軍の駆逐艦に刺激を与えている。かれら野生動物の猛獣のような奴らに、決して隙を見せてはならない。武器の引き金に指をかけ、命をかけ国の守りに就いているわが駆逐艦の乗員こそは、正に今の時代の‘武士’である。

 菅首相は、民主党のマニフェストの主要項目である子ども手当、高速道路の無償化などを一時凍結することを公式に表明した。全野党は、国家の非常事態にあって、菅内閣総理大臣を総指揮官とした体制に積極的に参与し、この国難を乗り越えるためそれぞれの力を出すように行動して貰いたい。初動対処がどうであったとか、いろいろ批判したいことはあるだろうが、それは、すべての状況が終息してからのことにすべきである。

日本国民は、次世代を担う子孫のため、一致団結してこの危機を乗り越えなければならない。子供たち、少年少女たちは大人たち以上に危機を感じて、健気に頑張っている。この国難のとき、政治家を初め、今の時代の‘武士’たちの行動が試されているのである。

2011年3月29日火曜日

大震災の教訓・アイデア(2)(20110329)

中国の実質・海軍(海監)のヘリが、海上自衛隊の護衛艦に接近した事件について、どちらかと言えば「まあ、あまり気にせず、事を荒立てずにおこう」という風潮が多い。しかし、今回の接近・挑発は前回よりも踏み込んだものである。中国がこれ以上の行動に出るようであれば、一発かませてやる必要がある。

 福島第一原子力発電所の状況は厳しく終息までには相当の期間がかかりそうである。いずれこの発電所1~4号機の施設全体を覆い被せる大工事が必要になるであろう。大津波被災者だけでなく、この発電所から30キロ以内の住民の、ある意味では強制的に集団避難を余儀なくされた方々は、本当に気の毒である。もし、自分がその立場であったら、とてもつらいことである。多分、ストレスで寿命を縮めてしまうことだろう。

 石巻の私立大川小学校では、生徒たちを校庭に集め点呼をしている最中に大津波に飲み込まれて108名の生徒の8割が命を失った。自分の孫たちが津波にのみ込まれ、おぼれ死んでゆく姿を想像すると、可哀そうでならない。先生たちも一瞬のできごとでどうする間もなく、津波にのみ込まれてしまった。大悲劇である。しかし、何故、すぐ避難出来なかったのだろうか?石巻市における津波対策はどうだったのだろうか?

 気仙沼など大津波被災者の避難先では、地震発生後17日過ぎているのに未だに一日の食事は2回だけ、それも不十分な量である。原因は米が足りないからだという。政府も、県当局も必死で頑張っているのであろうが、この文明国でそのような状況が長く続いているのを悲しく思う。行政的な物事が行き届かないのは、何が原因なのか?

 今は非常事態なので皆沈黙しているが、原子力発電所事故も含め、全ての状況が終息したら政府を含め関係機関、原子力安全委員会、そして東京電力などに対する責任の追及が一斉に始まるだろう。特に、原子力発電所については、当初の設計のミスも指摘されている。ゼロ戦設計のように、完璧なまであらゆる無駄(と考えられる部分)を削ぎ落とし、余裕のない設計をしたため、2号機のような事故が起きてしまったのかもしれない。

 1000年後、また同じような悲劇が起きないように、思考パターンが日本人とちょっと違う西欧人のアドバイザーを沢山雇い入れ、今回の悲劇の徹底的な検証と、住居や施設の設計に智恵を貸してもらう必要がある。それは、洞察力のある優れた政治家の仕事である。幕末・明治初期の政治家たちは、どのようにしてこの国を非常に短い期間に列強に伍する力を持つ国に仕上げたか。その智恵に学ぶ必要がある。

2011年3月28日月曜日

大震災の教訓・アイデア(1)(20110328)

 此の度の東北関東大震災で、26日現在、20万人弱の方々が避難所で暮らしている。その中には、福島第一原子力発電所の被災事故のため避難した方が34千人ほどいる。町や村の自治体ごと役場の機能とともに集団で避難しているところもあり、その動きが広がってきている。集団避難を受け入れる側の自治体も親身になって受け入れ準備をしている。

 一方、湾の入り江の奥などには、支援が届かず孤立している避難所や家がまだ多数あると聞く。また、避難先で体力を落とし、命を失っている人びとが毎日のように出ていると聞く。一刻も早い、十分な救援が必要である。

災害に遭っていない人びとは、実際に避難して不自由な暮らしをしている人びとの苦しみや悲しみの気持ちを分かち合いたいと思い、実際にそうしているが、避難生活を送っている方々の苦しみや悲しみは、実際に避難生活を送っている方々しか分からないだろう。そういう方々が、1日でも早く今よりも増しな暮らしができるようになるように祈り、願い、何か自分に出来ることをしたいと思い、多くの人びとがそのように行動している。

 政府をはじめ関係機関、自治体、企業、団体等の関係者は寝食も忘れ、必死にこの未曾有の問題に対処している。日本国民一致団結してこの国難を乗り越えようとしている。NHKはインターネットで「NHKニュース」をリアルタイムで流し、視聴者に地震関連の最新情報を提供してくれている。情報の共有が日本国民の団結を一層強固なものにしている。

 そういう中、福島第一原子力発電所から北に30キロメートルぐらいのところにある村の農地の土壌や、水道水が高濃度の放射性物質に汚染されていることがNHKで報道された。地元の首長はその報道でその事実を初めて知ったという。これは政府の情報提供システムの不備に起因するものである。このような問題は即刻解決されなければならない。

 その町には自衛隊が大量の飲料水を緊急輸送し、住民に届けた。放射線の濃度は日時を経るにつれ低下し、飲料水についてはその濃度が健康に影響を及ぼさない程度まで下がった。先日、関東北部の地域や福島県で、農作物などに基準値を超える放射性物質が計測され、出荷停止になった農作物や、水道水についても、放射線量は平常値に戻ってきた。

