2011年3月6日日曜日

武士道(続)(20110306)

 新渡戸稲造『武士道』(奈良本辰也 訳・解説 三笠書房「知的生き方文庫」)第15章は、「大和魂」であり、「いかにして日本人の心となったか」という小題が付いている。

 そもそも武士道の精神は何か、ということについて新渡戸稲造は、武士道の源泉が仏教と神道、孔子や孟子の教え、陽明学などにあると言う。

私は、日本が今後何世紀、何十世紀にわたり輝き続けるためには、日本人は「武士道」の精神を大切にしなければならないと確信している。そのためには、昔の「武士」が担っていた「役割」を、今の時代、どういう人たちが担っているのかということを知ること、そしてそのような人たちにそれを「自覚」してもらうことが重要であると思っている。

日本の社会は、封建時代であっても支配層と被支配層との間の関係には断絶はなかった。支配層は被支配層に深く関わっていた。士農工商の身分差は、インドのカースト制と違い、社会的な「役割」の差であった。「農工商」の身分から「士」の身分に上がり、その士分の中で重要な地位についた人もいたし、逆に許可を得て「士」の身分から「農工商」の身分に移った人もいた。藩という行政単位の経営がうまくゆかず、民が貧乏にあえぐ状況のときは、領主も民の苦労を分かち合った。戦時中の天皇もそうであられた。

その精神は遠い昔、第16代仁徳天皇(313399)が民を思う御心に見られる。『古事記』によれば、“ここに高山に登りて、四方の國を見たまひて詔りたまひしく、「國の中に烟(けぶり)發(た)たず。國皆貧窮(まづ)し。故、今より三年(みとせ)に至るまで、悉に人民(たみ)の課(みつぎ)、役(えだち)を除(ゆる)せ。」とのりたまひき。ここをもちて大殿破(や)れ壊(こぼ)れて、悉に雨漏れども、都(かつ)て脩(をさ)め理(つく)ることなく、棫(うつわもの)をもちてその漏る雨を受けて、漏らざる處(ところ)に遷り避けましき。後に國の中を見たまへば、國に烟(けぶり)満てり。故、人民(たみ)富めりと爲(おも)ほして、馬はと課(みつぎ)、役(えだち)を科(おほ)せたまひき。ここをもちて、百姓(おほみたから)榮えて、役使(えだち)に苦しまざりき。”とある。

今の時代の「武士」の上位にある者は、人民が選んだ国会議員である。その中で、その国会議員によって選ばれた内閣総理大臣以下の閣僚など政権を担当する方々がそれに相当する。古代では、天皇を頂点に朝廷が当時の政権を担当していた。この国の困難な状況を克服し、人民を栄えさせる役目を今の政権が担当している。

何時の時代でも、この日本では「武士道」の精神があれば、栄え続けるであろう。その「武士道」の精神は、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」の五つの倫理がその根幹にある。「義」は「正義の道理」である。天に誓って最も正しい道理である。

この五つの倫理と、仏教と神道、陽明学的思考が、古来我々日本人、とりわけ「武士」の精神を形作ってきた。それは、「大和魂」という語で表現される精神である。その精神には「名誉」「忠義」「克己」などの要素も含まれる。「大和魂=攻撃精神」では絶対ない