2010年9月6日月曜日

東京裁判6(20100906)


 今朝、NHKの日曜討論に菅・小沢両氏が出演した。そこで小沢氏が口にする「多数決」について気になった。民主主義における多数決は本人の自由意思で決め、多数を占めた意見・考え方などを多数の意思と見なすものである筈である。

 ところが小沢氏の言う「多数決」は、色々な形で‘締め付け’を行って多数を決めるやり方であるように、どうしても見えてしまう。実際に小沢氏が直接‘締め付け’を行うことはあまりないであろうが、取り巻きの人たちがそのようにすると思う。小沢氏の側近たちは皆‘正義感’に燃え、山岡氏は「小沢氏はステーツマンであって、エンタテイナーではない」と公言した。これは物言わぬ一般国民を馬鹿にした発言である。

 小沢氏を初め側近たちは「圧力」をかけることが好きなようである。インターネット上にはそのような話題が沢山出ている。「圧力」をかけることができる政治家を人々は「実行力がある政治家である」ように見える。小沢氏が「自分ならできる」と力強く発言すれば、人々は彼を頼もしく思う。

 新聞報道によれば小沢ガールズの一人・山尾志桜里衆議員議員が菅氏を応援すると表明したら「小沢氏の恩義を忘れたか」と抗議の電話が来ているという。小沢氏はマスコミにより悪者にされていると思う人たちからであろう。

 昨年夏の第45回衆議院選挙では民主党の得票数は小選挙区で33,475,334.854票、得票率47.43%、比例区で得票数29,844,799票、得票率48.3%で何れも投票総数の過半数には満たない。民主党は国民の意思によって政権を担ったことは間違いないが、国民の過半数の意思を得ていたわけではなかった。

 国民の多数が過半数が民主党を支持したわけではない。然るにこれまでの政権運営の結果、マニフェストを修正せざるを得なかったことを小沢氏は全く認めようとはしない。彼の多数決の考え方が彼を及び側近たちそのような間違った信念に駆り立てている。

 さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。

 北清事変は、当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、1900年に清国の西太后がこの反乱を支持して欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった戦争である。この戦争で日本はイギリスの要請を受けて5000人規模の軍を派遣した。戦争は1年ほどで終了し、北京議定書が締結され、清国は歳入が8800万両強であったにもかかわらず、課された賠償金の総額は4億5000万両、利息を含めると9億8000万両という莫大な額であった。清国内は乱れ、その隙に乗じてロシアは満州に侵攻し、満州全土を占領してしまった。これが日露戦争の原因となった。(以上はWidipediaによる。)

 北清事変終結後北京議定書に基づき、日本を含む欧米やロシア列強各国は自国の公使館を保護するため軍隊を駐留させていた。そういう状況下、昭和12年(1937年)7月7日、北京の南西にある盧溝橋付近で兜もかぶらず空砲で軍事教練を行っていた日本軍に対して何者かが発砲してきた。これは毛沢東の謀略であった。こうして支那事変が起こった。

2010年9月5日日曜日

東京裁判5(20100905)


②細野氏が「苦渋の決断」で小沢氏支持を表明した。言動は穏やかであるが常に計算づくめで語っているように見え、権力志向的に見え、地元の身近な‘おっさん、おばさん’達の言うことに動かされやすく見える彼の性格では、当然の行動であろう。彼は小沢氏にそのようなところを見込まれ、党内でそれなりの立場に就くことができたと思う。そしてマスコミに注目されるようになった。

 しかし、男は将来彼が一国のリーダーになることは国にとって小沢氏同様危険であると思う。もし彼が将来一国の総理大臣を目指すならば、国の為私心を持たず命を懸けて行動した幕末の志士たちのようにあらねばならない。しかしそのような志の元は幼少の頃から培われるものである。その素質は自ずから人相・風格に顕れるものである。

 若い民主党員たちも‘永田町の論理’に毒されて‘物言わぬ一般庶民’の心底の願いや思いを理解できずにいる。柔道のやわらちゃんなど先輩の‘おっさん議員’達に持ち上げられて、小沢氏の出陣式で得意になって音頭をとった。あほらしい!

 ベター論でゆくならば現職菅総理が頑張って是非民主党代表に再選されてほしいと思う。それが大方の国民の願いである。そしてリーダーシップの基盤を固め、自民党やみんなの党やたちあがれ日本や新党改革などと連携して国民の願いを一つ一つ実現して行って欲しい。さもないと時期衆院選挙で民主党は立ち上がれないほど大敗するであろう。

 小沢氏に付和雷同のようにくっついている国会議員たち、即ち陣笠小物議員たちは、そのとき自分に都合がよい政党に流れてゆくだろう。今朝、日本テレビに出演した川内氏は鳩山グループに所属しているようであるが、口角泡を飛ばせて小沢氏を擁護していた。彼も付和雷同組、良く言えば鳩山氏同様国民からかけ離れた見識の持ち主であると思う。

 民主党政権になって、一般国民の見識も一層高まってきた。これからの政党はそのような国民のレベルを読み間違うと大失敗すること必定である。

 さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。

 満州族の王朝である清朝は長くシナの土地を支配するが、19世紀半ばになると西欧列強の脅威に晒されるようになった。とりわけ1840年(天保11年)のアヘン戦争、1857年(安政4年)から1860年(安政7年)にかけて起こったアロー戦争で清国はイギリスに敗れ、何とか独立は維持できたものの半ば植民地化された。19世紀末になるとやりたい放題の外国人たちに不満を募らせた民衆が清国軍とともに北京にいた外国人を取り囲むという事件が起こった。このとき、列強八カ国(日本・ドイツ・イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・イタリア・オーストリア)が自国民の保護のため軍隊を派遣した。

 このときロシアは氾濫に乗じて満州に侵攻し満州を占領してしまった。日英米が抗議するとロシアは撤兵を約束したが居座り続け、北朝鮮に入ろうとした。日本は列島の安全を保つためロシアの朝鮮半島への南進を阻止ししようとして日露戦争(明治37~38年)(1904~1905年)が起きた。日本はこれに勝利し、満州をロシアから奪還し、清国に返還した。

2010年9月4日土曜日

東京裁判4(20100904)


 菅氏と小沢氏が日本記者クラブで討論会を行った。今朝(3日)のテレビ朝日で小沢氏が生出演した。一般的な印象は、菅氏はクリーンな政治を目標とし、組織内の調和・調整を重視して国政を行うタイプ、小沢氏は権力を集中して自分の思い通りに国政を行おうとするタイプである。一般国民は閉塞感から独裁者の出現を心の深奥では願っているだろう。

 小沢氏ならば何かやってくれるのではないかと期待している人たちは多いだろう。しかし、成熟したこの日本の社会では、一般国民はもう小泉氏のようなタイプのリーダーの出現を望まない。中庸で調和のとれた政治を望んでいると思う。

 小沢氏が主張するような政治主導で地方にもっと大きな裁量権を与えるようにすること、企業に蓄積され、それが十分活かされていない富を、法律を作ってもっと多く分配されるようにするということ、最終的には総理大臣の権限とリーダーシップで、一部に不満が残っても全体として調和のとれた形にすることなどは、菅首相でも今度の代表選に勝てばできることである。

 男は菅氏ならばそれが出来るはずだと思っている。何しろ選択肢は菅氏と小沢氏の二つだけであるから、どちらを選択すれば‘ベター’かということであるから、菅氏が上述のような小沢氏の主張を十分取り入れた政策を、強いリーダーシップにより、全体として中庸な、調和のとれた形に持って行くならば、国民は菅氏を支持するだろう。

 来週、菅氏がテレビ朝日に出演するという。男は菅氏の発言に注目したい。なお、今朝の小沢氏の発言の中で、アメリカの海兵隊は日本に駐留してもらう必要はない、日米対等であるからアメリカに強く発言すべきであるという趣旨のことを言ったが、これは見当違いである。小沢氏は軍事システムについて見識がない。日本が核兵器を保有し、強い即応打撃力を保持し、集団的自衛権として在日アメリカ軍に軍事的に支援するならば双務的であるが、現状はそれに程遠い。首相になろうとする政治家がその程度の見識であるから、一般国民はなおのことである。

 さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。

 京都大学教授滝川幸辰氏、法政大学総長大内兵衛氏などはコミンテルンの陰謀に引っかかった人たちである。昭和2年(1927年)、当時の首相・田中義一の名を語り、田中義一が天皇に上奏したとう怪文書が中国語に翻訳された。その文書の内容は日本の世界侵略計画であった。それもコミンテルンの陰謀であった。

 ソ連の主張によって、昭和13年(1938年)の張鼓峰事件(満州東南端にある張鼓峰で起こったソ連との国境紛争)や、翌年1939年に起こったノモンハン事件(満州とモンゴルの国境紛争、当時モンゴルはソ連領)といった、既に停戦協定が成立し解決済みの問題まで持ち出して、それらを日本の侵略として糾弾している。

 そのソ連は日本の固有の領土であった千島列島を侵略し、ロシアに変わった今もなお北方四島を占有し続けている。しかもその侵略を行った日、9月2日を戦勝記念日にしている。

2010年9月3日金曜日

東京裁判3(20100903)


 昨日、菅、小沢両氏はそれぞれ約120名ほど集めて決起集会をし、その後、都内のホテルで共同記者会見を行った。両氏の元々のスタートラインは共に関わった民主党のマニフェストにある。ところが、菅氏は過去1年にわたる民主党政権での経験を踏まえ、マニフェストの修正も含め現実的路線を目指し、一方、小沢氏はマニフェストの完全実行を目指している。男は、小沢氏の意図は別のところにあると見る。

 小沢氏はマニフェストの完全実行が無理なことは百も承知であろう。では、何故党代表・内閣総理大臣を目指すのか?彼は、二つの目標があるように思う。一つは内閣総理大臣になって、政治と金の問題を払しょくする。鳩山氏ももし内閣総理大臣でなければ、巨額脱税の罪に問われていた筈である。小沢氏も内閣総理大臣になって、目前の暗雲を払しょくしようと考えていると思う。もう一つは、代表選に負けても、小沢氏は自分のため手足となって働いてくれた者を、国政の重要なポストに就かせ、その労に報いるということである。その場合、政治と金の問題は払しょくされないが、これまでと状況は変わらない。

 何れにせよ、小沢氏にとって代表選に打って出ることは得策である。菅氏が小沢氏排除の方向を打ち出したので、ここがチャンスと代表選に打って出たのである。

 さて、小沢氏は剛腕で予算の完全組み換えを行うという。「小沢氏ならやれそうだ」というイメージが先行している。しかし、そのようなことが出来る筈がない。これまで大臣職に就いていろいろ勉強した方々、官僚、民意を含む強大な複合システムに対抗して、小沢氏及び側近グループ及び一部の閣僚経験者たちのシステムは弱い。システム対システムの戦いに勝てるわけがない。

 小沢氏は普天間問題は白紙に戻さないが沖縄と米国両方が納得する妙案があると公言した。沖縄住民を納得させるには所得税や住民税を軽減して、個々の住民に目に見える形がないと沖縄住民は納得しないだろう。それは出来る筈。菅政権は真剣に考えるべきである。

 さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。

 本来侵略戦争にあたらない満州事変が何故「侵略戦争」とされたか?それは当時、ソ連の共産党国際組織(コミンテルン)に愛新覚羅溥儀が脅されていたからである。溥儀は、彼の出自の清朝を彼の故郷、清王朝発祥の地で再興させたいと自ら進んで満州国皇帝に就いた。当時の日本政府はそれを歓迎し、軍閥割拠するその地で日本軍は彼の政府を助けた。日本の支援により満州国は著しい発展を遂げ、人口も急増した。バチカンを初め世界の20各国が満州国を承認した。日本が満州を侵略して傀儡政権を建てたのではない。

 そもそも満州事変の背後にはコミンテルンの陰謀があった。そのことを除外しても、世界に承認された正式な国家・満州国はポツダム宣言受託の時点では明らかに終わっている問題であり、今次の戦争の範囲には入らない。それを東京裁判では敢えて満州事変を侵略戦争としたのである。どうしても日本の指導者たちを処刑したかったのである。それも裁判官全員一致ではなく、4対7の評決で決定されたのである。

2010年9月2日木曜日

東京裁判2(20100902)


 民主党代表選に菅、小沢両氏が立候補することになった。仲介した鳩山氏は「宇宙語しか話せない伝書鳩」と揶揄された。

 「トロイカ+ワン」とは「小沢・鳩山・菅+輿石」4氏のことであるが、菅氏は、これを人事権を持たない「顧問会議」の形と理解し、党内がこれでまとまるならば、と考えた。一方、小沢氏側は人事権まで持つ形を考えた。同床異夢である。菅氏は4氏で話し合うことを拒否し、小沢氏と二人だけで話し合った。

 小沢氏グループと菅氏グループと、‘システム’としてどちらが強いか考えてみた。小沢氏グループはお金を力の源泉にしているが、頭脳システムとしては菅氏グループよりも弱いと思う。菅氏グループには前原氏、岡田氏など秀才が揃っている。一方の側は子飼いの‘ガールズ’はいるが秀才が少ないように見える。テレビで出てくる顔は、言ってみれば頭が悪そうな、それでいて‘ポスト’が欲しそうな、どちらかと言えば田舎の年寄りが多そうな方たちである。そのような人たちが政治家を後押しした時代はもう過去のものである。

 一方、菅氏グループに必要なのは、エネルギーの源泉としての‘お金’であろう。菅氏の幕僚(スタッフ)は、積極的に財界に働きかけ、献金を求めたら良い。財界といっても、中小の、30歳代、40歳代が経営者たちである。

 修羅場をくぐりぬけた回数は小沢氏の方が多いが、菅氏も今回、鳩山氏が仲介した権力闘争の修羅場を行っている。それもお金が絡まない権力闘争である。これは大きな経験である。それこそ若い世代が望んでいる形である。‘小沢ガールズ’たちも、政治家として今後一層研鑚を積んで行こうと思うならば、‘旦那’小沢氏から距離を置く方が得である。今夕、両氏の政策が発表される。その内容はどのようなものか、大いに注目される。

 さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。

 東京裁判では、日本が侵略戦争を始めた年はいつなのか、ということが大きな問題になったということである。これは満州事変を侵略戦争とみなすかどうかということである。結局、法廷は日本の侵略戦争の開始日を1928年(昭和3年)1月1日と決めた。