 必要な情報、正確な情報が、時機を失することなく速やかに提供されれば、人びとは不安を感じることなく、今起きている事態に冷静に対処することができる。

 この日本では、テレビやラジオだけでなく、インターネットでも、NHKから豊富な情報が動画付きで提供されている。テレビで見損なったニュースでもインターネットで、動画で視聴することができる。

 巨大地震のため突然停電が起き、深夜まで停電が続いた我が家は、テレビを見ることが出来ず、インターネットも使えず、固定電話も携帯電話も通じず、唯一ラジオだけが情報源であった。あのときもし我が家に、ペダルを踏んで動力とする携帯式発電機があって、その電源を使って携帯テレビや無線LANで情報が入手できたとしたらさぞ素晴らしかっただろうと思う。メーカーには防災機器として、是非研究・開発して貰いたいものである。

2011年3月27日日曜日

この国難の最中、中国の許し難き行為(20110328a)

 東シナ海に駐中間線日本側を警戒航行中のわが海上自衛隊(‘日本国防海軍’)の護衛艦(英語による型名表示のとおり‘駆逐艦’)に高度60m90mの距離まで接近し、わが駆逐艦の周囲を一周した。これまで何度もこのようなことが起きている。

 日本国民はこのような中国の行為を許せるか!

 最早、堪忍袋の緒も切れそうである。今後再び此のような行為に及ぶなら、威嚇射撃も辞さぬ強い態度が必要ではないか?

 わが自衛隊(‘日本国防軍’)は、我が国未曾有の大災害に、非常に多くの自衛官(‘軍人’)と装備機材が投入されている。しかし残余の能力を正面に集中し、我が国への侵略行為を警戒し、有事即応の態勢を維持している。

 政府は、大災害からの復旧・復興に向けて、また、福島第一原子力発電所2号機の危険な状況を終息させるため、総力を挙げているが、一方で、中国のこのような行為に対して、断固たる態度で臨むべきである。

 自民党ほか野党も、臨時に期間を限定して政局休戦をし、国を挙げて中国への対処のため行動すべきである。先ずは、外交努力である。

 国民は、貴方方にこの国のことを託しているのである。腰を据えて、全政党一致体制で、中国に対してこれ以上、我が国を刺激しないように策を講じて貰いたい。
時が経つにつれ (20110327)

 未曾有の大災害に遭った日から2週間が経った。テレビで報道されている内容も次第に日常の普通のものになりつつある。

 しかし、被災し、夫、妻、親、子ども、親類、友人、恩を受けた人などを大津波に飲み込まれて亡くし、避難所暮らしをしている人びと、福島第一原子力発電所の被災事故により、避難を余儀なくされて不自由な避難所暮らしをしている人びとのことを、マスコミは、特にNHKは、これからもずっと、避難所暮らしをする人がいなくなるまで、報道を続けてほしい。その一方で、震災からの復興の状況をこまめに報道してほしい。

 昔と違って現在の都会地には、日本の総人口のかなり大きな部分が集中している。都会地の人びとは、自分たちの住んでいる場所から遠く離れた人口の少ない被災地のことを、いつも気持ちの中に留め続けるように心がけねばならぬ。

 太平洋ベルト地帯に日本の人口のかなり大きな部分が住んでいるが、ここに、明日にも東北関東大震災にまさる大震災が起きぬとも限らない。他人事ではないのである。もし、この太平洋ベルト地帯に大災害が起きた場合、日本は、‘頭脳’や‘肺’や‘心臓’や‘肝臓’や‘胃’など人体の主要な部分に対比される諸機能が重大なダメージを受けるだろう。そのときは、最早再び日本は立ち上がれなくなってしまう可能性はある。

 そのとき、初めて、かつて高学歴の若者たちがオウム真理教にのめり込んでしまったように、頭がすこぶる良い人たちも何か目には見えないも、他界にある何かの‘存在’を信じ、哀れに助けを求めるようになるかもしれぬ。

 「頭が良いということ」と、「普通の常識を備えているということ」とは、違う。頭の良い人は、一言のもと「当たり前だ!」と吐き捨てるだろう。しかし、「頭がよく、普通の常識を備え、他を見下げることはなく、物事を洞察し、物事の裏や深部に潜む‘問題’を見つけ出し、その‘問題’が面に表われる前にその‘問題’を解決すること」ができる人は少ない。自己過信、自信過剰、優越心が判断を誤らせている。

 かつて日本の陸軍参謀本部や海軍軍令部にいた将校たちは、頭が良かった。しかし、彼らが日本をどういう結果に導いてしまったか?同様に、今の日本の中央官庁の上級官僚たちも頭がよいことにおいては、旧軍の場合と同じであろう。

 一方、「政治主導」を標榜する政治家たちはどうであろうか?頭が良いか?永田町の人ではない普通の人びとと同じ常識を備えているか?議員バッジを胸に付けた途端「先生」とよばれ、それまで有権者にペコペコ頭を下げていた状態とは裏腹に「胸を反らせ」、有権者を見下げていないか?「官僚をたたく」心理は自分の劣等感と裏腹ではないか?

 この日本では、特定の政党を支持しない有権者の多くは、学歴も高く、情報も豊富に得、謝礼を貰ってマスコミに出る有識者のように表だって発言はしないが、物事の正悪を判断し、選択する普通の常識を備えている。この点が昔とは違う。

 この未曾有の大災害は、古来仏教に親しむ日本人への御仏の教え(方便)かもしれぬ。

2011年3月26日土曜日

大和魂(20110326)

 被災してまだ行方をも判らぬ医師の母親は、もう90幾つかとかいう。ある避難所で日々を送っている。その母親は、「(自分の息子が)医者の本分をしっかり果たしているだろう。もし、既に命を失っているならば医者として勤めを果たした上のことであろうからそれで良い。」と淡々と語った。

 被災したある即応予備自衛官は召集令状を受け取った。90歳を超える祖父母と同居している両親から「後のことは心配するな」と励まされ、普段支給されている装具をまとって集合場所にはせ参じ、‘予備役’部隊編成式を終えて任務地に派遣された。

