2011年3月29日火曜日

大震災の教訓・アイデア(2)(20110329)

中国の実質・海軍(海監)のヘリが、海上自衛隊の護衛艦に接近した事件について、どちらかと言えば「まあ、あまり気にせず、事を荒立てずにおこう」という風潮が多い。しかし、今回の接近・挑発は前回よりも踏み込んだものである。中国がこれ以上の行動に出るようであれば、一発かませてやる必要がある。

 福島第一原子力発電所の状況は厳しく終息までには相当の期間がかかりそうである。いずれこの発電所1~4号機の施設全体を覆い被せる大工事が必要になるであろう。大津波被災者だけでなく、この発電所から30キロ以内の住民の、ある意味では強制的に集団避難を余儀なくされた方々は、本当に気の毒である。もし、自分がその立場であったら、とてもつらいことである。多分、ストレスで寿命を縮めてしまうことだろう。

 石巻の私立大川小学校では、生徒たちを校庭に集め点呼をしている最中に大津波に飲み込まれて108名の生徒の8割が命を失った。自分の孫たちが津波にのみ込まれ、おぼれ死んでゆく姿を想像すると、可哀そうでならない。先生たちも一瞬のできごとでどうする間もなく、津波にのみ込まれてしまった。大悲劇である。しかし、何故、すぐ避難出来なかったのだろうか?石巻市における津波対策はどうだったのだろうか?

 気仙沼など大津波被災者の避難先では、地震発生後17日過ぎているのに未だに一日の食事は2回だけ、それも不十分な量である。原因は米が足りないからだという。政府も、県当局も必死で頑張っているのであろうが、この文明国でそのような状況が長く続いているのを悲しく思う。行政的な物事が行き届かないのは、何が原因なのか?

 今は非常事態なので皆沈黙しているが、原子力発電所事故も含め、全ての状況が終息したら政府を含め関係機関、原子力安全委員会、そして東京電力などに対する責任の追及が一斉に始まるだろう。特に、原子力発電所については、当初の設計のミスも指摘されている。ゼロ戦設計のように、完璧なまであらゆる無駄(と考えられる部分)を削ぎ落とし、余裕のない設計をしたため、2号機のような事故が起きてしまったのかもしれない。

 1000年後、また同じような悲劇が起きないように、思考パターンが日本人とちょっと違う西欧人のアドバイザーを沢山雇い入れ、今回の悲劇の徹底的な検証と、住居や施設の設計に智恵を貸してもらう必要がある。それは、洞察力のある優れた政治家の仕事である。幕末・明治初期の政治家たちは、どのようにしてこの国を非常に短い期間に列強に伍する力を持つ国に仕上げたか。その智恵に学ぶ必要がある。

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