 ポツダム宣言は「今次の戦争」を対象にしたものである。ところが法廷は「今次の戦争」ではなく、満州事変も対象にした。 その理由は日本が調印した通称「不戦条約(パリ条約)」に日本が違反したという理由を作るためであった。

 この条約では侵略戦争は否定している自衛のための戦争を否定していない。その満州事変はパリ条約に違反するものではない。そのことを、当時日本も加盟していた国際連盟から送り込まれたリットン調査団の報告で明らかにしている。

 リットン調査団は、イギリス人のリットンを調査団長とし、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアの5カ国の代表からなるものある。リットン調査は満州事変について、「これは、ある国が隣りの国へ攻め込んだというような簡単な侵略とは言えない」と結論づけている。

2010年9月1日水曜日

東京裁判1(20100901)


 今日(8月31日)は、これまでになく蒸し暑さを感じた。菅首相と小沢氏は共に民主党代表選を戦うことになった。両氏の党運営の手法と政策は違っているし、それぞれ支持者がいるので、両氏が話し合って代表選を避けることができるというものではない。

 党運営に関して小沢氏は政調会議を廃止し、党に一本化するということである。これに対して菅首相は旧政権同様政調会議を置き、そこにいろいろな分科会を設け、党員全員参加する形をとっている。その方が挙党態勢として分かりやすい。小沢氏の手法は陳情も党に集中させ、権力を手にし、自在に政治を操ろうとしているとしか見えない。

 政策に関しては、小沢氏は自分が作ったマニフェストどおり実行し、財源として消費税は上げないという。これに対して菅首相は現実的な対応と取ろうとしている。それを小沢氏は現政権が官僚の言いなりになっていると批判する。これに対して菅首相は縦割り行政の弊害をなくす行革を断行しようと考えている。

 明日両氏はそれぞれの政策を発表して選挙戦に突入する。お互い選挙を戦った後は協力し合うと言うが、さてどうなるか。どこの国でもトロイカ体制はうまく行かない。まして今回鳩山氏が仲介して「トロイカ+ワン」体制となるなら一層ややこしい。

 鳩山氏は普天間基地問題で国益を損ない、また「トロイカ+ワン」体制で閣僚の活力を削がせ、結局国益にならぬことばかりやっているように見える。永田町の論理はもはや国民には通用しなくなっていることを彼は全く理解していない。菅首相も鳩山氏に説得されて鳩山氏が言った回数よりも多く「トロイカ+ワン」と公に言った。首相は指揮官(コマンダー)型でなく、調和・調整を重んじる幕僚(スタッフ)型のように見える。

 さて、外出の車中で『東京裁判を裁判する』(渡部昇一著、致知出版社)を読んだ。男は東京裁判の記録を読むほどの時間はないのでこの本に書かれていることが東京裁判の記録に正確に基づいているかどうか、自ら検証しようとは思わない。しかし、この本に書かれていることは100%正しいと確信している。

 初めて分かったことは、A級戦犯となって処刑された方たちは、結局、「通常の戦争犯罪及び人道上の罪」に問われたのであって、決して戦争を率先して始めたため罪に問われたのではなかったことである。

 東京にいて直接関わってもいず、遠い戦地で人道の罪を犯した日本兵たちの指揮監督の責任を問われて処刑されている。それも南京大虐殺という作られた嘘などによってである。ナチスドイツのようにヒトラー首相以下指揮官・幕僚が自らユダヤ人大量虐殺の罪を犯した人たちと同列の扱いであった。本来、死刑に値しない罪で処刑されたのである。

 「通常の戦争犯罪及び人道上の罪」の中身は①戦争法規違反の共同謀議、②戦争法規違反の命令・授権・許可、及び③戦争法規遵守の義務違反の三つである。

 このことを男は今まで知らなかった。男同様殆ど多くの日本人はA級戦犯に扱われた人たちの罪名を知っていないだろう。日本人は東京裁判についてよく知る必要がある。

2010年8月31日火曜日

驚いた!(20100831)


Googleで検索したら次の記事に男は非常に驚いた。この記事の内容が真実かどうかはまだ確認していない。

記事を書いた人は千葉大学名誉教授清水馨八郎というお方である。インターネット辞典Wikipediaによれば「東京文理科大学 (旧制)(現筑波大学)理学部地学科卒。海軍兵学校教官、千葉大学教育学部教授を経て、現在千葉大学名誉教授、イオンド大学教授。理学博士。勲三等旭日中綬章。」とある。

その記事の内容は非常に衝撃的であるので、それをこのご高齢の教授が直接書いたのか、誰かが代わってキーボードをたたいたのか、またはこの教授の名を語って誰かがそれらの政治家を中傷するような情報を発信したのか、男には判断がつかない。

しかし、そこに書かれている内容は、旧社会党、現社民党、そして民主党の有名政治家の実名をあげ、その出自を朝鮮半島の人の氏名で紹介し、また民主党の有名政治家については親が朝鮮半島出身者であることや、秘書が韓国人女性であり、その女性がその政治家の秘書になったことを紹介する韓国の通信社・聯合ニュース(れんごうニュース)の記事;【東京9日聯合】まで紹介している。
もし、事実ならば、そのことを全日本国民は知っていなければならないと思う。なぜならば、国会議員の行動はそのバックグラウンドに左右されるからである。その言動は日本の国益に直接影響を及ぼすからである。

戦前は、朝鮮半島の人たちも‘日本人’とされていた。男の父親も今の韓国の慶尚北道の小学校で教員をしていていたし、その地の青年男女の教育訓練にも従事していた。叔母は今のソウルの女子師範学校を出て同級生には今の韓国人も多い。1945年9月、父親は事務引き継ぎを終えて朝鮮から引き揚げてきが、父親は子供の頃の男に、「朝鮮人は非常に優秀だ」と言っていた。優秀な民族が隣国・中国の支配下、力を出せずにいたのだ。

古来、日本には朝鮮半島や中国大陸から非常に多数の人たちが渡来してきていて、皆日本人になっている。鹿児島県には朝鮮の陶工たちの子孫がいる。陶工たちは薩摩藩で上士の身分を与えられ、薩摩藩に貢献した。その子孫は未だにその先祖を誇りにしている。

戦後、現在までにも日本に帰化した朝鮮半島出身者の数は約30万人である。その一方、永住権を得ている在日の人たちの数は減少を続け、今や中国人が約70万人でトップとなった。2位は朝鮮半島出身者で約60万人、3位は約30万人である。

政治家の先祖の国籍を云々するのはナンセンスである。しかし、その政治家たちが天皇を軽視し、私利私欲に走り、国益を損じる言動をするならば、絶対許せぬことである。

2010年8月30日月曜日

愛は地球を救う(20100830)


日本テレビが1978年に始めた「愛は地球を救う」と題する24時間連続放送のチャリティ番組をちょっと見た。この「愛は地球を救う」という題や活動の実際について批判や非難もあるようである。しかしこの番組で障害者やその家族の皆さんが前向きに頑張っている様子や、戦争を全く知らない世代の人たちが平和への取り組みをしている様子が紹介され、視聴者に感動を与えている。

紹介されていることは、日本の1億2千7百万人の中の、非常に小さな一例である。日本の繁栄や防衛、国民の生活の向上や安全などのため日夜活動している大多数の人々に目を向けたものではない。しかし、そのような非常に小さな一例についてこのような24時間テレビ番組などで目を向けるということは十分意義があると思う。

そういう観点で短い時間ではあったが、男は今朝「愛は地球を救う」番組を見て、次の三つの事例に感動した。一つは不治の病である神経性筋委縮症の女の子とその兄の幼い二人の兄妹の様子、もう一つは全盲の若い女性のスイマーがトライアスロン競技に挑戦している様子、最後の一つは広島安芸郡府中町の小学校で、その小学校出身の歌手で映画俳優の吉川晃司との交流により完成した歌のことである。

吉川は子供たちに「戦争反対」とか「反戦平和」とかいった言葉を使わず、普段の日常の生活の中で聞いた言葉を集めて欲しいと言った。子供たちは原爆体験者から話を聞いて、言葉を集め、討論して一つの詩の形にした。吉川はこれを作詞家に協力を依頼して修正し、音符をつけて歌にした。子供たちは渡された楽譜をもとに1週間で合唱の練習し、テレビの前で披露した。いい歌だった。男は感動した。涙が出た。

同時にアメリカがたった1発の原子爆弾で14万人の広島市民を死なせた事実にある種の憤りを覚えた。当時日本の指導者たちはアメリカとの対立・戦争の間、戦争にならないための努力や、戦争をやめる努力はしたが、結局ノックアウトされてようやく戦争は終結した。

昨日、男は古本屋で渡部昇一の著書『東京裁判を裁判する』(致知出版社)を購入した。本の装丁は新品並みであったが定価は半額の700円だった。この本のページをめくってみると、日本人の精神がアメリカによって根本的に改造された状況が見えてくる。自虐的精神は、結果的に‘作られた’ものである。男も近現代の日本の歴史について、殆ど学んでいなかった。学校で教えられなかった。男は今後日本の近現代の歴史を学んでゆこうと思う。

現代の国際情勢の中で日本は自ら核武装し、強大な打撃力を持たない限り、アメリカとの同盟関係を強力に維持しなければ、日本の安全は確保されないこのとは明白である。昨日、テリー伊藤がテレビで日本は武力を持たなくてもよいようなことを言っていたが、軍事について男も含め一般国民は十分な理解と知識を持っていないことは確かである。

1億2千7百万人の中の非常に小さな一例だけに目を奪われるのではなく、古代から緊張関係にあった大陸諸国との平和共存のため武力の保持も、科学技術力や経済力や文化力などとともに大変重要であることにも、多くの国民は目を向けるべきであると思う。

2010年8月29日日曜日

北方領土(20100829)


 26日付の読売新聞に、福岡市内の旅行業者がロシアのビザで北方領土への観光旅行を企画し、日本人9人がロシアのビザを取得して北方4島を訪問したことが分かり、外務省がその業者に厳重抗議したこと報じられている。件の業者は「今後このようなことはしない」と言ったという。

 以下は北方領土に関する外務省の公式見解の一部を「である」調でここに書きとめるものである。戦後日本人は近現代史について十分な教育を受けていない。政府は未来を担う子供たちに対して日本緒近現代史についてしっかりした知識を教え込むようにすべきである。

① 日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立した。

② それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もなかった。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものであった。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはない。

③ しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領した。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させた。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いている。

Wikipediaの記事が正しいかどうかは未確認であるが、そこには以下のような記事がある。

① 日本が「国際法上所属未定」と主張する中、日本以外の多くの国は、中・北千島や南樺太については、ロシアの領有権を事実上認めるようになっている。したがって、海外の地図は、中・北千島と南樺太をロシア領として処理している。

② 「北方領土」についても、ロシア領と地図上で表現する例がほとんどであり、根室海峡のみに国境線を引き、北方領土の部分には国境線を引かずに、地図上の「北方領土」部分に「ロシアが施政権を行使(ないしは占領)、日本が返還要求」という趣旨の記述を加えている地図出版社も見られる。

③ なお、中国の世界地図では、北方領土が日本領となっている。

 小沢氏は民主党代表選に立候補することを正式表明した。その小沢氏は26日付の読売新聞によれば、講演会で「米国人は単細胞」と言い、英国について「さんざん悪いことをして紳士面をしている」とこき下ろしている。その一方で両国を褒めている。 小沢氏は古代、日本はそうしなかったが中国の皇帝と名目的な君臣関係を結ぶ柵封を求めた当時の周辺国君主のように、反欧米的で中国をバックに政権を奪取したいと考えているように見える。

2010年8月28日土曜日

竹島と尖閣諸島(続き)(20100828)


公務員は‘公(おおやけ)’のため働き俸禄を得て暮らすものである。そのためには時に‘私’を犠牲にしなければならない。

昔から私利私欲にとりつかれた公務員はいた。しかし同じ公務員でも軍人には身を国の為捧げ、死んでいった人たちが非常に多かった。この人たちの魂は靖国神社に祀られている。

今、海外に出て危険な任務についている自衛官(‘軍人’)たちは、次のような宣誓をして国の為に勤めている人たちである。そのことを知らない政治家や国民は圧倒的に多い。



自衛官は、入隊時に以下のような文章の記された宣誓文を朗読、署名捺印をする事が義務付けられている。 いかなる理由でもこれを拒否した場合は、入隊することができない。

私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。


12月に自衛隊は米軍と協同して「離島奪回訓練」を行う。大分の日出生台演習場を主会場として日米共同訓練を行い、離島周辺でも訓練を行う。

ハワイ沖でミサイルの発射訓練をおこなったイージス艦が千葉沖で漁船と衝突し、二人の前途ある‘海軍将校’たちが罪に問われている。彼らはマスコミの‘反軍’的なキャンペーン報道のため不利な立場に置かれている。漁船員の不幸な死を心から悼み、自ら道義的責任はあるとしながらも漁船側の行動の非を訴えている。彼らに自衛官(‘軍人’)免職という‘切腹’の覚悟はできている。その家族は路頭に迷うことになるだろう。

男を含め60代、70代の年代の自虐的史観のため、わが日本国はどれほど損害を被ってきていることか!靖国神社に祀られている英霊たしも浮かばれない。戦後の平和を享受している時代のものの見方考え方によって父祖たちの時代のことを推し量り、父祖たちの行動を非難することは絶対間違っている。

勿論、個々のケースで不条理・悲惨なことは多々あった。戦争だからと片づけてしまってよいものではない。しかし、その個々のケースを全体化しようとすることは正しくない。個々の不条理・悲惨なケースは何処の国でもあり得ることである。ベトナム戦争をしたアメリカも同様である。それだけに焦点を当てれば国を危うくしてしまう。

自虐的史観にとりつかれている世代を支えている世代の人たちの考え方はもっと現実的である。ある意味ではしっかりしている。

男は彼らに期待し、彼らに、彼らが60代、70代の人たちから教えられなかったことを教えたいと思って行動している。

2010年8月27日金曜日

竹島と尖閣諸島(続き)(20100827)


竹島に続き尖閣諸島について外務省の公式見解を以下に「である」調で掲げる。

中国は、大陸棚油田開発や漁業権、台湾との統一を視野に入れた国家戦略のこともあって、公式に堂々と「尖閣諸島は中国固有の領土である」と主張するようになったのである。



尖閣諸島の領有権についての基本見解

① 尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものである。

② 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない。

③ 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれている。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものである。

④ なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものである。

⑤ また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえない。



竹島も尖閣諸島もわが日本国固有の領土である。わが国の領土の保全のため自衛隊(‘日本国防軍’)が行動するのは当然のことである。平和ぼけしてしまった日本人は、世界中で‘軍’として認められている組織を敢えて‘自衛隊’と呼び続け、同様に‘歩兵連隊’と呼ばれている組織を‘普通科連隊’とし、‘駆逐艦’と呼ばれている船を‘護衛艦’とし、何よりも‘軍人’と呼ばれているものを‘自衛官’と言い換えている。

国を憂え、当選すれば公になることを恐れず敢えて論文を書いた‘日本国防空軍’の最高司令官を、論文が公になったことで栄誉礼もなくその首を切った。それで良いのか!