 未曾有の大災害に遭ったこの国の至るところで、武士道の徳目・大和魂が顕れている。正に、道徳の力は測り知れぬほど大きい。日本人の先祖は、太古の昔、大陸から切り離される前1万年以上も長く平和な暮らしをしていた。そこへ弥生時代、大陸から新たな文化を持つ人びとが渡来してきて縄文人と争うことなく混交し、今の日本人の原型が出来た。「和を以って尊しと為す」というこの国の精神は、今日に至るまで引き継がれている。

日本人は、第二次大戦中、当時の敵国・アメリカによる空爆で、何10万人という人びとが死んだ。原子爆弾を落とされ、一挙に何10万人という人びとが死んだ。そして今回の500キロに及ぶ海岸線で大津波に遭い、何万人という死者を出し、何10万人という人びとが家を失い、避難所暮らしを余儀なくされ、その上、原子力発電所の被災による半径80キロを超える地域でも食物・飲料水への放射能汚染が生じている。

 世界で日本のように何度もダメージを受けた国はない。今回のダメージは最も大きい。にもかかわらず、日本は再び立ち上がるべく、奮闘している。決して負けない。年寄りは年寄りなりに智恵を出し、頑張っている。次の時代を担う若い人たち、子供たちは、更に頑張っている。甲子園球場では観衆も「日本を救うため頑張ろう!」と唱和している。

 武士道は、日本人のそのような生来持っている気質・心情の上に築かれた精神である。日本人はこのことを大いに誇りに思ってよい。世界中どこを探しても、日本のような国はない。かつて若者の間に「日本に誇りを持てない」といいう風潮があった。しかし、この大災害に遭ってそのような風潮は吹き飛んでしまっただろう。

 日本ギャルママ協会が、全国5000人の会員に呼び掛けて、被災地の子育て中のヤングママを支援するため立ちあがった。若い子育て中の母親のことを身にしみて知るからこそ、インターネットでの呼びかけに応じて本当に必要な物資が集まった。それを彼女たちの夫たちが数台の自家用車で被災地に送り届けた。拍手を送りたい。

 在日アメリカ軍は放射能汚染に対処するため、ヨウ素の配布を開始した。自衛隊は放射能汚染拡大防止のため、米海軍・海上自衛隊両軍艦船の連携で対処することにした。中国は病院船の派遣を日本政府に申し入れた。最悪の事態を何とか避けようと国を挙げて努力している。最悪の事態が起きる可能性がある。万一不幸にして最悪の事態が起きたとしても、殆どの日本人は決して乱れることはなく、組織的に秩序ある行動をとるだろう。

2011年3月25日金曜日

マニフェストの一時凍結・政局休戦せよ(20110325a)

 此の度の未曾有の大災害に国を挙げて対処するため、民主党はマニフェストを一時凍結し、野党と休戦合意し、暫定連立内閣を構築すべきである。

 何事もそうであるが、問題が起きた時、一度原点に立ち戻ることが重要である。この場合、原点とはマニフェスト実施中である状況から実施前の、これから正に実施しようとする出発点である。

 この考え方に反対者は多かろう。特に小澤氏・鳩山氏及びその一派は大反対であろう。そうであるならば、野党各党との暫定的な大連立を前提に「原点に戻る」ことを同意する同士だけでグループを結成し、暫定的な、期間を限った大連立内閣を発足させればよい。

 子ども手当・高校無償化・高速道路無償化は、暫定的に棚上げするのである。そして、児童手当を復活させ、更に保育園を充実させるのである。

 「最小不幸社会の実現」でなく、当面「最大多数の最大幸福」を実現させるのである。子ども手当がなくなり収入が減り、人生計画が狂う人びとも出るであろうが、それは少数であろう。最大多数ではない。高校無償化は、被災地域に限定し、それも期間限定にすればよい。民社党など、小市民感覚の発想から脱却せよ。

 小澤氏・鳩山氏及びその一派は、党を割って出るかもしれない。それならそれで良いではないか。国民の「最大多数」が「最大に幸福」であるような方向は、この国難の時、日本の有権者の最も多数の人びとから支持されるであろう。

 この国難のとき、菅直人内閣総理大臣の‘肝’が試される。指揮官は常に孤独である。指揮官である菅直人氏は、自分の意図に沿わない側近や、私心のある側近は遠ざけ、真に国の為を思う真心をもった、高潔な側近、今の時代の‘真の武士’の言に耳をかたむけよ。
高速道路網の復旧とともに (20110325)

 この日本列島の99.9%以上の日本人が、此の度の東北関東大震災で、お互い助け合い、励まし合っている中、0.1%以下の悪人どもが被災地で悪事を働こうとしているだろう。

警察、自衛隊、自治組織は、東北自動車道等、交通網の復旧とともに被災地に流入してくる悪人どもをしっかり監視し、悪事を働いた奴らを捕え、厳罰に処するように監視の目を光らせて欲しいと思う。

10日ほど前、私の独り暮らしの母が、僅か1万円であるが、詐欺に遭った。玄関のチャイムが鳴ったので、ドアを開け応対に出た92歳の継母に、これまた年老いた男がいかにも親しげに「其処の街灯を修理しなければならないので、この近所の家々に費用の分担を求めている」とか言ってちょっと世間話をした。相手がいかにもその町の住民のように見えたのだろう、継母は言われるままに1万円出してその年老いた男性に与えてしまった。

老人の背後に若い年代の詐欺組織があって、無職の年老いた男性を使い、小口の詐欺を働いているのかもしれない。いつも訪問介護サービスに来ていた親しいヘルパーにその話をし、そのヘルパーはそのことを上司に報告し、上司は町の介護支援センターに報告し、同センターから警察に報告した。その状況を遠く離れた遠隔地に住む私に報告してきた。

似たようなことが、被災地で起きるかもしれない。いかにも親切面して被災者に同情し、うまく金を巻き上げる手口が、実際に起きているのではないだろうか?

