2011年3月7日月曜日

武士道(続)(20110307)

 “武士道の徳目は私たち日本人一般の道徳水準よりもはるかに抜きんでている。”

 “民主主義は、大成の指導者をはぐくみ、貴族制度は人民の中に君主制にふさわしい精神を注入する。”

 “どのような社会的身分や特権も、道徳の影響が広まる力には対抗できない。”

 “天のあらゆる恵み深い贈り物はサムライを通じてもたらされた。”

 “社会的存在としては、武士は一般庶民に対して超越的な地位にあった。けれども彼らは道徳の規範を定め、みずからその模範を示すことによって民衆を導いた。”

 “サムライは民族全体の「美しき理想」となった。「花は桜木、人は武士」と歌われた俗謡は津々浦々にいきわたった。”

 “武士道は当初、「エリート」の栄光として登場した。だがやがて国民全体の憧れとなり、その精神となった。庶民は武士の道徳的高みにまで達することはできなかったが、「大和魂」、すなわち日本人の魂は、究めるところこの島国の民族精神を表すにいたった。”

“本居宣長は、
  しきしまの やまと心を 人とはば
        朝日ににほふ 山さくらばな
 と詠んで日本人の純粋無垢の心情を示す言葉として表した。”

新渡戸稲造は『武士道』第15章「大和魂」で、以上の言葉を述べている。桜が日本人の心を表す象徴であることを説明している。ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜は、明治の終わりごろ、アメリカのタフト大統領夫人の希望により、当時の東京市長・尾崎行雄がプレゼントしたものである。送られた桜の苗木は東京の荒川の五色桜を穂木にして、台木は大阪の伊丹市の北部荻野小学校校区、植木の産地東野村で育てられたという。この桜は日本とアメリカ両国友好のシンボルとして、80年以上の歳月を経て今もなお多くの人々に親しまれているという。両国の人民同士の交流は親しく行われていたが、政府間の友好的な交流は失敗した。その原因は何だっただろうか?当時のアメリカの指導者層は、「大和魂」で代表される日本人の心情に対する理解ができていなかったのではないだろうか?世界に類を見ない「万世一系の天皇制」「武士」「武士道」など日本独自の文化や伝統や統治制度について、理解ができていなかったのではないだろうか?

昨日、「大和魂は決して攻撃精神と同じではない」と書いたのは、今の時代の日本人、特に若者に、大和魂が十分理解されず、誤解されているように思ったからである。「武士道」をキーワードにインターネットで検索してみても、新渡戸稲造の『武士道』について解釈し、考えを述べているようなサイトを見つけ出すことは出来なかった。

戦後、日本人の精神構造は、アングロサクソン、白人、プロテスタント派のキリスト教を信じるアメリカの指導者層によって、徹底的に破壊されようとし、事実、大部分を破壊されてしまった。今こそ、我々は我々の古い価値観を再評価すべき時である。

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