2010年8月26日木曜日

竹島と尖閣諸島(20100826)


竹島を韓国は実効的に支配し、「独島」と呼んでいる。尖閣諸島については、中国はその領有権を主張している。日本国民はこれらの島の領有権の真実を知りたいと思っている。しかし、政府はこらら離島の領土問題について積極的に説明しようとはしない。何故なのか?隣国との外交的な問題として、隣国に配慮しているからだろうか?素朴な疑問である。

韓国は、韓国の古文書に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されている。それを根拠に「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」としている。さらに、對馬については「日本国対馬州なり。旧(もと)、我鶏林に隷属す。いつ倭人の拠る所と為りしかを知らず。」と書かれている。

しかし、于山島は実在せず、それは鬱陵島のことである。なお、韓国内には對馬も自国の領土であると主張する人たちがいて、実際、對馬の一部は韓国人によって買い占められている。その買い占められた部分は自衛隊(‘日本国防軍’)の基地まで迫っている。

外務省はホームページで竹島の認知について説明している。しかし、殆どの日本人はこのことを知らない。マスコミも積極的に取り上げようとはしない。何故なのか?

外務省による竹島の認知に関する説明の一部を「である」調文体で以下に掲げる。



【日本における竹島の認知】

① 現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていた。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できる。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水(ながくぼせきすい)の「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在している。

② 1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島に至り、これを「ダジュレー(Dagelet)島」と命名した。続いて、1789年には、イギリスの探検家コルネットも鬱陵島を発見したが、彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と名付けた。しかし、ラ・ペルーズとコルネットが測定した鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから、その後にヨーロッパで作成された地図には、鬱陵島があたかも別の2島であるかのように記載されることになった。

③ 1840年、長崎出島の医師シーボルトは「日本図」を作成した。彼は、隠岐島と朝鮮半島の間には西から「竹島」(現在の鬱陵島)、「松島」(現在の竹島)という2つの島があることを日本の諸文献や地図により知っていた。その一方、ヨーロッパの地図には、西から「アルゴノート島」「ダジュレー島」という2つの名称が並んでいることも知っていた。このため、彼の地図では「アルゴノート島」が「タカシマ」、「ダジュレー島」が「マツシマ」と記載されることになった。これにより、それまで一貫して「竹島」又は「磯竹島」と呼ばれてきた鬱陵島が、「松島」とも呼ばれる混乱を招くこととなった。

④ このように、我が国内では、古来の「竹島」、「松島」に関する知識と、その後に欧米から伝えられた島名が混在していましたが、その最中に「松島」を望見したとする日本人が、同島の開拓を政府に願い出た。政府は、島名の関係を明らかにするため1880(明治13)年に現地調査を行い、同請願で「松島」と称されている島が鬱陵島であることを確認した。

⑤ 以上の経緯を踏まえ、鬱陵島は「松島」と称されることとなったため、現在の竹島の名称をいかにするかが問題となった。このため、政府は島根県の意見も聴取しつつ、1905(明治38)年、これまでの名称を入れ替える形で現在の竹島を正式に「竹島」と命名した。



【韓国における竹島の認知】

① 韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はない。例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗(せそう)実録地理誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)』(1531年)、『東国(とうごく)文献備考』(1770年)、『萬機(ばんき)要覧』(1808年)、『増補(ぞうほ)文献備考』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島であると主張している。

② しかし、『三国史記』には、于山国であった鬱陵島が512年に新羅に帰属したとの記述はあるが、「于山島」に関する記述はない。また、朝鮮の他の古文献中にある「于山島」の記述には、その島には多数の人々が住み、大きな竹を産する等、竹島の実状に見合わないものがあり、むしろ、鬱陵島を想起させるものとなっている。

③ また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引用された『輿地志(よちし)』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」と主張している。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もある。その研究は、『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性(しんぴょうせい)の低い供述を無批判に取り入れた別の文献(『彊界考(きょうかいこう)』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると指摘している。

④ なお、『新増東国輿地勝覧』に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されている。もし、韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば、この島は、鬱陵島の東方に、鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずである。しかし、この地図における「于山島」は、鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれ、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置している等、全く実在しない島であることがわかる。

2010年8月25日水曜日

協調と競争(20100825)


人と人の間でも、国と国の間でも、協調と競争がある。自分に相手と競争することができるだけの力があると、相手は自分に敬意を表する。逆に自分が相手と競争するだけの力がないと、相手は自分を見下げる。国と国の関係でもこれは全く同じことである。

日本と中国は古来対等に協調と競争の関係にあった。聖徳太子は「日出づる国の天子、書を日没する国の天子に致す」と書いた国書を小野臣妹子に携えさせて隋(当時の中国)に派遣し、朝鮮半島北部の高句麗への侵略を狙う超大国・隋と堂々としてわたりあっていた。聖徳太子は第32代用明天皇(585-587年)の第2子であり、第33代推古天皇(592-628年)により皇太子として立てられたお方である。

女性天皇と女系天皇の違いが分からぬ一般庶民、特に女性や、万世一系の天皇を重んじない自虐・偏向思想の学者たちが、天皇になられる方の子供が女子であった場合、その女子がまた天皇になってもよいと考えている。しかし推古天皇は女性天皇であって女系天皇ではない。推古天皇の後はまた第30代敏達天皇の孫息子・第34代舒明天皇になっている。天皇家は男系で継いできた世界に例がない最長の歴史をもっている。日本人の誇りである。

中国は皇帝が漢族だけでも続かなかった。それも万世一系ではなかった。さらに皇帝は蒙古族であったり(元王朝)、満州から朝鮮半島北部を支配したツングース系の満州族であったり(清王朝)であったりしている。そこで中国は歴史の古さだけを誇らざるを得ない。

中国は漢族を中心として、チワン族、回族、ウイグル族、モンゴル族、満州族、朝鮮族など55種に及ぶ多民族国家である。朝鮮半島も支配していた清王朝のとき大陸はイギリスによって麻薬アヘンが持ち込まれ、フランス、ドイツ、ロシアなど列強の餌食になっていた。朝鮮半島も同様の状況になりかねなかった。日清戦争の後、清はそれまで1500年間にわたり続けられてきた官僚の登用制度である科挙制度を廃止し、多数の留学生を日本に送り込み、近代化をはかり、今世紀に入り中華人民共和国という統一された国になった。

現代の中国で使われている用語に、「帰納法」、「演繹法」、「哲学」、「真理」、「命題」、「心理」、「物理」、「消費」、「地質学」、「植物学」、「動物学」等々の漢字の新造語があるが、これは清王朝が明治時代日本に派遣した中国の留学生によって持ち帰られたものである。これらは西周 (にし あまね、文政12年(1829年)-明治30年(1897年)が西洋哲学の翻訳・指導を通じて創った新造漢語である。このことを知らない日本人が余りにも多い。

今、日本と中国は貿易・経済・文化の面で切っても切れない非常に密接な関係にある。21世紀に入り、日中両国間の密接な協調がますます必要になってきている。一方で、中国は核兵器を所持し、アメリカに対抗して軍拡を進めている。日本と中国の間には軍備の競争が生じている。軍備だけではなく、科学技術を含むあらゆる分野で競争が生じている。

我が国の国民が、自らの歴史を良く知り、自らの国の優れている点をよく知り、中国に畏敬される競争力を持つならば、中国は尖閣諸島の領有権や黄海での油田開発等で我が国を侮ることはない。腰に大刀を差し、剣術の心得がある者を侮らないことと同じである。

2010年8月24日火曜日

映画『雨に日にパリに死す』(20100824)

 さるお方から葡萄のピオーネとロザリオ・ビアンコを贈られた。毎年お盆とお歳暮の贈り物をしたり、頂いたりしている。送る時は多少の値段が高くても、できるだけ美味しいもの、珍しいものを贈るようにしている。頂き物も日頃値段が高くてちょっと手を出しかねているものである。このようにして贈り物をしたり頂いたりすることは楽しく、嬉しい。

 このところ数日間は日中よく風が吹き抜けるので日中エアコンを使うことはなかったが、今日(23日)は無風状態で屋外は相変わらず蒸し暑い。そこで今日は、昨夜来エアコンのスイッチは切らずにいる。夕方近くなって気温が下がって来たら出かけようと思っている。

 昨日は夕刻、多小気温が下がってからシャワーを浴び、女房と一緒に散歩に出かけた。横浜トレッサのフロアでDVDや本などを安売りしていた。男は『雨の日パリに死す』など古い映画のDVDを5本買い込んだ。女房も『想い出のフォーク&ポップス』を買った。

 昼前、二人で『雨の日パリに死す』を観た。エリザベステイラーが主演の映画である。もう56年も前に創られた映画である。第2次大戦が終わって間もないころのパリの風景が映し出されている。「ここに写っている人たちはもう死んでいるわね」と女房が言う。半世紀経とうと人々の心や暮らしぶりは変わらない。何千年経っても変わらない。ただ、人は老い、この世を去って行くだけである。何十年も後の世に、このブログの記事を読んだ人が、何十年も前の世に、一組の老夫婦が安売りのDVDを買ってきて50年以上も前のパリの風景を映し出した映画を観たということを知る。但し、「この記事を読む」という仮定付きである。何十年の後に読まれると言うことは、全く期待せず、ある夏の暑い日の午前のひとときのことを記す。記して自己満足している。DVDの画質は意外に良かった。

 このようにして自己満足できる人は大変幸せである。世の中には何か創造的なことをする能力もなく、何か他者を援けることをすることもせず、病院のベッドに横たわっている人も多い。家の中に閉じこもっていて人が訪れて来ることや電話がかかってくることを数少ない楽しみの一つにしている独居老人も多い。

 日本対がん協会会長の垣添忠生先生が書いた『がんの妻を看取る』という記事が出ている。人はがんには勝てない。勿論早期発見でがんを克服した人は多い。しかし早期発見でも克服できないがんがある。先生の奥様の場合「小細胞肺がん」であった。

 男は前立腺がんを摘出手術により克服しているが、もし「小細胞肺がん」のようながんに侵されたら発症して短期間に死に至るであろう。今如何に元気そうにしていてもある日突然治癒見込みの無いないがんに侵されるかわからない。命は無常である。

 そこで、日々「あの世」逝きの死に支度を行っておく必要がある。この支度のための作業は楽しくもあり、「急いで完成させなければ」という焦り感もある。『雨の日パリに死す』の登場人物たちのように、その時々を精一杯楽しみ、死を忘れるような生き方は羨ましくも思うが、いくら金が自由に使え、金に困らない暮らしであっても、何かさびしい気がする。常に自分の死を意識した生き方の方が淋しくないように思う。

2010年8月23日月曜日

ネットワーク・システム(20100823)


 神経細胞は「細胞体」と、他の細胞からの入力を受ける「樹状突起」と、他の細胞に出力する「軸索」がある。一つの神経細胞の「軸索」と他の細胞の「樹状突起」の間に電気信号が「流れ」がある。人間や組織つながりによる社会的なネットワークや電気通信のネットワークも、「節点」と「経路」を結ぶ「流れ」がある。この密度が高度で効率的であればあるほどシステムとしてのパワーが大きい。

 一人の人間がどんなに頭が良くてスーパーマンのようであっても行動の目的を共有する人と人とのネットワークのシステムには絶対かなわない。ピンクパンサーという国際的な盗賊のネットワーク・システムも、国際刑事警察機構という国際的な警察ネットワーク・システムにはかなわない。国際テロ集団にもネットワーク・システムで対処できる。

 スポーツも戦争もシステムとシステムの競争、或いは戦いである。システムの優位な方が勝利する。スポーツでは、選手一人だけの力では競争には絶対勝てない。

 システムということが良く分からない人たちが多い。普天間基地移転問題はこじれ、感情的な問題に発展してしまった。その根本原因は、政治家も官僚たちも軍事システムということについて理解や知識が足りなかったためである。

 人の身体を一つのシステムとして考えてみる。それを国というシステムと対比してみる。頭脳は政府である。軍事力は武器を手にしている状態である。全身の神経網は、国の通信網である。全身の血管は国の交通網である。

 武器を手にしている人間同士は、自分が強いかどうか常に意識し、相手に馬鹿にされないように武術の鍛錬をする。同様に国の軍隊同士は相手の軍隊の能力を意識し、時々演習などで相手に圧力をかけ、時々領空・領海すれすれに行動して相手の軍隊の出方を探ろうとする。ロシアの爆撃機がそのような行動をし、武装して待機していた航空自衛隊(‘日本国防空軍’)の戦闘機が緊急発進して次々にリレーしながら監視を続ける。中国の艦隊がそのような行動をして海上自衛隊(‘日本国防海軍’)の護衛艦(‘駆逐艦’)が一定の距離をおいて航行し監視を続ける。

 民主党が昨年行った公開の事業仕訳はパフォーマンスの面が見え見えだったが、国民にいろいろ情報が公開されたという面で非常に良かった。その時スーパーコンピューターについて「1位ではなくて、2位では駄目なのか」と質問されたとき、反論することができなかった。これは官僚にコンピューターシステムに関する見識が欠けていたためである。

 多数決だけによって国の政策が左右される状態は良くない。真の民主主義とは、「良識があり志を同じくする有能な、ごく限られた少数の人たちが連帯して決定したこと」を、その人たちが皆をまとめて「民意」に仕向け、それで多数決を得るようにすることであると男は思う。

 夫婦は最小のネットワーク・システムである。例えば夫婦と子供二人の家庭の意見は、一応子供たちの意見も聞くがあくまで参考にするものであって、子供たちによく話してきかせて納得させ最終的には夫婦の意見を一家の意見とする。同様に、この国も表面には出ない良識ある人脈のシステムでこの国を導いてもらいたいと思う。

2010年8月22日日曜日

フリ-メイソン(20100822)