 被災地では、多くの人々が自らは肉親を亡くしながらも復興に向けて立ちあがっている。敢えて避難所に入らず、住みなれた土地の高台で自衛隊による補給支援を受けながら「わしらがいないと、このがれきの下で命を失った仲間が発見されたとき、それが誰であるか判らない」と言って、高台の寺のお堂の前で自主避難生活をしている高齢の人びとがいる。何百キロという海岸線沿いの被災地にはそのような地縁・血縁の村や町が数多くあるようである。取材したニュースキャスターの女性は、現地の様子を、声を詰まらせながら衛星通信回線を通じて東京のスタジオに報告していた。

 夜は真っ暗な被災地に、1日でも早く電気が復旧し、防犯灯や防犯カメラが設置され、悪事を出来るだけ防ぐようになって欲しいと願わずにはいられない。

 道路網の復旧とともに、詐欺やコソ泥だけではなく、もっと大きな社会的不安状況が起きる可能性がある。奴らは悪事において頭がすこぶる良い。海外からも組織的な犯罪組織の手先が被災地に入ってくるかもしれない。国際テロ組織も入ってくるかもしれない。

今回の災害の規模が‘点’ではなく‘面’として大きな広がりがある未曾有のものであるだけに、災害復旧・復興とともに警察力・治安維持力に留意することが是非必要である。政府の危機管理システムは当然そのことにも怠りはないだろうと思うが・・。

2011年3月24日木曜日

海外の災害救助隊(20110324)

 北方領土や尖閣諸島や竹島の領土問題で不信感がある国々から、今回の大震災の被災者救助・救援のためチームが派遣されてきている。彼らの活動状況について、少しづつ報道されるようになった。おそらく、それぞれの国の中では、専従の記者・カメラマンが同行して、それぞれの国の国民向けに大々的に報道されていることだろう。

 日本国民は、それらの国々からの支援を感謝しているが、だからと言って領土問題から意識をそらすことは絶対ない。むしろ、武士道の徳目である勇気、仁愛、忍耐、努力、恥を知る意識、仲間意識、同胞意識、誇り、名誉、愛国心、所属する会社への忠誠心、進取の気性などが一層発揮され、戦後日本人に対するマインドコントロールのように意図的に植え付けられていた自虐史観から脱し、それらの国々の誤った歴史観、信義に反する行動に対して、これまでのように黙っているばかりではなくなるだろう。

 平和主義者・理想主義者のオバマ・アメリカ大統領は、「背に腹を替えられず」自国債を大量に買ってくれている中国にすり寄り、日本を窮地に陥れるかもしれない。しかし、国の背骨であるわが自衛隊(‘国軍’とすべきである)が、しっかりと日米同盟の絆を大事に守るという決意を持続する限り、日本列島から台湾、フィリッピンに至る列島線は縄張りの生命線として維持され続け、日本はそのような窮地を免れることができるだろう。

 二人に代表される、日本をめちゃくちゃにした政治家は、政界から去って貰わなければならぬ。「トラスト・ミー“Trust me”」。何がトラストミーか!140人もの国会議員を引き連れて、自らが「世界の中心=中華」思想を奉じる中国に朝貢外交をし、天皇を軽んじた行為を、多くの「今の時代の‘武士’」たちは、苦々しく思っている。

 また、自国の国旗・国歌を「憲法に保障された思想信教の自由」であるからと、一部の教師たちは子供たちに間違った考えかたを植え付けようとしている。教育委員会がそれら教師を処罰したことに抗議して裁判に訴え、東京高裁は「処罰は間違っている」と判決を下した。沖縄では堂々と反日教育が行われていると聞く。これらの状況を見て喜びほくそ笑んでいるのは誰か?

日本は未曾有の巨大地震による、未曾有の大災害から必ず立ち直る。被害復旧から復興へと全国民のエネルギーが集中される。一方で、半数もの隊員(‘軍人’とすべきである)を災害救助のため割かれながらも、残余の人員で、国の守りの最前線で海空自衛隊(‘国防海軍’、‘国防空軍’とすべきである)と海上保安庁の巡視船部署(“Coast Guard”の表示どおり‘沿岸警備隊’とすべきである)は、24時間休みなく任務を遂行している。

突然、栄誉礼もなく解任された田母神元航空幕僚長(‘国防空軍参謀本部長’とすべきである)、尖閣ビデオを漏えいした罪により免職となった元海上保安官一色氏は、腐った政治家どもが牛耳っていたこの国の現状を改めようと自ら犠牲になった方々である。この二人は、真に「今の時代の‘武士’」たちの鑑である。

2011年3月23日水曜日

放射能汚染(20110323a)

 福島第一原子力発電所による放射能汚染は、暫定基準の数値を基準にしている。それは、‘実用的標準’ではない。ゆえに、政府も学者も繰り返し、繰り返し、「(実生活上心配はないので)冷静に対応するように」と言い続けている。

 ことの発端は、政府が暫定基準を独り歩きさせてしまったことである。この結果人びとを不安にさせ、風評被害まで呼び、農家等に対する補償のため多くの国費を使わなければならなくなった。政府は初め東京電力に全額負担させるようなことを言っていたが、それは間違っている。事は東京電力だけの責任ではない。

 人びとは、美味しい野菜なら、美味しい牛乳なら、美味しい海産物なら、美味しい水なら、多少放射能汚染があっても人体に影響ないものであれば、政府がいくら「出荷停止」と決めても、食べるようになるだろう。

そのきっかけは、数日後「汚染度を再度測定したら汚染レベルはぐっと下がって、かくかくしかじかのようになった」という政府の発表であるかもしれないし、此の度の政府の対応に疑問をもつ学者など誰かによる「出荷停止になった野菜を食べよう!牛乳を飲もう!」と、インターネットなどによる呼びかけかもしれない。
災害救助日米協同作戦(20110323)

