2011年3月4日金曜日

武士道(続)(20110304)

NHKで津田塾大学の前身・女子英学塾を創設した津田梅子のことが紹介されていた。梅子(幼名・うめ)は、旧幕臣・東京府士族・津田仙・初子夫妻の次女である。うめの父・仙は明治政府の事業である北海道開拓使の嘱託となった縁で、黒田が企画した女子留学生に梅子を応募させた。その時、梅子は明治4(1871)、岩倉使節団に随行して渡米した。女子留学生5人のうち、梅子は最年少の満6歳であった。

 梅子は11年間の留学生活を終え、17歳のとき帰国している。そのとき、日本語を殆ど話せない状態であった。梅子は帰国後日本語を真剣に学び、女子教育のため自分自身の学校を創設することを志しアメリカに再留学している。そして帰国後、華族・平民の別がない女子教育を志向して、一般女子の教育を始めた。それが女子英学塾である。梅子が教育し、卒業させた女性たちは総数800人にも及ぶ。卒業生たちは全国各地に赴任し、日本の女子教育に多大な貢献をした。当時、教育は女性が社会に進出できる唯一の分野であった。

明治時代、満6歳の愛娘をたった一人にさせてアメリカ人の家庭に預け、教育した梅子の両親は大変立派である。サムライの家庭、その気風を受け継いだ梅子、この日本の近代化はそのような人びとによって成し遂げられたのである。

戦後、「武士道精神」は全く「失わされて」しまった。しかし、この日本の再生の為には、日本人はその「武士道精神」を改めて学ぶ必要がある。そして今の時代に合うように改めて、「新武士道精神」のようなものを確立させる必要がある。日本はアメリカに征服されて、日本人の精神構造が徹底的に破壊されるような状況が続いた。そのことを嘆いた人は、市ヶ谷で「武士」の役割を演じて自らを「切腹の刑」に処した三島由紀夫である。

昔の「武士」階級が担っていた「役割」を、今の時代、国会議員や地方議会議員、国家公務員や地方公務員、「官」の名がつく職にある人びと、軍人(今はまだこの呼称はない)、法律に基づき青少年の教育・訓練に従事している各機関の職員などが担っている。上述の「新武士道精神」は、このような人びとのバックグラウンドとなるような精神である。

石原慎太郎氏がこの国の総理大臣になってくれないかと思う。既成政党には期待が持てない。さりとて「減税」とか「地方分権」とか、そういった国政レベルからちょっと離れたことだけを訴える政党も、一般大衆の人気取りに走っているとしか思えない。この国は危うい状況にある。NHKで紹介されているが、地方には、その自治体の議員たちが少ない報酬で昔の「武士」らしい「役割」を担って、しっかり働いている小さな町や村がある。

読売新聞に、中国の戦闘機が尖閣諸島に接近し、航空自衛隊(「国防空軍」と呼ばれるべきである!)の戦闘機がスクランブルをかけたことが出ていた。その地域での中国空軍機に対するスクランブルは、昨年50回ほどあったようである。あまりにも多すぎる!

一般大衆が関心のないところで、今の時代の「武士」たちはしっかり働いている。スクランブルは実弾を装備して行われている。命がけである。お粗末なのは、一部の国会議員や地方自治体の議会議員、公務員たちである。一部の有識者と呼ばれる人たちである。

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