 近くで花火が上がっている。ここから3キロメートルぐらい先の川下のほうで毎年この時期花火が上がる。男の家からそれが見える。女房が「きれい!きれい!」と感動している。其処まで散歩して見に行けば感動もさらに大きいことだろう。今夜は東風が吹いていて花火が見える東側の窓を全開していると涼しい。

 男は4時過ぎ川の周りを散歩した。全天雲一つなく、お日様がきらきら輝いて西に傾いていた。満水の川面がお日様の光を受けて煌めいている。川沿いの建物や樹木や雑草などが川とともに美しい風景を作っている。この街は男の一家が転職と共に引越してきた当時に比べ随分垢ぬけてきた。当時は汚い建物が多かったが、新しいものに建て替えられたり、新しい建物が建ったり、川の周辺も防災工事関連で整備され、川そのものも綺麗になった。25年ほどの間にこの街は交通の便もよく、買い物にも便利になり、住みよい街になった。

 散歩のついでに足を延ばして大型複合商業施設トレッサ横浜まで行った。本屋に立ち寄り題名ははっきり覚えていないが「生命は宇宙からやってきた」ということが書かれている単行本のページをめくってみた。本の内容は、この地球上の生命は地球上で独自に発生し、進化して来たのではなく、宇宙からやってきた生命が元であるという学説である。面白い。宇宙空間には想像以上の生命が漂っているというのである。

 フリーメイソンのことが書かれている単行本も目についた。戦後日本の政界・財界などにフレーメイソンのメンバーがいて、フリーメイソンが世界を動かしているというのである。フリーメイソンのメンバーにはランクがあって、誰それは第32位というようなことが書かれている。戦場で敵味方であってもフリーメイソンの合言葉があればお互い殺すことはないという。フリーメイソンには何か暗い影が付きまとっているように一般には受け止められているが、実際はそうではないらしい。但し当然のことながら、誰でもフリーメイソンのメンバーになれるわけではないようである。

 面白いのはフリーメイソンでも犯罪に関与した例があったということである。どうもフリーメイソンは世界的な組織で、政財界のそれなりの人がメンバーになっていて世界的ネットワークの中で練られた計画に基づき、世界を動かすような仕組みのようである。戦犯で処刑された東条英機元首相は、処刑される直前、フリーメイソンのメンバーの一人に妻に託すメッセージを書く紙と筆記具を求め、それを渡したら彼は何やら書いてメンバーに託したということである。そのメッセージは彼の親族に渡されたという。

 きちっとした理念に基づき構築されたネットワークシステムは力を発揮する。丁度頭脳の中の神経細胞のネットワークのようである。非常に優れた一人の頭脳・識見・行動力よりも、個々がそのような能力の集合システムのアウトプットが驚くほど大きな結果をもたらす。フリ-メイソンはそのような組織なのだろう。

脳神経細胞が樹状突起と軸索でシナプス結合し、能力を高めて行く仕組みを世界規模のメンバーシップの有機的結合まで拡大したのがフリーメイソンだと男は思う。

2010年8月21日土曜日

民主党、何が原点か!(20100821)

軽井沢で鳩山氏グループ、小沢氏グループが集った。鳩山氏は小沢氏に平身低頭の歓迎。脇に小沢氏信奉の女性議員ら。報道のカメラを意識した表情。

「原点に立ち戻る」というが、その原点がある座標そのものの空間的位置がわが国の現実と乖離していることに目をつぶっていないか?自分たちの私利私欲のため理性を失い、「原点、原点」と叫ぶ。ま、政治はパフォーマンスであろう。「挙党一致、挙党一致」と叫び、改選される新内閣でのポストを確保したいのが本音なのかもしれない。

ニホン猿の猿山の集団の個々の猿たちのように、目をきょろきょろして常に上下関係を確かめながら言動している。それが我々が選んだ政治家たちである。しかも悪いことに、自分の得票数に無関係に、国会議員として当選したら「日本全国民から支持された」と言う。国民の大多数は「あなた個人を支持しているわけではない」のに・・。

民主党の原点の間違いは以下のとおりである。

① 官僚たたき・・天下り官僚の「渡り」が悪いのであって、天下り後第二の人生をずっと定年までその法人で働くことは保障されなければならない。官僚の定年を延ばし、人件費を膨らませ、官僚組織に活気をなくすようなことが果して正しいやり方か?

② ばらまき・・防衛費よりも多くなる子供手当。給付された手当は多くは貯蓄に回り、経済効果は少ない。しかも保育園が極端に不足し、女性が働きたくても働きに出る環境が旧態依然である。子供手当は票取りのパフォーマンス、大衆迎合政治スローガンだ。

③ 外国人参政権・・これも票が目当てで国益完全無視の政策である。

④ 代表選への外国人参加・・これも国益無視、党利党略、自分のシンパの増勢策である。

⑤ 消費税増税必要の説明を批判・・これも上と同じである。

要するに、小沢氏及びそのシンパはこの国のことよりも自分自身の利益を最優先していることは明白である。そのような連中にこの国の未来を託すことは危険である。

不見識な政治家たちは「政治」とは「政治的に動くことである」と勘違いしている。国家良民のためよい政治を行うことが政治である筈であるのに、私利私欲のため「政治的に」動くことが政治であり、「政治的に」権力を握れる人物が「大物」であると思っている。

正に今も変わらず、自ら「檄文」で国民に訴え、古式に則り切腹し、介錯を受けて果てた 三島由紀夫が嘆いた状況が続いている。戦前の教育を受け、戦後アメリカ式民主主義を学び、価値観が定まらない連中、これを書いている男も含む、は猛省し、今一度、自分たちの父祖の価値観をもってこの国を改革する行動に出なければならない。

ゴラン高原に行く自衛官(男はこの言葉が嫌いである。‘軍人’、せめて‘国防軍兵士’と読み替えたい!)たちの出陣式の様子が一部のテレビで報道された。離島奪還の訓練を実施するということが一部の新聞に大々的に報道された。タンカーへのテロ攻撃のことが大きく報道された。民主党にはタンカーの護衛も海上保安庁の巡視船で行えばよいと思っている連中が多数いるだろう。靖国神社への参拝もせず、隣りの大国に色目を使っている。

2010年8月20日金曜日

靖国神社に想う(20100820)


靖国神社には国難に殉じた方々の御霊が祀られている。一方で、国難に殉じたとは言え、国の指導者として敗戦まで指導した責任があった方々も合祀されている。

日本が侵略国家ではなく、合法的に大陸や東南アジアに軍事力を展開したという考え方は自虐的史観に毒されている多くの日本人にはまともに受け入れられていない。東京裁判は戦勝国による一方的な判決を言い渡された裁判であるという考え方も同様である。

男は近現代の歴史の認識について無学なくせに何かを言おうとするものではない。ただ、自らの自虐的な史観に囚われている人たちに、もっと別の角度からあらためて近現代史を見つめ直したらどうだろうかと問いかけたい。

先日NHKの討論会で日韓両国間の歴史認識が取り上げられていた。その総括は、「日本人は近現代史についてもっと学ばなければならない。韓国人は日本に対し一方的に反感を持つことはやめなければならない。このような討論会は今後も行うべきである。」というものであった。全く同感である。

日本人の自虐的史観は近現代史の認識に欠ける一方的な史観である。そのことを先ず念頭において、客観的に冷静に日本と周辺諸国の近現代史を観、真剣に学ばなければならないと思う。我々は余りにも近現代史について学んでいない。そのため韓国人の心の痛みが理解できない。同じように、日本が先の大戦を必死で戦った理由も理解できない。

かつて田母神元航空幕僚長が論文に書いて大きな問題になったが、ここにその論文の中で男が注目した幾つかを紹介する。それが歴史的事実でなければ、その論文は嘘を主張したことになる。果して「嘘だ」と言えるだろうか?

① 盧溝橋事件について東京裁判の最中に、中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「盧溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言している。

② 日本が侵略国家であったというのならば。当時の列強と言われる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。

③ 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強と言われる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。

④ 朝鮮半島も日本統治下の35年間で1300万人の人口が2500万人と約2倍に増えている。

⑤ 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。

⑥ 日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイウ)という陸軍中将がいる。陸軍士官学校26期生で朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。

⑦ その1期後輩には金錫源(キムソクウオン)大佐がいる。日本兵1千名を率いて元宋王国の中国軍を蹴散らした。創氏改名などしてない。

靖国神社には国難に殉じた人々が祀られているのである。その中に特攻隊少年兵士もいる。

2010年8月19日木曜日

地縁・血縁 (20100819)


男はこのたび自分が子供の頃過ごした土地に昔から住んでいる親戚の家々を尋ね、子供のころ可愛がってくれた3人の叔母たちの墓参りなどをした。初盆だった従兄の家も訪れ、その従兄の親族たちにも会った。実に半世紀近い歳月を経て、従兄弟たちの家々に上がり、仏壇に向かって合掌し、長年の不義理を詫び、一族の行く末を見守ってくれるよう祈った。男は一族の未来の幸せのため、また今生の幸せのため、自分が中心となって先祖の地に地縁・血縁関係を再構築しなければならないと改めて強くそう思った。

一人の従弟からは男の先祖が祀られている土地の地域の地図(タウンマップ)を貰った。その地図はその地域の企業群がスポンサーとなった昭和50年ごろ作成されたものである。その地図は男が子供の頃は見渡す限り一面田園風景であった地域が住宅地に変わった後の様子が良く分かる。その地図には個々の家とその持ち主の名字が書かれている。男が子供のころ住んだ屋敷は結構広かったことが分かる。そこには他界した叔父の一族が住んでいて、男の先祖の祭祀を行ってくれている。しかしその従弟二人には男子の子供がいない。

初盆であった従兄の家にはお参りしたあと大事にしていたパナマ帽子を忘れて宿に帰っていた。その晩、竹馬の友一人が男と是非一献酌み交わしたいということで、街中のちょっとした料亭で9時近くまでいろいろ語り合った。その友を家まで送るついでにタクシーを走らせ従兄の家を再訪した。

夜9時を過ぎていたが、従兄の家の仏間と座敷を連ねたところに従兄の親族が大勢集まっていてにぎやかに飲食していた。男は昼初盆にお参りしたあとその家を去る時、何か後ろ髪を引かれる思いがあったが、帽子を忘れたのはそのためかとも思う。他界した叔母が男の手を引きとめたのだと思う。

男は仏壇に手を合わせ、並みいる親族の皆さんに初対面の挨拶をし、少しだけ飲食しながら語り合った。昼会えなかった従妹が来ていた。従兄とともに三人一緒に写真に写った。男のデジカメのシャッターを押してくれたのは従兄の息子の一人である。その息子はビルマで戦死した父親の写真によく似ている。

その写真を小さくしたものが靖国神社を鳥瞰した大写しの写真の中にもはめ込まれている。軍帽をかぶり正装し、勲章を二つ胸につけた立派な姿である。従兄の父親は陸軍伍長だった。35歳で戦死している。従兄がまだ子供のときであった。叔母は何度も靖国神社に参っている。この3ヶ月前96歳で没し、今あの世で夫に会うことができ、ようやく夫との平和な暮らしを取り戻すことができていることだろう。

炎暑の最中、方々の親族の家を回り、非常に密度の濃い帰省旅行を終えてわが家に帰りつた翌日、子供のころ会った記憶がない従弟から初めて電話があった。その従弟は男のもう一人の叔父の息子である。男がわが家の由緒書を書きあげ手紙を添えてその従弟に送っていた。その従弟は自分の先祖を祀ろうと墓所を移し終え、仏壇の購入を準備していた13日にそれが届き、なにか不思議な縁を感じると、大変喜んでくれている。男も嬉しくなった。

2010年8月18日水曜日

仏教と科学の接点を考える(終) (20100818)


「同調性」が勝っている性格とそうでない性格、「うつ傾向」が勝っている性格とそうでない性格は、遺伝的に同じでも生後の独自の環境次第で違うと言うことである。

ここで「自尊感情」とは、自分の気持ちを大切に思う気持ちや自身の強さのことである。「権威主義的伝統主義」とは、権威に服従したり保守的であろうとする態度である。

一方「論理的推論能力」や「言語性知能」や「空間性知能」や「学業成績」は約70%が遺伝によるものである。しかし、「言語性知能」ではその55%が特に親や周囲の指導如何により影響を受けるものである。つまり、生まれつきその知能が高くても、親や周囲の指導如何によりその知能を発揮できないのである。また「権威主義的伝統主義」についても約15%が同様である。

これらは約30%が遺伝以外の要素、つまり本人独自の環境によるものである。

このことはこれらの要素は家庭環境の影響をあまり受けないということを意味する。例えば親が子供に過大な期待をし、本人が嫌がるのに無理やり塾通いをさせ、なんとかそこそこの大学入試に合格したとしても、よい結果は得られないとうことである。

このように、本人の性格や精神状態や能力は遺伝学的な影響と社会学的な影響によるものである。先祖や親や血縁的親族の「あの世」が、その本人の「この世」に現れるという遺伝学的影響だけではなく、血縁・非血縁的家族や親族や関係者の「この世」が本人をしてその家族や親族や関係者の「あの世」となって現われるという社会学的な影響があるのである。この場合、「この世」と「あの世」の時差は様々である。諺に言う「子は自分の鏡」「反面教師」などはその例である。

このように「この世」から「あの世」への時間や方向はいろいろである。因果応報の関係には現代科学ではまだ解明できていない‘ある何か’も作用しているかもしれない。その‘ある何か’はそう遠くない将来必ず解明されることを期待したい。

お釈迦様は「施し」について①お金や財物による施し、②人間の正しい生き方に関する仏教の教えを人々に説明する施し、③暖かい清い心で人々に優しくし、安心感を与える施しの三つがあることを説かれた。資産がなく、学問が無くても優しい心でただにこにこ笑顔でいるだけでも立派な施しであるということを説かれた。

お金がなく生活に困っている人がお金を借りに来たら、その人に返済を期待せずお金を貸してあげる行為は①の「お金や財物」による施しである。その上さらに 仏教の教えを話して聞かせ、「本当に困った時はまた相談に来なさい」と言ってやれば、それは最高の施しである。そのようにした家は信用・信頼の徳が積み重なり、ますます栄え、そのようにしなかった人の家は栄えない。過去。そのような事例は沢山ある。

このように「あの世」は確実に存在している。ただ、現代の科学ではまだそれが証明できないだけである。8月15日の終戦記念日、日本国政府として靖国神社に参拝しないのは間違っている。男の従兄や友人の父親はビルマで戦死している。その御霊は靖国神社にある。

2010年8月17日火曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100817)