 初めてテレビで放映されたが、東北沖に滞在しているアメリカ空母ドナルルドレーガンから救援物資を積んだアメリカ軍のヘリコプターが飛び立ち、被災地に物資を輸送した。

 自衛隊が米軍に救援物資の必要品目・数量・輸送先等を連絡し、空母の乗員がアメリカ本国から送られてきた物資を空母甲板上のヘリコプターに搭載した。

 輸送先にヘリコプターを誘導する航法援助装置があるわけではないので、ヘリコプターのパイロットは予め地図上で確認した目標地点まで行き、目視でそれらしい場所を見つけ、其処に着陸するしかない。天候が悪ければこのような作業はできない。

 ある被災地近くのグラウンドにそのヘリコプターが着陸し、住民たちが救援物資を受け取っていた。避難所の人たちはパイロットに涙ながらに感謝の気持ちを伝えている。公設の避難所になっていない場所に避難している人びとにとってこんな有難いことはない。

 自衛隊もヘリコプターを飛ばし、そのような場所に物資を運んでいる。しかし、切実な需要に供給が追い付いてゆかない。救援物資が届かない避難場所が未だに存在している。

 被災し使えなくなっていた仙台空港の滑走路を、災害救援物資を輸送する大型輸送機の発着が出来るようにしたのはアメリカ軍であった。沖縄駐留のアメリカ海兵隊がその作業を担った。日本国民の多くはこの事実を知らない。

自衛隊もアメリカ軍と同じ型の輸送機C-130を保有しているが、先日、東北のある空港にアメリカ軍のC-130が救援物資を輸送した。自衛隊はアメリカ軍のC-130から救援物資を受けと取り、指定された場所に輸送した。

 一時期、日米関係はぎくしゃくした。今、民主党のマニフェストにノーを突きつける国民は圧倒的に多い。誤算であったのだろうが、民主党の過去の二人の指導者の罪は大きい。国民の目には、この二人とその一派は、国の大事よりも党利党略・私利私欲に重きを置く連中だと映っている。

 テレビで見たが、放射能汚染された福島発電所のがれき撤去に従事したある企業の社員は、「日本を救うため自分の技術を生かしたい。求めがあればまた現地に入る。」と言った。中国のあるメディアは、放射能汚染事故発生時現場に踏みとどまり作業を続けた東京電力の50人の社員を讃えて「現代の武士」と言ったが、この未曾有の大災害を契機に、愛国心と使命感に燃える人びとが増えた。新渡戸稲造が説いた「武士道」は見事蘇った。

 そして、日本とアメリカの同盟の絆は、自衛隊とアメリカ軍の災害救助協同作戦により一層深まった。日本国民は平和ボケの眠りから目覚めた。後は、政治がこの絆をどう扱うかにかかっている。

識見のお粗末な、志のない、私利私欲に走る政治家、政治家を職業としている代議士は、正に‘国賊’である。新渡戸稲造が言うように、道徳の力は大きい。今、日本中で武士道の徳目が発揮されている。上記政治家どもは、いずれ淘汰される運命にある。

2011年3月22日火曜日

9日ぶりの救出(20110322)

 80歳の老女とその16歳の孫息子が9日ぶりに救出された。大津波に遭ったとき2階の台所で祖母と食事中だったという。二人は冷蔵庫の中に牛乳2本とかヨーグルトとか菓子とか水があったので生き延びることができた。救出されたとき、この少年は「おばあちゃんを助けて下さい」と言ったという。

 二人は隙間から薄明かりが入ってくるが立つ事も出来ない狭い空間内で、助け出されるのを待っていた。少年は閉じ込められた部屋の中からなんとかがれきの山を取り除き、屋根の上に登り屋根に這いつくばっていた。閉じ込められた中から、外で捜索活動が行われていることが話し声などで判っていたが、どうすることもできなかったらしい。

 このような例がまだ他にあるのではないだろうか?大津波に流され、元あった場所から遠く離れた場所のがれきの山積みの下で、まだ生きていて助け出されることを待っている人がいるのではないだろうか?

 テレビや新聞で、外国の捜索救助隊の活動について全く報道されていない。どうなっているのだろうか?外国の救助隊による生存者の捜索救助活動について、どのような調整が事前に行われ、組織的な捜索救助活動が行われたのだろうか?

 人間の体で言えば、大脳が障害を受け、外国の捜索救助隊の活動に対する調整ができない状態だったのだろう。被害があまりにも大きすぎて、手の着けようがなかったのだろう。しかし、コンピュータシステムのように、障害を受けた大脳の一部を、別の頭脳との連携で肩代わりさせるという発想は、全く出来なかったのだろうか?いや、そのような発想があったのだろうか?そもそも政府の危機管理室には、大規模災害発生時の対処について行動手順書があったのだろうか?

 NASAJAXSAなど、また民間の衛星通信事業者などには、エマージェンシー(緊急事態)対応の手順書がその他の運用手順書とともに常に準備されていて、常に見直しのミーティングが行われて、訓練されていて、緊急事態が発生すれば手順書に基づき直ちに実行されるような仕組みができているはずである。

 政府の危機管理室にも、そのような緊急対処の手順書があってしかるべきである。日本では、それをマニュアルと言っているのだろうが、プロシージャ(手順書)は、そのような、どちらかと言えば個人から個人への申し送り書のようなイメージのものではない。

 プロシージャは、「システム」あるいは「組織」を動かすための手順を、一定のレベルがある者であれば誰でも、訓練を受けて理解でき、緊急時に実施できるものである。日本は、この度の大規模災害を教訓として、早速、そのようなものを作成すべきである。自衛隊や民間のしかるべき企業には、そのようなセンスをもった人材が沢山いる筈である。

2011年3月21日月曜日

問題を見つけ出す能力に欠けている(20110321a)

 今回の被災した福島第一原子力発電所から飛散した放能性物質による農作物・海産物・飲料水の汚染について、各都道府県におけるサンプル調査が行われその結果が発表された。厚生労働省は、その調査結果に基づき、農作物や海産物の出荷停止・出荷された物の回収を指示した。この度の処置は、正しかったか? 次の疑問がある。

