2011年3月18日金曜日

‘軍’へのアレルギー (20110318)

 この度の大震災で国民は気づいたかもしれない。それは、これまで自衛隊というものに対し、国民はあまり敬意を払ってこなかったということである。自衛隊を‘軍’と認めず、自衛隊は災害派遣や国際救助活動には使い勝手が良いというような感じで使ってきた。

国民がそういう状態であったことは一にも二にも政治の責任である。政治家たちは国のことは二の次で、‘職業政治家’に成り下がり、「国民のため」と口にしながら自分たちが属する党派のため行動してきた。それを「政治」と勘違いしてきた。

 自衛官は、外国では‘軍人’とみなされている。自衛官宣誓には、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」という一文がある。この度の福島原子力発電所における放射能汚染の拡大を防止するため、破損した原子炉の上空や地上からその原子炉への注水作業に従事した隊員たちはこの宣誓のとおり行動した。

 表には出てこないが、福島原子力発電所の職員や契約企業の社員たちは、放射線レベルが異常に高い現場で、放射線被害の拡散を防ぐため懸命な努力を続けている。彼らは高い倫理観・使命観をもっている。一部の政治家たちとは高潔さにおいて雲泥の差である。

 天皇陛下は、今朝(17日)、国民に対しメッセージを発せられた。聞いていて真に有難いと思った。陛下のお言葉に対して政府は何も語らなかった。これが今の日本の状況を象徴している。外国では陛下のお言葉に深い関心を示した。インターネット版“Washington Post”や“USA TODAY”に陛下のお言葉が音声で流されていた。

 この国は、自虐史観からなかなか脱皮できない世代の人たちが政治の表舞台から去って行かない限り、まともな国にはならないだろう。自虐史観は、幕末に徳川幕府体制を維持しようとした人たちが、なかなかその保守的体質を変えられなかった歴史観と、ある意味では対比されるところがある。

 自衛隊は国の背骨である。元航空幕僚長・田母神俊雄氏は、自らの身をもってこの国を変えようとした。ある意味で、田母神俊雄氏は吉田松陰と対比されるところがある。自衛隊は明日も要請があれば、注水作業を行うという。是非頑張って、放射能汚染の危険を取り除いて欲しい。そう遠くない将来、自衛隊は“日陰者” から、名誉ある地位、“国防軍”となるだろう。自衛官も“軍人”と尊敬された呼ばれ方をするようになるだろう。名誉を得るため、克己・勉励することは武士の道である。
 

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