お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。

子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。

遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。

このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。

現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない者がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。(参考文献:『Newton別冊「知りたい!遺伝のしくみ」』)

例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与える。

「開拓性」や「勤勉性」は50%が遺伝によるものである。「うつ傾向」は40%が遺伝によるものである。残りは本人の独自の環境によってその性格の現れ方が異なっている。このことは本人の家庭環境や社会環境が良ければその良い性格を大いに発揮できるようになるが、そうでない場合は折角その遺伝的要素が大きくても性格としては現れないことになることを意味する。われわれ日本人の開拓性に富む勤勉な国民気質は、生来のものである。

「同調性」については約35%、「うつ傾向」については約40%が遺伝による。しかしこれも本人の独自の環境次第でその性格の現れ方が異なってくる。

2010年8月16日月曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100816)


ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士は、核分裂実験の過程で偶然、一部の素粒子が突然消失するのを発見した。博士は、素粒子が突然消失したのは素粒子が5次元空間に飛んで行ったためであるという仮説を立てた。

博士は弱い力である重力に注目して、重力が弱いのは我々を取り巻く4次元世界が5次元世界の中に取り込まれているためだという。

博士によると我々の4次元の世界は5次元の世界からみると薄い膜のようなものであるという。そして4次元と5次元の間には重力が行き来しており、4次元の世界は何もわれわれだけの世界ではなく、他にも薄い膜のような4次元世界が存在しているはずであるという。もしかして「この世」の薄い膜も、時系列上の無数の「あの世」の薄い膜も、畳み込まれていてホログラムのようになっているのかもしれない。

われわれは4次元しか認識することができないから、われわれの世界の外側に別の世界、それは重力が行き来する5次元世界があると言われても、それを認識することができない。しかし5次元世界にもし‘ある何か’が存在しているとすれば、その‘ある何か’は確実に我々を認識しているに違いない。それはなぜかと言うと、3次元のわれわれが地面に描く2次元の模様を認識できるように、次元の高い世界に存在している‘ある何か’は、次元の低い世界に存在しているものを認識できるからである。

5次元世界が存在しているか否かについては理論物理学的な実験により説明できるとして、博士はスイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の素粒子衝突型加速器(LHC)による実験に期待を寄せている。しかし博士の理論が正しいとしてもこのLHCのエネルギーでは極小ブラックホールは生じず、余剰次元は検出されないだろうと言われている。

このLHCは大変危険であるとして訴訟が起こされているので、LHCのエネルギーをこれ上げるようにすることは非常に難しいだろう。

CERNのLHCは事故つづきであったが昨年11月20日に稼働を再開した。人類はそう遠くない将来、訴訟や事故の恐怖などあらゆる困難を克服して、きっと余剰次元を検出することができるようになるであろう。そのとき人類は初めて‘神’を見ることになるだろう。

もし、5次元世界が存在していて我々の4次元世界を包みこんでいるとすれば、我々が日常経験する不思議なことが何故起きるのか、説明がつくようになるであろう。「あの世」は我々の人生における行為や経験の蓄積の結果、5次元の世界に存在する‘ある何か’が遺伝子に作用して造られるものかもしれない。

もし知能や性格や気質などに関係する遺伝子が5次元に存在する‘ある何か’により作用を受けて、例えばDNAのメチル化などにより制御されて人の「あの世」を造るとすれば、仏教で説かれる因果応報は100%正しいことになる。

我々は余りにも真のことを知らなすぎる。「‘自分が知らない’ということ‘知る’」ということが最も大切である。科学的に証明されない事柄は、‘自分が知らない’事柄である。

2010年8月15日日曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100815)


「人類は」というが、それは具体的にはスティーヴ・ベンナーやフロイド・ロームズバーグら科学者たちのことであるが、その「人類は」、既にDNA類似のものを創りだすことに成功している。しかもそのDNA類似のものは5世代まで複製を繰り返した。さらに人類はDNAがコードに使っている4種類の塩基・ATCG以外の化学塩基を使って通常の20種類のアミノ酸だけではなく、全く新しいアミノ酸を指定することができた。

僅か100分の1ミリの大きさの細胞の中の核の中には1個の総延長が数センチメートルのDNAの二重鎖が絡まないように滑車の形のようなヒストンというタンパク質に巻きついている。そのヒストン1個に巻きつくDNAの塩基対は146セット分である。DNAのひもは長いため1本のDNAには極めて大量のヒストンが使われている。DNAはヒストンによりすぐほどける形になって繊維状に連なっている。その繊維状のDNAが直径1000分の1ミリメートルの更に100分の1(10nm)ほどの核の中に46本収まっている。46本のDNAの長さを合計すると2メートルほどにもなる。そのようなDNAが収められている核の中の中央に核小体というものがあり、そこには主にタンパク質の合成装置であるリボソームの部品が集まっている。それには膜はない。

核は二重の膜に包まれていて、その膜には核内で組み立てられたRNAが核の外に出て行くための穴があちこちに開いている。核の中ではDNAの情報を読み取るRNAポリメラーゼという措置があって、二重らせんのDNA鎖を解きながらDNAの情報を読み取ってRNAにする。情報をDNA上のどこで読み取りを始めるのか、もし読み取りが間違った場合対策など細かい仕組みが核の中にはある。

核以外に細胞の中にはタンパク質を合成し、合成されたタンパク質を仕分けして細胞の外に送り届ける装置まで合成されたタンパク質を輸送する装置や、エネルギー装置などがある。そのような細胞が人体には60兆個もある。

この地球上に40億年もの昔、偶然に生まれた生命の素となるものが時を経て今日のような多種多様な生物群になった。その生物群の頂点にある人類は、遠い未来、地球上で生存できなくなる前に宇宙に脱出すべく、今盛んに宇宙開発が進められている。

その人類は、「過去世(前世)」や「未来世(来世)」の在ることを信じ、あるいは信じず、又はその「在る」ことを証明しようと試みている。

人類のDNAに書き込まれる情報はただ単に生物学的な遺伝だけであるのだろうか? 3次元の世界に住むわれわれには認識できない事柄によっても書き込まれるのだろうか?

科学者ではない耳学問の徒は、ふざけたことと思われるようなことを考えている。もし、科学は、「前世」とか「来世」というようなものは絶対に存在しないのだと証明できるとすれば、2500年前お釈迦さまが説かれた教えは、通用しなくなる。

その時は非常に多くの人々、お釈迦さまが教えるように「他を拠り所とせず、自分自身だけを拠り所として」人生を生きることが出来る人以外は、幸せは得られなくなるだろう。

2010年8月14日土曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100814)


人は、どんなに幸せを求めて何かを行っても、結局は四苦八苦の「苦」から逃れることはできない。仮令、科学の力で愛する人の命を救ったとしても、その「苦」はつきまとう。ならば、どうすればよいのかということを釈尊は説いておられる。結局、究極の幸せは、釈尊の教えを学び、釈尊に一歩でも近づくように日々努力し、ものごとに、特に欲望からくるものごとにとらわれないように、「吾只足りることを知って」、執着を断ち、今を一生懸命に生き、死ぬ時は一生懸命に死ぬのが一番ではないか、と思う。

あの世でどうなるかを「信じる」こともせず、できず、この世で悪行を重ねる輩は、古の昔から減らない。もし、その悪行をその人にさせる根本原因が遺伝子にあるとすれば、この世の中では、善い行いも増えるだろうが、悪い行いも増えるのではなかろうか?何故なら現代社会では交通機関や情報通信が高度に発達し、人々の交流も増え、かつて婚姻関係は狭い地域内に集中していたであろうが、今ではその人の出自や親せきの状況など無関係に全国的に拡大してきている。そうすると良い遺伝子も悪い遺伝子も全国的に拡散する。そうするとごく普通の家庭で、家族の中に非常に優れた人も現れるが、非常に劣った人も現れる可能性がある。

人の性格や行動が遺伝子によるものであるかどうかは、学問的には、いまのところなんとなくそのようであるという程度のことであろうかと思う。しかし、哲学は、直感に基づき思索を深めるものである。楽しみながらあれこれ思索し、そのことを公に発表し、意見を頂く。そのようにして日々が過ぎ、わが肉体は何れの日にか土に還る。

ところで、人の言動はその人自身が決して気づかない奥底の心理、無意識によって左右される。ひとの集団の言動もそのような無意識の集合によるものである。

ユングの「集合的無意識」については、あくまで概念であり、実体として証明されているものではない。しかしそう遠くない将来、ヒトが生きてゆく社会環境やそのヒトの暮らし向きなどの影響により発動する原因となる遺伝子が次々見つかるようになれば、その概念は実体として証明されるようになるであろう。既に、MAOA(モノアミン酸化酵素A)というタンパク質を作る遺伝子の異常が、ヒトの攻撃的性格の原因となることがオランダの家系の調査で分かってきている。(引用:『Newton「知しりたい!遺伝のしくみ」』)

仏教では、ユングの心理学を先取りしたような説が、ユングよりも2千年以上も昔に仏教の哲理として確立し、今日まで伝えられてきている。

10日、日韓併合について首相談話が出された。その談話は日本人大多数の集合的無意識を代表するものではない。一方、菅総理があのような談話を出しても韓国民の日本人に対する集合的無意識がそう簡単に変わるものではない。

先般、日韓両国で双方の意識について世論考査が行われた。日本人の65%が韓国に好意を持っているのに対して、韓国人は27%の人しか日本に好意を持っていない。その状態は今後も変わらないだろう。韓国は竹島を占領し続けるだろう。DNAがそうさせるのである。

2010年8月13日金曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100813)


幹細胞を利用して、豚で人間の肝臓を造ることが試みられている。既に種の違うラットの体内でマウスの肝臓を造ることは成功している。近い将来、その手法は実際に人間に適用されるようになることは間違いない。クローン人間を造ることも、老化で衰えた皮膚を若い皮膚に造り変えることも可能である。細胞のアポトーシスを抑制する物質が発見され、動物実験で成功すれば、人間の寿命が延びることになる。

このようにして人造人間が簡単にできるようになる時代は、そう遠くない時期に到来するだろう。価値観が違う国々がある世界で、倫理上の問題を共通的に解決することは非常に困難であると思われる。

そのような近未来社会において、仏教はどのような役割を果たし得るだろうか?これは、非常に重いテーマである。しかし、そのような近未来社会においても、人々の生老病死の四苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦(四苦と怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦の三つ、合計七つの苦を概括した苦のこと)の合計八苦、つまり四苦八苦は解消されない。医療技術が発達し、一時的な幸せを感じても、それが永久に続くものではない。

仏教の役割は依然として残る。すべての人々が「前世」とか「あの世」を肯定的に考えるようになれば、人々は幸せになり、この世は平和になる。そのためには、科学がそれらの存在を証明できるようになる必要がある。

前述‘人造人間’について男のブログの記事を読んだ人からご意見を頂いた。第一点は、総合体である丸ごとの人間はまさしく科学(分ける学)の成果の寄せ集めでは総合体にたどりつかない、ということである。第二点は、科学が「前世」とか「あの世」の存在を証明できるとは思えない、ということである。

男もそう思っている。遺伝子的には、約半数ほどのアメリカ人の性格がわれわれ日本人と異なっているようであり、アメリカ人は新しいことに挑戦するという好奇心が旺盛な人々が多く、わらわれ日本人は殆どが内気であるという。その遺伝子というのはDRD4遺伝子というのだそうで、その繰り返し回数の比較においてアメリカ人は約半数が7回、日本人は殆どが4回というのである。

そのアメリカ人ならば、ブッダ(釈尊)が繰り返し語っている「過去世」とか「未来世」について、科学的に究明しようと考えるかもしれない。多分、実際に究明しようとしている科学者もいるかもしれない。

ただし、釈尊ご自身は、そのようなものが「ある」とか「ない」とか議論することは、禁じておられる。禁じておられながらもご自身はそのことを語っておられる。例えば、『感興のことば』(中村元著『ブッダの真理のことば感興のことば』(岩波文庫)では、第1章の26に「この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである。」と語っておられる。

2010年8月12日木曜日

仏教と科学の接点を考える (20100812)


お盆という言葉の由来はサンスクリット語の「ウラバンナ」にある。ウラバンナとは逆さ吊りにされて苦しんでいるという意味だそうである。

これは釈尊の高弟の一人が神通力で既に死んでいる自分の母親が地獄で苦しんでいるのを知って、釈尊に相談したら、釈尊は「お前の母親は生前物惜しみをして人々に施さなかったから、今地獄で苦しんでいるのだ。代わりにお前が施しをしなさい。」と教えた。その高弟は釈尊の言われるとおりに施しをした。するとその母親は地獄から解放されて極楽に行った。お盆はその話に由来する行事である。

仏教で施には次の三つがあるということである。施しは布施ともいう。①財施(ざいせ)、②法施(ほうせ)、③無畏施(むいせ)。財施とは金銭・財物などの経済的な施しを与えることであり、法施とは精神的な教法の施しを与えることであり、無畏施とは安心を与えることである。(出典:『仏教の基礎知識』水野弘元著、春秋社)

何も施せなくても笑顔で相手に安心感を与えることができる。それを‘和顔施’というそうである。人は誰でも施しができるのである。金がないからとて、物がないからとて、法を教える学識がないからとて、人には心で施すことができる。ところが一般に金持ちほど金を出し渋る。貧者の一灯は、貧乏人が手持ちの僅かな金を出すことである。

釈尊は神通力で人の前世や来世を見通すことができた。件の高弟もその神通力で死んだ自分の母親が苦しんでいる様子を見た。精神の活動は無限である。意識は遠い過去から遠い未来まで延伸させることができる。修業を積んだ人はその精神活動によって神通力を身に付け、人の前世や来世を見通すことができるようになるのではないかと思う。

人の前世や来世があることを科学的に証明できないかということが男の思索のテーマである。お盆の期間、男は仏教と科学の接点を考えることにしたいと思う。

この記事を書いているとき、テレビで保険金殺人のことが報道されている。暴力団員が一人のホームレス男性を一人の認知庄女性と結婚させ、両方とも殺し保険金を騙し取った。保険金殺人事件はこれまでよく起きている。

男はそのような悪人が「あの世」で地獄の苦しみを受けることや、殺された人が前世に何かの因縁を持っていることを科学的に証明できないかと考えている。

本人の意思を確認できなくても家族が同意すれば臓器移植ができるようになった。一方、免疫の型が全く同じ子供を体外受精の手法で造ることは既に実現している。そのようにして生れた子供は‘救世主兄弟’と呼ばれ、その子供の骨髄で免疫の型が全く同じ兄弟(又は姉妹)の白血病を治療することができる。白血病だけではなく、もしその‘救世主兄弟’が死んだ時、その臓器を生まれながらにして免疫型が合致する兄弟(又は姉妹)の病気の治療に利用される。

