2011年3月3日木曜日

武士道(続)(20110303)

 武士道が求めた女性像は、今の時代と全くかけ離れたものであった。昔の男は「強かった」が、今の男は「男らしくない」。「草食系」とか「肉食系」という言葉がはやっている。そういう中で、今の時代の日本の女性たちは、「戦国武将」に憧れている。見たところ、政治の世界でも女性たちの方がしっかりしている。女性が社会に政治や経済や科学や技術の世界に進出し、大いに活躍することが、この国を発展させることは間違いない。

 「子ども手当」など集票目的のバラマキのアイデアに飛びつき、マニフェストに書かせた張本人は誰であったか?彼は、表向き「国の為」、その実は「‘私’の為」得策となることを推し進めることに執着した。今、必要なのは、「子どもを国全体で育てる」ということよりも、女性たちが社会で活躍しながら「自分で子供を育てる」ことができる環境を「国が整備する」ことである。「‘私’の為」「子ども手当」をマニフェストに書かせた張本人は、一般大衆を惑わせた。しかし、一般大衆は経験して学習した。もう彼には惑わされることはない。もう彼は過去の人である。彼に忠誠を尽くしている側近は哀れである。

 さて、新渡戸稲造は『武士道』第14章で「武士道が求めた女性の理想像」について書いている。今の時代の女性に、吉田松陰や坂本龍馬を産み育てた母親のような部分が求められている。「男らしくない男」「草食系の男」ばかり目立つ社会には、未来の明るい展望はない。そのことに気づいている女性たちもきっと多いに違いない。と、私は信じる。

 新渡戸稲造は「家庭的であれ、そして女傑であれ」という小題でこう書いている。

“人類の半数を占める女性は、ときには矛盾(パラドックス)の典型と呼ばれる。というのは、女性の心の直感的な働きは、男性の「算数的理解力」をはるかに超えているからである。「神秘的」あるいは「不可知」を意味する「妙」という漢字は、「若い」という意味の「少」と、「女」という二つの漢字が組み合わされている。というのは女性の身体の美しさと、繊細な発想は、男性の粗雑な心理的理解力では説明できないからである。しかしながら、武士道で説く女性の理想像には神秘性がきわめてとぼしく、外見的な矛盾があるにすぎない。”

“武士道は本来、男性のためにつくられた教えである。したがって武士道が女性について重んじた徳目も女性的なものからかけ離れていたのはむしろ当然であった。”

“武士道は、同じく「自己自身を女性の有する弱さから解き放ち、もっと強く、かつ勇敢である男性にもけっして負けない英雄的な武勇を示した」女性を讃えた。したがって若い娘たちは、感情を抑制し、神経を鍛え、武器、特に長い柄の「薙刀(なぎなた)」と呼ばれる武器を繰り、不慮の争いに対して自己の身体を守るように訓練された。”

“少女たちは成年に達すると「懐剣」と呼ばれる短刀を与えられた。その懐剣はときには彼女たちを襲う者の胸に、また場合によっては彼女自身の胸に突き付けられるものであった。実際には後者の場合が多かった。”

私は今の時代の「武士」の役割を担う女性たちには、そのような部分を求めたいと思う。

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