    調査結果は食品衛生法に基づく暫定基準値を基にしたものである。その基準値は、今回の事故に遭遇し、国際的な基準値を慌てて採用したものである。

    その暫定基準値はあくまで暫定的な基準値である。それは日本人の日常の生活を勘案した摂取量を基に定められた実用的な‘安心の目安’ではない。

    調査の仕方について、具体的な、標準的な手順が事前に示されていたわけではない。検査結果のデータについては当然、大きなばらつきがある筈である。

    新聞やテレビに登場する学者たちの識見には、統一されたものがない。

    上記②の‘安心の目安’について、官房長官や一部の学者たちが説明しているが、全く不十分である。

 検査に従事した検査官たちは、「汚染されているか、いないか」という‘問題を解く’能力には非常にすぐれている。
 しかし、「測定の手順に問題があるのか、ないのか」という‘問題を見つけ出す’能力には欠けたところがある。
 厚生労働省の官僚も「基準に照らし、集荷を停止し、既に出荷した物を回収するという指示を出す」という、‘問題を解く’能力には非常にすぐれている。

 しかし、「その結果、どういうことが起きるのか。中央官庁としてそのような指示を直ちに出すことが、どういう基準によって正しいのか、他に踏むべき手順があるのではないのか」という問題を見つけ出す’能力に欠けたところがある。

 これは、これまでの学校教育、大学における教育の在り方に問題があったのだと思う。

 「問題を解く能力」ことも勿論重要であるが、「問題を見つけ出す能力」は更に重要である。問題は我々の周りにいくらでも転がっているのである。

 公務に従事する方々は、皆、一生懸命にやってくれているが、今一つ冷静になって頂いて、この未曾有の国難に対処して欲しいと願うばかりである。
東京都の消防官(20110321)

 福島第一原発からの放射能汚染の拡大を局限化するため、自衛隊や消防が極限状態の中で必死に作業を行っている。

 昨日は、東京都のハイパーレスキュー隊が、原発施設傍の海から水を引き、何キロもの長さのホースを伸ばして第3号機燃料保管プール内に連続的に海水を注入できるようにし、連続注水に成功した。隊員たちは放射線レベルが極めて高い状況の中、手作業でホースをつなぐ作業を行った。日ごろの訓練の成果、実経験の成果が現れた。

 消防官の宣誓書には「人命及び財産を火災より擁護するためには危険をも省みず全体の奉仕者として」という文言がある。自衛官の場合は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」である。また警察官の場合は、「何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党且つ公平中正に」という文言になっている。

 今回、「危険をも省みず」危険な濃度の放射線を浴びながら働いた消防官たちにも家族がある。彼らは妻たちから励まされながら頑張った。現場指揮官の妻からは「国の危機を救うため頑張って下さい」というメールが送られていた。

 もともと、国の為、自分の命を投げ出すことを要求されている自衛官たちにもそれぞれ家族がいる。皆、士気が高く、国の危機を救うため頑張っている。

 東京電力の社員たちも同じである。原発の最初の爆発のとき、現場に踏みとどまった50人の社員たちに、日本のマスメヂアは関心を示さなかったが、さすがアメリカのメディアは彼らを最大限に称賛した。

 被災地の現場では、医療・福祉施設で働いている人たち、行政の職員、地域の消防団のメンバーなど、それぞれの部署で、自らは被災し、愛する家族を失い、住む家を失った方々も、悲しみに堪え、使命感に燃え、それぞれの職務を遂行している。

 日本人は、皆、同胞(同じ腹から生まれた人)である。天皇家は、古来、全日本人の家々の宗家である。日本中が被災者を支援し、各地で避難者を受け入れている。世界中から、日本への同情と支援が送られている。日本は一家、世界は一家である。

皆、日本人の高い徳性を示している。苦難の状況下、互いに助け合い、励まし合い、高い倫理観と使命感をもって危機を乗り越えようとしている。武士道の徳目は蘇った!

 金と政治の問題で、自分の側近が逮捕されても「知らぬ存ぜぬ」と詭弁を弄し、日本をめちゃめちゃにしても未だにその責任を自覚しない恥知らずの政治家たち、及びその一派に、今後この日本の政治に干渉をさせてはならぬ。

2011年3月20日日曜日

重大緊急事態対処体制(20110320)

 今回の大災害への対処について考えれば、人間の体に例えれば、全身にけが・やけど・一部のまひなどを含む大小のダメージを受け、大手術をして当面の対処をしたという状態である。これからは、生命の維持をはかりつつ、回復の障害になっているものを取り除き、身体自身が持っている自然治癒力を最大限に引き出し、頭脳の活動を活発化させることが重要である。血管や神経を修復させ、重大な傷を負った部分への血流も徐々にではあるが改善された。神経系も徐々に回復されつつある。

問題は頭脳の活動である。血流が滞りなく流れるように、大脳の全域が回復されなければならない。そのためには、酸素や糖分の補給が不足して疲労困憊している脳を休息させながら、活性化させることである。

具体的には、地方行政組織の機能を回復させることである。脳は最も重要な部分である。
国民の耳に聞こえてくるのは、「未曾有の大災害を、何としてでも乗り越えなければならない」という精神的なアピールだけである。具体策が見えてこない。国土交通省は道路網や港湾など輸送ルートの回復に全力を挙げているだろう。厚生労働省は、被災地の医療・衛生確保のため全力を挙げていることだろう。総務省は電気通信網の回復に全力を挙げていることだろう。しかし、これも総務省の担当だろうと思うが、被災地の行政組織の回復について、どういう手が打たれているのだろうか?