「あの世」は今現に生きている人の「この世」であるとすれば、今や、人が人の「あの世」を左右する時代になっている。「仏教と科学の接点」を考える上で難しい問題がある。

2010年8月11日水曜日

幸せは‘物’でなく‘心’(20100811)


男はかつて過去には目を向けず、未来ばかり見ていた時期があった。過去を振り返ることは好ましい生き方ではないと思っていた。ところが今は過去を振り返ることが多く、未来を見ることは無くなった。唯一自分の人生のゴールをどう飾ろうかということばかり考えるようになっている。夢や希望はない。―と言っても男の心は明るく、日々楽しい。

もし自分が不幸せな暮らしをしていたならば、そのような心境にはならないだろう。男は恵まれすぎているのだ。かといって、金銭的に豊かでもない。しかし貧乏でもない。セレブが住む地域に住んでいるわけでもない。立派な家に住んでいるわけでもない。家の中に自慢できるような豪華な家具などがあるわけでもない。女房が高価な宝石をもっているわけでもない。家の中は簡素に綺麗に整えられているが、至極質素なものである。それでいて十分満ち足りているのである。よい家族、親戚、友人に恵まれて何一つ悲しいこと、さびしいこと、嫌なことがないのである。

男は物質では決して満たされることは無いと確信している。愛、思いやり、心の温かさ、平和、‘物’ではなく‘心’が幸せの根源であることを確信している。

テレビで‘孤独死’した人の遺留品の後始末やその人が住んでいた家の清掃を行う会社の仕事が紹介されていた。人は‘孤独死’と一言で片づけるが、決して孤独ではなくある日突然独りで死んだ人もいるだろう。ただ一般に家族と離れて独りで暮らす人にはそれなりの事情がある。人は明るい家庭で周囲の愛に恵まれて暮らしておれば‘孤独死’などしない。100歳前後の長命な人は必ずそのような明るい、愛に満ちた家庭で暮らしている。

では、何故世の中には暗い、さびしい、愛に飢えた家庭があるのだろうか。ある日突然襲ってきた不幸に見舞われる家庭があるのだろうか。それは偶然のことなのだろうか。

男も今後生きている間に不幸身見舞われないとも限らない。だから不幸になりそうな原因はすべて取り除くようにしている。とっくの昔車も手放した。「君子危うきに近寄らず」で、齢とって身体的・生理的能力が若い時に比べて相当落ちているので、車の運転はやめたのである。しかし、観光バスに乗っていて事故に遭わないとも限らない。

観光バスツアーも格安の値段だからといって飛びつくと、運転手が何日間もたった一人で長距離運転しているから安いことに気づく。それも毎朝の出発が早く、疲れがとれないだろう。危険である。だから男はもうそのようなツアーには参加しない。

格安の航空会社も老齢の飛行機の機体の金属疲労が心配である。パイロットの技量が心配である。会社の安全管理体制が心配である。安ければ良いというものではない。

そのようにして最新の注意を払っていても、ある日突然不幸に見舞われないとも限らない。それは‘運命’という一言で片づけられる。果して‘運命’なのだろうか?

では神仏への信心が良ければ‘運命’は良くなるのだろうか?とあれこれ思いめぐらすと、世の中には幸せな人と不幸な人が、なにか人智を超えたもので操られて分けられているのではないだろうか、と思う。釈尊は我々に何かを教えておられるように思う。

2010年8月10日火曜日

光陰矢の如し(20100810)

 明後日(12日)新幹線で九州に発つ。そのため今日は朝から慌ただしく準備する。2か所の初盆に参るため喪服や靴やネクタイや数珠など女房の分も含め、いつもより余分な物を携行しなければならない。荷物をできるだけ少なくするため宅急便で送る。

 熱帯魚の水槽や金魚の水槽の水替えなどをする。僅か1週間ほどの帰省旅行であるが普段の生活を一旦止めて普段と違う生活をしなければならない。

 都会では交通機関が人に合わせてくれるが、田舎では人が交通機関に合わせなければならない。田舎は車がないとどうにもならないが、かといってタクシーを雇うと片道1万円以上はかかる。人が合わせる交通機関だと数千円で行けるところが3倍以上のコストである。交通機関に人が合わせるしかない。そうなるとお盆に参るといっても1日がかりである。以前は気安く泊っていた親戚の家でも、高齢化がすすみそこに泊めてもらうのは気の毒である。だから前の日に何処かで宿に泊って、翌日お盆に参ることになる。

 初の盆に参るにはご仏前も皆に合わせなければならない。親戚だと大体相場は1万から2万円である。さらに先ず挨拶に必ず御仏壇の前に座り、明かりを灯し、焼香し、鐘を鳴らし、手を合わせる。その時、お線香代替わりに千円札を1枚置くのが習わしである。初盆に参るのに交通費、宿泊費、ご仏前を合わせて夫婦で相当の出費となる。

 それでも親族一同集まり、にぎやかに、親しく会話することは楽しい。都会ではお坊さんが決めた日に、お坊さんが指定する場所に違う家族・親族が集まって共同でお盆の儀式をするところがあるらしい。埼玉県での話である。男は女房からその話を聞いて「生臭坊主!」と怒りの言葉を発した。そもそも僧侶は悩める人々を導くのが本来の勤めである筈である。しかるに、自分たちの稼ぎのためにそのような方式を打ち出している。それは、そのようなシステムを利用したいと思う人とが結構多いためである。

 以前テレビで其処かのお寺で住職はアーティストといわれる部類の仕事をしていた人が、お寺の行事に夫婦でエンターテインメントを行っているのを見たことがある。若い参加者が増えたらしく、お寺も経営状況が改善され、参加した若者もエンターテイナーの住職の話を有難がっていた。お寺もいろいろ考えなければ経営が成り立たないご時世である。

 今回往復新幹線のぞみ号を利用する。博多から先も特急利用である。たまに列車の旅も悪くない。ドアツードアの総時間は列車であろうと飛行機であろうと大差ない。それぞれ長所短所あり、選択条件は旅費である。繁忙期は飛行機代が高い。通常の2倍以上である。その時は列車の方が安い。飛行機だと飛行場までの交通機関の乗り換えや、持ち物検査が煩わしく、出発までのフライト待ちのロス時間を無駄に思う。

 そのような帰省旅行を年に何度か続けてもう何年もなる。そして酷暑と厳寒の繰り返しを何度も続けてきた。今年も夏はお盆で過ぎる。毎年齢を重ねて、男も女房も気づかぬまま年々衰えてきている。光陰矢の如し、である。

 男は今回また竹馬の友だちにまた会うのが楽しみである。お互い73歳にもなっている。

2010年8月9日月曜日

三島由紀夫の檄文(20100809)


男は三島由紀夫の檄文の趣旨には大いに同感である。以下その同感する部分の抜粋である。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」

「自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。」

「憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。」



男は、三島由紀夫は自衛隊に決起を促したのだと思う。しかしそれは所詮無理なことであった。そのことは彼自身も十分わかっていたに違いない。彼は市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で総監を人質にし、総監室の外のバルコニーに出て演説し、その後、総監の目前で武士の作法に従って切腹し、介錯を受けて果てた。そのことにより、彼は国を憂える気持ちを人々に訴え、日本人としての自覚を取り戻してもらうことを期待したのではないかと男は思う。当時彼の行動を非難した人々や自衛隊員も少なくなかったようであるが・・・。

インターネット「三島由紀夫Wikipedia」により三島由紀夫の生い立ち、出自、教育環境、経歴などを概観すると彼の行動の本質が見えてくるようである。

人は、誰でもバックグラウンドを持って発言し、行動する。そして自分の発言や行動の正当性を主張する。そして他者が自分の発言や行動に対して批判をすれば、そのことを非難し、周囲の同じような思想をもつものに同調を求める。これが人の常、世の常である。

しかし三島由紀夫は日本の国の形のあるべき姿を強く追い求めた。日本国民の自覚を促して平和ボケしている国民の目をさまさせようとした。そこで彼は国民に最もインパクトを与えるため陸上自衛隊東部方面総監室で武士の作法に従う手順で切腹し、介錯を受けた。彼は自分が生きている間に目的を達成しようとは思わなかった。彼こそは現代に生きる真の武士であった。彼の理念や精神は決して風化することなく永遠に伝えられるであろう。

三島由紀夫の檄文について部分的にせよ全体的にせよ同感する者は非常に多いであろう。男もそのうちの一人である。男は自分の余生の役割の一つとして、この愛する日本の国のため、老骨ながら自分にできることを憶することなくやって行こうと思っている。

2010年8月8日日曜日

炎熱の夏も(20100808)

 炎熱の夏も8月10日を過ぎる頃峠を越えたと感じるようになる。夕刻になると家の中は風が吹き抜け、エアコンは要らないようになる。

 昨夜は窓を全開にして就寝した。風が吹き抜け肌寒いほどであった。しかし風が通らないところではすぐ暑く感じる。風が吹き抜ければ体内の熱をその風が奪って行くので涼しく感じるのである。

 男はようやく自分の家の由緒書の重要な部分を書き上げた。これが完成するとA4判、1行40字1ページ36行で50ページ近くになる大作とある。男は遺されていた系図の一部をもとに、膨大な史料を調査し、想像を逞しくしていろいろな可能性を検討しながら、何度も何度も修正してようやく完成するところまでこぎつけた。ここまで来るのに5年かかった。

 来週、従兄の家の初盆にお参りする。そのとき男は久しぶりに従兄弟・従姉妹たちに会う。そのとき彼らにこのたび書き上げたわが家の由緒書の重要な部分を渡す。この書には男が子供のころのことを書いてある。今齢70を超えている従兄・従姉とは男が子供の頃の思い出がある。彼らの母親・男の叔母たちは既にこの世にはいない。叔母たちの兄であった男の父親はもうとっくにこの世にはいない。

 男はいはば宗家の跡取りのような立場である。故あって父親が家督を継ぐことを放棄したので、先祖の墓守は男系ではつながらない親類が行っている。男には直系の孫息子が一人いるほか、男系ではあるが養子に行ったため名字が違う親類の息子が一人いる。わが家の男系の遺伝子はその二人が最終である。その先のことは彼らに男の子が出来たときである。

 彼らが由緒書をどう扱うかということについては、男は全く執着しない。ただ、男は自分の先祖のことを伝えるのは自分の人生の大事な仕事であると思っているだけである。誰がどう思おうと男にとってはどうでも良いことなのである。後世、男の子孫がそれを読み、何かを感じて身を正し、人生を真剣に生きてくれさえすればそれで良いのである。

 三島由紀夫は日本国民に強烈なメッセージを遺した。インターネットには陸上自衛隊東部方面総監室で自決した現場の写真や三島由紀夫の生首などが公開されている。檄文の全文も公開されている。檄文を読むと今の日本の現状は三島由紀夫が憂えていたとおりである。その時と今と何も変わっていない。男は明日のブログにそのことを書くつもりである。理由は、そのことも子や孫に伝えたいし、このブログを読んでくれる人にも伝えたいからである。それが今、ど受け止められようと男にとってはどうでもよいことである。

 2日ばかり窓から川を眺めるだけで川の周りの散歩をしていない。夕方の5時頃になると気温も下がり、日照りもそうきつくはない。男はそろそろ出かける支度をして散歩かたがた女房の注文に応じてうなぎの蒲焼を買ってこようと思う。暑い夏はうなぎが一番である。奈良の昔も歌に、痩せた男にうなぎを食べることを勧めているものがある。大伴家持が作った歌である。

石 麻呂に 吾れもの申す夏痩せに よしといふものぞ 鰻とり食(め)せ

2010年8月7日土曜日

財政再建(20100807)


 毎朝よく観るテレビ番組は、NHKニュースや気象情報などのほか、テレビ朝日のスーパーモーニングである。夕方・夜はNHKのクローズアップ現代やNHKスペシャルなどである。これらの番組は男と女房が共通に関心をもっている番組で、いつも二人で観ていて、後であれこれ意見を交わしている。

 今朝広島で原爆記念式典が行われ、今回初めて我が国に2発もの原子爆弾を投下し、20数万人を一瞬のうちに死なせたアメリカを代表してルース駐日大使が出席した。オバマ大統領がアメリカ国内の保守派の気持ちを探ろうとして決定したことである。

 従来のアメリカの主張は原子爆弾の投下によって、それを実行しなければさらに多くの人命が失われたに違いないというものである。その本音は自国の兵士の犠牲者を局限したいというものであったに違いない。つまり敵国・日本の非戦闘員が何十万人犠牲になろうとそれはかまわなかったのである。

 男は、それは当り前の考え方であったと思う。もし、日本がアメリカに勝る力を持っていてアメリカと戦っていれば、日本も同様な考え方をしていたであろう。ただ、犠牲者名簿を納める場所に「あやまちは決して繰り返しません」と石に刻まれていることについては、疑問がある。誰があやまちをおこしたのか?当事国双方が反省すべきことではないのか?戦後の日本人の自虐的、卑下的観念がその言葉に端的に表れているように男は思う。

 記念式典に菅総理も出席した。原爆被害者の認定基準を見直す考え方を表明した。あの日投下された原爆のきのこ雲の高さや広がりは従来の認識とは相当かけ離れ、相当巨大なものであったことが残された資料をもとに検証した結果明らかになった。

 テレ朝のスーパーモーニングで消費税を上げるのがよいのか貯蓄税を新設するのがよいのか分かりやすく説明されていた。あれこれ議論をしていたずらに歳月を費やすよりも、先ずは試行してみる考え方が重要であると言うことも説明されていた。提案者はクレディ・スイス証券チーフエコノミストの白川浩道氏である。男も女房も彼の識見に大変感心した。

 財政再建の方策については政党の垣根を越えて、各界識者の意見を聞き、採るべき方策は何か、その方策の実行要領は何か、早急に決めてもらいたいと思う。今の危機的な状況はある意味では‘戦時下’のようなものである。各政党は決して党利党略を弄してはならない。‘戦時下’の今こそ、指揮官と幕僚の必死な努力が期待されるのである。

 自衛隊(‘軍隊’)の幹部(‘将校’)経験の全くない人たちが、今この国を動かしている。指揮官はどうあるべきか、幕僚はどうあるべきか、状況判断や幕僚の活動はどうあるべきかなど全く知らない人たちでも、自ら‘軍隊’という組織について学ぶ気があれば、この国は変わる。国を動かす人たちがたとえ無意識にでも自虐的精神をもっている限り、この国は変わらない。戦後65年間の状況を引きずったまま子や孫の時代に入り、この国は絶望的に小国に転落してしまうだろう。

 若者よ、奮起せよ! サムライになれ! 女たちよ、草食男子どもを鍛え直せ! 

2010年8月6日金曜日

原爆投下による殺りく(20100806)


また原爆記念日がやってくる。ヒロシマは8月6日、ナガサキは8月9日である。

アメリカ軍と頑強に戦っていた日本軍はようやく沈黙の状態に入った。一方サイパン島、テニアン島、硫黄島、沖縄などで日本軍は玉砕した。

日米両国の壮絶な殺し合いの結果、ヒロシマでは人口35万人(推定)中、約14万人が死亡、ナガサキでは人口24万人(推定)中、約7万4千人が死亡。(出典:『ウイキペディア』)生存者中非常に多数が原爆後遺症発症。

玉砕(ぎょくさい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)において、外地で日本軍守備隊が全滅した場合、大本営発表でしばしば用いられた語である。

玉砕はアッツ島、ペリリュー島などでもあったが、沖縄では戦死者・行方不明者94,136名、民間人死者94,000名、アメリカ軍戦死者・行方不明者12,520名。硫黄島では日本軍戦死者20,29名、捕虜1,023名、アメリカ軍戦死者6,821名、戦傷者21,865名。サイパン島では日本軍戦死者25,000名、自決5,000名、捕虜921名、アメリカ軍戦死者3,500名、戦傷者13,160名。テニアン島では日本軍戦死者8,010名、捕虜313名、アメリカ軍戦死者328名、戦傷者1,571名。グアム島では日本軍戦死者18,000人、戦傷者485人、アメリカ軍戦死者3,000名、戦傷者7,122名であった。(出典:『ウイキペディア』)

特攻隊戦死者は合計6,271名、内士官475名、予備士官1,149名である。(出典:『ウイキペディア』)われわれ日本人の死者が圧倒的に多い。世界に類例がない。

これらの尊い命が失われたことを今の日本人は決して忘れてはならない。「大量殺りく」という言葉を使うならば、ヒロシマやナガサキに対する原爆投下はそれ以外の何物でもない。

ナガサキへの原爆投下でキリスト教徒が多い長崎への原爆投下は、当時の爆撃機搭乗者の証言によれば投下目標は市の中心から3km外した場所だったということであるが、天候不良によりその場所への投下ができず、市の中心部に落としてしまったということである。

戦後アメリカは原爆投下により2人のキリスト教神父、850人のキリスト教徒を殺し、聖母マリヤ像・天主堂などを破壊してしまったことを悔やみ、長崎から原爆投下の痕跡を消し去ることを欲し、当時の長崎市長らに働き掛けて浦上天主堂や聖母マリヤ像など原爆で破壊された一切の痕跡を消し去ることに成功した。

当時訪米した長崎市長はアメリカ各地で大歓迎を受け、長崎はアメリカのセントポール市との間で姉妹都市関係を結び、アメリカがキリスト教徒の多い長崎に原爆を投下したという事実は世界中に宣伝されることがなくなった。その一方で広島の名前は世界中の人たちに良く知られている。

戦勝国により‘精神’の面で弱体化させられてしまった日本は、アメリカの核の傘に頼り、韓国軍による竹島の占領に指をくわえて見ており、ロシアによる北方四島の占領・自国領土化政策促進に顔をしかめるだけである。そして自虐的史観にとりつかれている

日本が再び強くなる道は、憲法改正、国軍創設、科学技術力世界一化の三つにある!

2010年8月5日木曜日

勢いづいている怨霊たち(20100805)


明治以降大東亜戦争の敗戦までの日本の歴史を否定したい連中は、勝海舟が日清戦争に反対であったという話を持ち出して、なんとかして「近代の日本の進路は間違っていた」という自虐的な思想の維持を図ろうとする。

菅政権は韓国哨戒艦の事件があったので防衛白書の刷り直しをするためだとして、発表を遅らせた。刷り直しても毎年触れている「竹島はわが国固有の領土である」という記述は例年どおりとするのか、という自民党林議員の質問に対して、菅総理はまともに答えない。喜ぶのは誰か?民主党国会議員の中にはそれを喜ぶ連中が多数いるようである。

民主党代表選で小沢氏或いは親小沢氏グループの誰かが立候補するようである。その代表選の投票に在日韓国・朝鮮人の民主党員が参加することは民主党規約にある。

日清戦争の原因について、当時の世界情勢も考えず、日本が置かれている地政学的状況も考えず、日本が勝手に朝鮮半島に進出したという強く主張したい連中がいる。

当時の清国の状況はどうであったか?清国の軍人たちはどうであったか?日本と清国が手を組めばロシアの南下を防げたのか?それには目を向けず、好んで自虐的になっている。

古代、隋や唐(当時の中国)は朝鮮半島の統一国家を恐れた。高句麗を恐れ、新羅を恐れた。今の中国でも朝鮮半島が統一された国になることを恐れている筈である。日清戦争はロシアの南下によって對馬など半島に近接するわが国の領土が侵されることを防ぐためでもあったのだ。古来、大陸と我が国の緊張関係は続いている。

自尊感情という遺伝子が無くならない限り、その緊張関係は無くならないだろう。しかし文化、経済、軍事、愛国心教育等あらゆる面で相互の交流が深化させることにより、お互いの心の垣根をできるだけ低くすることはできる。お互い不幸な事態にならないように、政府のレベルであらゆる知恵を振り絞って、その心の垣根を低くするような努力を真剣に行わなければならない。今の政府にそのような積極的な意識はあるのか?

男は、この国にはいろいろな怨霊が活動しているように思う。時の権力により抹殺された人たちの怨霊、最下層の民として虐げられ続け、‘モノ’同様に扱われた民、それには古代に奴婢として王の死に際し殉死させられた民も含む、またキリシタン殉教者、先の大戦において戦死扱いされたが実は無謀な命令により死ぬしかなかった兵隊たち、夫や父や子を戦争で失った家族、かつて日本人として扱われ日本の敗戦でこの国に残った朝鮮半島の人たちの死者、などなどの怨霊たちが、今勢いを得て盛んに活動しているように思う。

白鵬に天皇陛下からお言葉があった。白鵬は陛下のお言葉に大変感激した。白鵬の奥さんは日本人である。しかし白鵬自身はモンゴル人である。その白鵬を感激させたのは、天皇陛下の万民を愛するお気持ちである。古来天皇は民の幸せを願い、祈り続けてこられた。今上陛下も東宮もテレビで時折紹介されるがその生活は大変質素である。諸外国の王家や富豪のように金きらきんの家に住み、金きらきんの家具を使ってはおられない。今の日本の怨霊たちを癒すことが出来るお方は天皇陛下しかいないと男は思う。

2010年8月4日水曜日

雑感 (20100804)


昨日に続き雑感を記す。

  テレビ朝日で水上温泉が今、外国人により観光開発されている様子が紹介されていた。高校生活を日本で送ったあるアメリカ人はそのまま日本に住みつき、水上の渓谷の素晴らしさに目をつけ、そこでキャニオンリングという沢下りのスポーツを編み出した。ロープに支えられて急流を下ったり、滝を落ちたり、緩やかとはいってもかなり早い流れの中を頭から突っ込んで滑ったりする遊びである。外国人が多く訪れているという。もう一つはそのような外国人観光客に目をつけてあるオーストラリア人は旅館を経営している。日本の老舗旅館も外国人の従業員を雇い入れ外国からの観光客を集めている。

 会社の団体旅行が減って水上温泉は近年さびれて来ていたが、外国人の発想で活気を取り戻しつつある。そのうち日本の若者たちも水上でキャニオニングを楽しむようになるだろう。費用は1万円位で1日楽しめる。

 男は前に知識を得た「新しもの好き」の遺伝子のことを思い出した。その遺伝子は日本人には10%以下であるが、アメリカ人には50%あるという。わざわざ千葉の田舎や四国の田舎に暮らすアメリカ人やオーストラリア人、アングロサクソン系の人たちは人里離れた辺鄙なところでも平気で暮らす。日本人、特に女性は、人が多いところ、便利なところに肩寄せ合って暮らすことを好む。集団の中にいることを好む。従い、言いたいことがあっても和を乱さないように心がけ、口に出すことはあまりしない。そのくせ蔭ではこそこそ噂話をすることを好む。表情に乏しく、話すときは口ごもるように話す。

 日本人、特に男性には口を尖がらせている人が多い。初対面のとき気軽に笑顔で「ハーイ」と手を上げながら接するようなことはしない。男はアメリカ西海岸で暮らしていた時よく経験したが、誰でも道をすれ違う時笑顔で「ハーイ」と言っていた。これはある意味で「あなたに敵意はないです」という意思表示でもあったと思う。

 日本人は皆家族のように、心の奥では無意識に思っているから、そのようなことをする必要はなかった。アングロサクソン系の人たちは、そのような日本人の中に飛び込んでみるととても気持ちが落ち着くのかもしれない。日本人は皆親切だから・・・。

 ところが、身内の間でいろいろな事件が起きている。生きていれば111歳の人が30年以上家族と同じ屋根の下に置かれていた。113歳の母は生死不明であるが、79歳になる子供は音信不通のままその母のため税金等を払い続けていた。23歳の母親は二人の子供の養育を放棄し、死なせてしまったが周囲にはその子供たちを可愛がっているように見せかけていた。その他子供への虐待死は連日のように報道されている。

 日本人の精神状態はどこかおかしくなってきている。何が原因か。天皇への敬意が薄れ、靖国神社に祀られている人たちへの感謝の思いが薄れ、武士道精神や教育勅語はとんでもないと考える風潮が出、仏教が人々の心を癒していない状況などが原因ではないのか?

 つまり、日本人は、日本人としての心の支えをなくしてしまったからではないのか?

2010年8月3日火曜日

雑感 (20100803)

 夕刻になると涼しくなる。昨日もそうだった。昨夜は横浜で花火大会があった。花火を観に行くには絶好の気象状況であったが、それが行われることにあまり関心が無かったため観に行くチャンスを失した。もう何年も前のことである。女房は男とけんかしたため一人で横浜の花火を観に行った。そごうデパートのレストランから良く見えたという。そんなことがあったので今度は必ず二人で観に行こうと思っていたが、家の由緒に関することを整理して記述しておこうとその作業に集中していて、花火のことはすっかり忘れていた。

 女房は別に花火を観に行きたいとは思っていなかったという。男は「俺が行きたかったんだ。もうこれからだと遅すぎるね。」と残念がった。今年は毎月のように九州の田舎に帰っていて、しかも例年になく猛暑で、花火を観ることに気持ちが集中していなかった。来年こそは必ず二人で花火を観に行こうと思う。

 昨日は由緒書の記述作業に集中していて散歩もしなかった。今日は女房が自分のウオーキングシューズを買いたいと言うので大型のスポーツ用品専門店に行った。女房が気に入った靴があり、それを買って帰ってきた。歩数4000歩ほどであった。

 女房の方は近くのフィットネスクラブで運動をしたついでにその店に行ったので8000歩であった。そのフィットネスクラブでは毎月筋肉量や体脂肪などを測定している。最近女房は生き生きしていて体も引き締まってきているように見える。測定結果はかなり良かったらしい。「スタッフのかたからびっくりしたように言われたわ」と喜んでいる。

 今女房は男が好物のハンバーグを作っている。女房の手作りのハンバーグは最高である。女房が作る手巻き寿司ご飯も美味いが、ハンバーグもとても美味い。新聞販売店から新ビール(発泡酒)を6本入りを3パックももらったのでそれを飲みながら女房が作ったハンバーグを食べる。男はアルコールで赤くなるので、程々にしないとがんを誘発しかねないと用心している。

 このところもう数カ月も牛乳の代わりに豆乳、牛乳ヨーグルトの代わりに特定健康保健食品の豆乳ヨーグルトを食べている。卵も一日に1個以下、野菜を豊富に、脂肪分は少なめに、揚げ物に使う油はコレステロールを下げるものを使用している。男は女房が作った食事を食べさえすれば健康管理は全く問題ないと思っている。二人とも睡眠は十分とっている。ストレスはためないようにしている。無理に、無茶に病気を作らないことである。

 かぜが吹き抜けて風鈴がちりんちりん鳴っている。この家は南北と東に窓がある。家の中を風が吹き抜けて涼しい。この家が涼しいのは北側の眼下に川があり、建物等があり見通せないが南側5kmぐらい先に海があり、周囲遮る構築物はないからである。

 夕食後BSで山本薩夫監督の『金環食』を観る。原作は石川達三の小説で九頭竜川ダム落札事件をモデルにしている。政官業の癒着問題を題材にしている。男はこの映像で世間の裏側がこんなものであろうと思う。「悪い奴ほどよく眠る」と言うが、金や名誉や物に執着するのは人の常である。しかし男はそのようなことには距離を置きたいと思っている。

2010年8月2日月曜日

日曜日 (20100802)


連日猛暑が続いている。岐阜、名古屋などは37度という。連日熱中症で倒れる人が多い。家の中にいても熱中症にやられている年寄りが多い。水分をこまめに取り、体温を上げ過ぎないようにしないといけない。

30年前に既にこと切れていたにもかかわらず生きていれば111歳になる老人の男性が家族が同居している一室で白骨化した状態で発見された。その老人は「生きたまま成仏するので絶対に部屋を開けるな」と厳命し、家族は逆らわずその命令に従い、30年間その部屋を開けなかったという。捜査員がその部屋に入ったときその部屋の中には埃が積もっていて、人が入った形跡はなかったという。

しかし30年間振り込まれ続けた年金(奥さんが教師をしていたらしく、その遺族年金)が相当額引き出されていたということで、家族は取り調べを受けている。

老人が息絶えた後、暫く死臭はしなかったのだろうか。世の中には奇妙な家族がいるものである。年金の不正受給者が結構多いらしい。その家族も意図的に年金の不正受給をしたのだろう。年金を引きだすことが出来るのは家族しかいないはずであるから・・。

中国やマレーシアなど6か国が領有権を主張する南沙諸島がある南シナ海で、中国はアメリカや東南アジア諸国連合(ASEAN)をけん制し、大規模な軍事演習を行った。平和ボケした日本人たちの気が付かないうちに、中国はあちこちで軍事力を誇示している。先般中国の艦隊は沖縄本島と宮古島の間を通過して日本の沖ノ鳥島近海で行動した。そればかりではなく警戒監視活動をしているわが駆逐艦(男は‘護衛艦’と言う呼称が気に入らない)にヘリコプターが急接近し上空からわが駆逐艦の写真を撮ったりしている。

その中国は北朝鮮にえらい気を使っている。7世紀初め頃唐が高句麗(今の北朝鮮から中国東北部の一帯)に気を使っていた状態と似ている。また7世紀の終り頃、大同江(今のピョンヤンの近くの川)以南の朝鮮半島を統一した新羅にも唐は気を使っていた状態とも似ている。唐は新羅と連合して百済を滅亡させ、さらに高句麗を滅ぼした。その時、倭(日本)は朝鮮半島における権益を守るためにも、また従来から親しい関係にある百済を援けるために出兵し、663年、白江村の戦いで大敗した。

唐は朝鮮半島を統一した新羅を攻めようとした。新羅は唐に対抗するため倭(日本)の協力を得ようとした。倭(日本)は東アジアの国際政治に介入することを避けた。唐は日本との交流(遣唐使派遣受け入れ)が白江村の戦後一時中断していたがその後復活させた。

平和ボケした日本人は、先の大戦で日本軍が中国や朝鮮半島に侵入したことが間違っていたと思いこまされ、自虐的になってしまっている。日本人がぼやっとしている間に、日本に不利な、危険な状況が作られつつある。この猛暑の日曜日(1日)に男は国を憂えている。

民主党は女性や高齢者や福祉サービスを受ける人たちや、半分以上は自己責任によりそのような状態に置かれている失業者たちの耳に快い言葉「国民の生活が第一」「元気な日本を復活させる」と宣伝するが、日本の安全保障や領土保全に無関心である。それでいいのか!