災害対策基本法・原子力災害対策特別措置法などに基づき、経済産業省は、今回の福島第一原子力発電所の事故について懸命に対処したと思うが、後手後手であった。

事態は、非常に深刻である。同盟国アメリカが自国民の日本国外への避難や、当該原子力発電所から半径80キロメートル以内からの退避を勧告している。政府は、国民に対して「過剰反応である」と説明している。しかし、どうも納得できない。

事は、国家安全保障に関わる事項ではないのか? 安全保障会議設置法に基づく大緊急事態、すなわち、我が国に対する武力攻撃が行われた事態以外の緊急事態で、日本の安全に重大な影響を及ぼすおそれがある事態であると深刻に受け止め、国内におけるこれ以上の異常な事態が起きることを防ぐ準備をしておく必要はないのか?

そもそも「‘最小不幸社会’の実現」という、市民活動よりの精神論は、一般大衆受けのスローガン、国家社会主義的スローガンであって、国民は、それに騙されて民主党政権を選んだのである。最早、そのスローガンの空虚なことを国民は知った。

今、この国で必要なスローガンは、「‘最大多数の最大幸福’を実現する」という国家的・大局的スローガンである。最大多数が最も幸せになるようにお互いに頑張る。国民のそのような姿勢が重要である。この際、子ども手当は廃止すべきである。高速道路の無料化も廃止すべきである。「最大多数の最大幸福」の実現のため、国を挙げて努力しなければならない。菅総理には、「心を無」にして、国の為わが身を棄てる覚悟で頑張ってほしい。

2011年3月19日土曜日

重大な放射能汚染・被爆事故が起きなければよいが・・ (20110319)

 今回の福島原子力発電所の事故は、巨大地震被害による不可避なものであったと、一言で片づけてはならない。素人でも若干の知識があれば判断ができることであるが、核燃料がある原子炉内や使用済みで保管中の核燃料の冷却ができなくなると核分裂反応が起きる可能性があり、スリーマイル島原子力発電所事故の比ではない重大事故が生じる可能性がある。冷却の方策の実施が遅れたことについては弁解の余地はない。

 福島原子力発電所の原子炉冷却系統の設計が万全であったとは思えない。原子力保安院は経済産業省の特別な機関である。東京電力も経済産業省の管轄下にある。NHKの番組において今回の事故について解説している専門家も、原子力保安院や東京電力の関係者との間でネットワークがあって、ある意味では関係者の保身に加担しているのではないかと疑いたくなる。国民には事の重大さを知らせず、事故対策も後手後手となり、今回の事故が起きた当初、技術的支援を申し出たアメリカの技術的支援を断り、アメリカに不信感を抱かせた。

 アメリカ政府が、アメリカ国民の保護のため日本国外脱出を促したり、福島原子力発電所から80キロ以上に避難させる勧告をしたことを、政府も、NHKの番組に出た専門家も一様に「過剰反応」だと言う。皆、国民をだましていないか?

 18日夜8時過ぎにテレビに出て国民に呼びかけた菅首相の言葉は、虚しく聞こえる。自衛隊による必死の作業が功を奏すればよいが、それは無駄な徒労に終わる可能性がある。核物質が風に乗り拡散し、中性子線が当該原子力発電所から半径何10キロのところまで飛び、遮蔽物がない一般市民に襲いかかるかもしれない。

 そうならねばよいが、と祈るばかりである。

 

2011年3月18日金曜日

原子力保安院の態度に疑問 (20110318a)

 昨日の、陸上自衛隊ヘリコプター団と航空自衛隊基地消防隊による破損原子力発電施設3号機に対する、「身の危険を顧みず」遂行された注水作業の結果について、施設周辺の放射線レベルが低下していることについて、原子力保安院は、「放射線レベルの低下の現象が昨日の注水結果に直ちに結びつくものではなく、もう少し経過を見たい」と言った。

 その一方で、2号機に対する送電線敷設工事を先行させ、自衛隊による注水作業は、それ以降、午後2時過ぎから行う」と言った。おそらく、その注水作業の開始は、もっと遅くなるだろう。同時並行して行うという智恵はないのか?!

 原子力保安院の態度は、「保身的」と言わざるを得ない。多くの市民を退避させた責任を逃れようとしている官僚的な態度と言わざるを得ない。なぜ、率直に「自衛隊による危険を冒した注水作業結果だろうと思うが、放射線レベルが低下傾向にある。ただし、かくかくしかじかの理由により、そうと断定できない部分がある」と言わなかったのか!

 彼らは高等教育を受け、問題を解く頭は良いのかもしれないが、「問題を見つけ、事前に問題に対処する」智恵が足りない。マスコミは、そのことを批判しない。政府も「専門家に任せる」と言って、彼らをリードしようとする意志がみられない。

 自衛隊は、常に有事即応の研究を重ね、演習を重ね、準備を続けてきている。何故、官僚はこのような国難のとき、彼らの能力をフルに活用しようとしないのか?無能なシビリアンコントロールは百害あって一利なしである。
‘軍’へのアレルギー (20110318)

 この度の大震災で国民は気づいたかもしれない。それは、これまで自衛隊というものに対し、国民はあまり敬意を払ってこなかったということである。自衛隊を‘軍’と認めず、自衛隊は災害派遣や国際救助活動には使い勝手が良いというような感じで使ってきた。

国民がそういう状態であったことは一にも二にも政治の責任である。政治家たちは国のことは二の次で、‘職業政治家’に成り下がり、「国民のため」と口にしながら自分たちが属する党派のため行動してきた。それを「政治」と勘違いしてきた。

 自衛官は、外国では‘軍人’とみなされている。自衛官宣誓には、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」という一文がある。この度の福島原子力発電所における放射能汚染の拡大を防止するため、破損した原子炉の上空や地上からその原子炉への注水作業に従事した隊員たちはこの宣誓のとおり行動した。

 表には出てこないが、福島原子力発電所の職員や契約企業の社員たちは、放射線レベルが異常に高い現場で、放射線被害の拡散を防ぐため懸命な努力を続けている。彼らは高い倫理観・使命観をもっている。一部の政治家たちとは高潔さにおいて雲泥の差である。

 天皇陛下は、今朝(17日)、国民に対しメッセージを発せられた。聞いていて真に有難いと思った。陛下のお言葉に対して政府は何も語らなかった。これが今の日本の状況を象徴している。外国では陛下のお言葉に深い関心を示した。インターネット版“Washington Post”や“USA TODAY”に陛下のお言葉が音声で流されていた。

 この国は、自虐史観からなかなか脱皮できない世代の人たちが政治の表舞台から去って行かない限り、まともな国にはならないだろう。自虐史観は、幕末に徳川幕府体制を維持しようとした人たちが、なかなかその保守的体質を変えられなかった歴史観と、ある意味では対比されるところがある。

 自衛隊は国の背骨である。元航空幕僚長・田母神俊雄氏は、自らの身をもってこの国を変えようとした。ある意味で、田母神俊雄氏は吉田松陰と対比されるところがある。自衛隊は明日も要請があれば、注水作業を行うという。是非頑張って、放射能汚染の危険を取り除いて欲しい。そう遠くない将来、自衛隊は“日陰者” から、名誉ある地位、“国防軍”となるだろう。自衛官も“軍人”と尊敬された呼ばれ方をするようになるだろう。名誉を得るため、克己・勉励することは武士の道である。
 

2011年3月17日木曜日

You are never alone. (20110317)

 インテルの長友が最終場面で勝利を託されて出場し、逆転されていたインテルを勝利に導き、満員の観衆を興奮の渦に巻き込んだ。長友は、日の丸の国旗を肩に背負い、フィールドを一周し、最後に日本のカメラマンに向け、その国旗を広げて見せた。その国旗には“You are never alone.”と書かれていた。観衆は、その歌を合唱した。

 長友は「最後まで頑張る姿を日本の皆さんに見せたかった。勝つことは念頭になかった」と語った。小柄な彼は、正にサムライであった。感動した。

 福島原子力発電所の被災事故の危機的な状況を打開するため、昨夜は自衛隊のヘリコプターが4号炉の上空から水を投下することを試みたが、上空の放射線量が非常に高いため、その試みは中断された。

次は、警視庁の放水車を使って、地上から4号炉の破損された外壁の穴から水をかけることを未明に行うという。放水車は50m先まで放水することができる能力を持っているという。その放水車で作業を行う警察官は自衛隊から防護服を借りて着こみ、放水作業を行うという。是非成功させ、放射能汚染を食い止めて欲しい。自衛隊のヘリコプターも被爆事故が起きないぎりぎりのところで上空から水を投下し、被災しているすべての原子炉の温度を下げることを成功させて欲しい。

Never give up! 世界中が日本を応援してくれている。米軍は、大津波で被災し使用不能になっている仙台空港をヘリコプター4機が使えるようにしてくれた。被災した各地で各国の救助隊が活動してくれている。

主要な物資輸送ルートも鉄道以外は復旧し、陸と海から大量の救援物資を運搬することができるようになった。避難所などで、もう5日間も我慢し続けている45万人の人びとにも、ようやく明るい希望の光が見えてくることだろう。

日本は、必ず復興する! そして再び「東方の光」を放つようになる!

2011年3月16日水曜日

松陰と高須未亡人(20110316)

 NHK出版『女たちの明治維新』(鈴木由紀子著)という本がある。ここに、吉田松陰と交流があった高須久子の話が出ている。

 高須久子は、300石あまりを食む長州藩士・高洲(須)五郎左衛門の娘で、31歳の時寡婦になった女性である。父も夫も亡くなった後、娘と二人暮らしをしながら三味線などの芸事を好み、被差別部落からやってくる芸人・弥八や勇吉に流行歌を弾かせたり、人形芝居などをさせ、近所の人たちにも見せてやっていたという。弥八は美男であったらしい。

被差別部落の者と親しくなったことが当時の身分社会のなかで厳しく咎められ、野山獄という独房の牢獄に入れられた。軽輩の者は岩倉獄という雑居牢に入れられたが、身分の高い者(士分)は独房に入れられた。松陰も密航の罪で同じ牢獄の東角部屋に入れられた。

当時の牢獄内では出入り自由であったが、脱獄すれば当然厳しく処断されるからそれはできない。しかし、牢獄内で俳諧の会の開催や著述や講義などを行い、囚人同士交流したり、牢番・司獄(当時の刑務官)が俳諧の会や講義に参加することは自由であった。教材は松陰の家族が差し入れた。松陰は当時のずば抜けた知識人であったから、松陰のもとに囚人が集まり、時には時局の論談もしたという。

高須久子は松陰より一回り上の年長であったが、松陰と深く知的な交流をし、松陰との間で交わした俳句が残されている。以下、上記の本に出ている句を幾つかここに記す。

獄中俳諧を編んだ『賞月雅草』にある俳句と短歌;
  名月に   香は珍しき 木の子かな     松陰
  宇治の茶の 絆なりけり けふの月      久子
  武士(もののふ)の 心勇ます 轡虫(くつわむし)
              いづくを見ても 秋の淋しさ    松陰
酒と茶に 徒然(つれづれ)しのぶ 草の庵         松陰
              谷の流れの 水の清らか      久子

当時の社会秩序は、「役割」で分けられた身分の差を維持することで守られていた。そういう中、松陰や松陰の母・滝や久子のように、身分差を超えて、一個の人間として低い身分の者にも暖かい眼差しを向けた人びとが多数いた。それが、封建社会から民主主義社会に、ある意味では「無血」で変革させる原動力となったと言えるだろう。

今の時代、この日本では一切の身分差はなく、職業上の差別はなく、誰でも勉学に励み、努力すれば、それなりの社会的地位につくことができる。人びとに求められているのは、「自助」「自己責任」「役割の自覚」などの徳目である。

今回の東北関東大災害において、日本人はそれらの徳目をもって行動していると思う。世界中の人びとが、日本人の「秩序」に感嘆している。昔の「士分」階級が残した武士道は、決して廃れていなかった!