2010年8月1日日曜日

外国人に日本の首相を選ばせるのか!(20100801)

民主党の代表選挙では、民主党規約により「18歳以上の個人(在外邦人および在日の外国人を含む)」者による選挙が行われる。「在日の外国人を含む」とはとんでもないことだ!

この規約は2008年12月、当時の小沢一郎代表らが在日本大韓民国民団(韓国民団)幹部らと会い、国政選挙での支援を求めた際、韓国民団側の一人が「(民主党政権になれば)間接的に私が首相を選ぶ図式になる」と明言し、協力を約束したという。(読売新聞)

日本国民としてこのようなことは断じて許せない!小沢一郎氏は明らかに反国家的行動をしている。彼は選挙に勝ち、自分の勢力を拡大することだけが目的であって、日本と言う国の安全や平和のことについて全く考えていないとしか言いようがない。

今、在日の中国人はどんどん増え続けている。米韓軍事演習は北朝鮮に対し圧力をかけているように見える。しかしアメリカの本当の意図は北朝鮮の崩壊を狙っているものかもしれない。北朝鮮が崩壊する前、指揮権が米軍にある米韓は軍事行動を起こし、軍需産業で稼ぎ、崩壊後の北朝鮮で資源を確保し、日本だけが損をすることになるだろう。

もし北朝鮮が崩壊したらそれこそ何百万人という難民がわが国に押し寄せて来るだろう。民主党はその事態になれば党の規約を変更するとでもいうのか!

尖閣諸島や沖ノ鳥島の防衛、北方四島や竹島の奪還のためには‘友愛精神’だけでは駄目である。わが日本国も「自己保存」の力を強化しなければ事態は打開しないだろう。

一方、在日外国人に日本の国籍を取得して貰えばよい、と単純に考えると必ず問題が起きるだろう。日本の国籍を認めるには「宣誓式」を行って、日本国憲法の順守、天皇陛下への敬意、国歌・国旗の尊重、国歌斉唱の上国籍を付与するという手続きを踏む必要が絶対ある。アメリカでも韓国でも帰化のとき国歌斉唱を義務付けているという。

南アで行われたサッカーワールドカップで、田中 マルクス闘莉王は、自ら仲間の選手たちに呼びかけて日本国歌が演奏されたとき肩を組み合い、「君が代」を大声で歌っていたではないか!彼は日本に帰化し、日本人以上の日本人、サムライになったのだ。

恩師大鵬親方を乗り越え優勝したモンゴル人の白鵬は、相撲協会の野球とばく事件の影響で天皇賜杯を貰えなかったにもかかわらず、「君が代」を歌い、「日本の国技を守る」という言葉を口にしたではないか!大変立派である。

民主党員の中には愛国心が旺盛な人たちもいるであろう。しかし、日本人は「長いものにまかれる」性質がある。彼らの中には直接声を出さす、行動もしない人たちも多いだろう。そういう日本人の気質を見越して小沢一郎氏らは腹黒く立ち回っているように見える。

マスコミもノー天気である。朝日新聞やテレビ朝日などは民主党寄りの言動をし、国民に真実を知らせようとはしないだろう。男は昨日も言ったように、皆「自己保存」的言動をするものである。右翼団体も組織である以上「自己保存」の言動をする。こういう状況に警告を発し一般庶民の意識を目覚めさせるには、心ある人々が個々にネットワークという‘組織’の中で発言するしかないのだと思う。

2010年7月31日土曜日

自己保存(20100731)

  あらゆる生物は自己を保存しようとする。あらゆる生物は自己の種が存続するように進化を遂げてきた。そしてなおかつ進化を続けている。

 人も同じあり、人の組織も同じである。人はある組織の一員になると、その組織で多少の恩恵を受ける限り、その組織を存続させるように行動する。

 行政改革がなかなか進まないのは、行政のそれぞれの組織の一員として、それぞれ自分が所属している組織を守ろうとするからである。国の省庁では、官僚は自分が所属している省庁の利益を第一優先に考えるのは自然の理である。官僚は「国の為」という大義は掲げ、その大義の為としながらも、巧みに自分が所属している省庁の為行動しようとする。

 省庁の利益を抑え、国の利益に資源を配分することができるのは国会議員である。しかし国会議員たちが国の為十分な識見を持っていないと、結局官僚の頭脳と組織力に太刀打ちできない。公然と「官僚たたき」と発言して得意になっていた国会議員たちはお粗末この上無い。マスコミはそのような国会議員たちを批判する能力がなく、大衆に迎合し、利益を得ようとする。マスコミも結局は一つの‘組織’である。自己保存の行動をする。

 古来、天皇は国の為ある時期は自ら政治を行い、武士の時代には武士の組織に利用されながらも常に大局を観、国を正しい方向に導いてこられた。勿論その陰には天皇を補佐する貴族たちがいた。わが日本国には世界に類例のない万世一系の天皇制が2000年以上続いてきたのである。誰がなんと言おうと歴史書に書かれていることは尊重すべきである!

 明治時代、日本軍が朝鮮半島への南下をたくらむロシアを排除するため清国(当時の中国)と戦ったのが日清戦争である。その後日本軍は中国を食い物にしようとしたロシアやドイツとも戦った。そして勝った。この史実を歪曲して、日本が中国本土や朝鮮半島に侵略を企てたと主張する‘国賊’がいる。似非‘インテリ’がいる。皆軽薄、大馬鹿どもである!

 日清戦争が始まろうとするとき、明治天皇は歌を一首詠まれた。それは;

  四方(よも)の海(うみ) みなはらからとおもふ世に 

                     なぞ波風(なみかぜ)の たちさわぐらむ

というものである。

 「はらから」は同胞のことで、その意味は同じ母から生まれた子供のことである。

 天皇は、いつの世にも万民の幸せを祈ってこられた。今上天皇陛下も宮中で毎日その祈りの行事を続けておられる。日本国民にとってこんな有難いことはないのだ!

 その有難さに気付かない輩が余りにも多すぎる。男は再三再四言うが、その責任は男を含む60代以上の年寄りにある。皆「教えざる」の罪がある。

 さて、自己保存であるが、民主党大会で小沢グループの者たちが声を張り上げ、執行部の責任を問うたのも、彼らの自己保存の行動である。自己保存力の強いものが勝つ。

 世界中であらゆる組織はそれぞれ自己保存の行動をしている。それは自然の理である。日本人は‘かれら’に魂を抜かれ、自己保存の行動が乏しくなってしまっている!

2010年7月30日金曜日

伝統工芸から生まれた新技術(20100730)


NHKテレビで紹介されていたが京都の伝統工芸の美しい絵模様が入った陶器を作る時の技法を応用してセラミックコンデンサーを開発したある企業が世界一のシェアを誇っているということである。これは初め1000度の温度でセラミックのコアを作り、次にこのコアに金属が溶解しない低い温度で金属を接着して電子回路に多く使われているコンデンサーを作るのである。日本人の伝統工芸の技術と器用さがなければこの製品は完成しなかった。

また、細い線の型紙を作る技術も電子回路の導線を掘る技術に応用されている。組みひもの技術は炭素繊維の組み合わせ方で柔軟度がいろいろ違う素材を作り、堅いものは重量が極欄に軽くても金属以上のものが出来ている。このような素材は端的な例ではゴルフの棒に応用されている。自動車メーカーは衝突事故対処のため、その素材をドアの構造に応用しようと考えている。

京都工芸繊維大学では、日本の伝統工芸における匠の技を科学的に分析し、匠の技を学ぶ若い弟子たちが容易に匠の技を習得できるように研究している。その一方で、伝統工芸が新しいテクノロジーとして応用できないか研究している。

男は「やはり京都だ」と膝を叩く。平安時代400年間の重みを感じる。奈良の都、飛鳥の地、難波の大阪、日本の再生は関西からである。関西人に期待したい。

平成維新だとか、革命だとか、体の好い言葉で改革だとか叫んだ連中は大バカ者である。彼らは明治維新の志士ちとは大違いである。彼らには学歴はあっても教養がない。

明治維新の志士たちには‘武士道’という精神があった。‘勤皇’という筋が一本通った魂があった。日本の伝統や文化を重んじ、‘和魂洋才’の気概で富国強兵を推進した。学歴はなくても教養が高かった。

明治維新の志士たちは、何よりも腰に刀を差していた。日本刀は武士の魂であった。戦前、将校たちは刀を腰に下げていた。戦後、そのような日本の精神は、アメリカにより徹底的に破壊されてしまった。日本の男たちは外見は‘男’でも、中身は‘女’のようである。しかし、サッカーの選手たちは違う。彼らは日の丸を背負って戦った侍である。

古い歴史がある日本では、戦争に負けても伝統や文化や工芸が脈々として受け継がれてきた。しかし戦後急激な価値観の変化により日本の伝統や文化や工芸や歴史を軽んじてきた世代、概ね60代から70代の世代の人間が各方面のリーダーになっている。

天皇を軽んじる某政治家たちは中国に色目を使い、パフォーマンスを行い、この日本を危険な状態に陥れた。沖縄本島と宮古島の間の狭い幅の‘公海’を中国の潜水艦などが堂々と通過した。そればかりではなく、監視していたわが護衛艦に中国海軍のヘリコプターが急接近しカメラで護衛艦を撮影した。

こう言うと男は‘右翼’のメンバーのように見えるだろう。しかし違う。男は、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で、総監の前で割腹自殺を図った三島由紀夫を思い出す。今、日本人は改めて三島由紀夫の‘檄文’を読むべきであると思う。

2010年7月29日木曜日

ナンバーワン(20100729)


先般の参議院選挙で与党も野党も似たようなキャッチフレーズを掲げた。与党のキャッチフレーズは「強い経済」、野党は「ナンバーワン」であった。何れも自信を失いかけている日本国民の士気を鼓舞するものである。しかし、国民はあまり踊らなかった。

明治時代、日本国民は列強に伍し、列強を追い抜いて世界に冠たる日本国を築き上げる為、強い政府の指導のもと国民一丸となって頑張った。そのとき指導者が共通して持っていた精神があった。その精神は武士道の精神であり、華道・茶道・武道等‘道’の付く精神であった。維新時一時破壊された神社仏閣や貴族が遺したものも復活された。何よりも先ず天皇が国民統合の中心になり、教育勅語も発布され、国は貧しく人々の暮らしも貧しかったが、国の背骨となる強い軍隊を築き上げた。国を一人の武士に例えれば、軍隊は、武士の魂である刀のようなものである。

今の日本人は戦後アメリカの政策により魂を抜かれてしまっている。‘闇の組織’は日本という国の根底にある日本人の精神構造を破壊するためWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)の後ろで糸を引き、目的を達成した。

そのお先棒を担いだのが某名門大学の元某教授であり、手足となって動いたのが日教組の連中である。共産党員も旧社会党員も同じ手合いである。かれらは口元も上手に嘘から嘘を並べ立て、日本人を骨抜きの国民にするためあらゆる活動をしてきた。男はかつて市ヶ谷基地にいた頃、制服姿で国鉄の四谷駅で切符を買おうとしたとき、駅員からあからさまに「税金泥棒」とののしられたことがあった。その時の悔しさは今でも忘れられない。

本屋の店頭に、公然と古代の日本の‘倭国’や‘卑弥呼’は日本列島に存在していなかったというようなことを、あれこれいかにも尤もらしい‘学説’を掲げて説明している本や、古代の日本の歴史を根底から覆すようなことを書いている本が並べられている。著者は某国の‘学者’や日本人の名前であるがその先祖は日本人であると疑いたくなるような‘歴史研究家’たちである。彼らは皆‘本を売って稼ごう’とする輩である。多くの、他人の意見や風評に影響されやすい一般大衆が、喜んでそれらの本を買って行く。

男は若い人たちに訴えたい。親たちや先生たちから教えられなかったかもしれないが、この日本の国に生まれ、その血の中に古代から脈々として受け継いでいる日本人としての血を今一度思って欲しいと。そして日本の歴史や日本の精神文化について、真剣に学んで欲しいと。また、だらしない頭髪や服装を止め、‘サムライ’になるため武道の一つや二つを身につけてほしいと。

21世紀以降は君たちが主役である。昨今の政変でもはっきりしているとおり、60代、70代の政治家たちは硬骨漢のような精神がない、まるでナマコのような連中である。彼らにこの日本の運命を任せていては、若い君たちが大損をするのだ。

と、73歳になる男が腹の底から願望して、叫んでも聴きとられないような空しい思いはあるが、叫ばないよりは益しだと叫んでいるのである。

2010年7月28日水曜日

民族感情 (20100728)


日本人は深層心理的に他国の民を見下しているであろうか?その感情は全く無いと言えるであろうか?逆に大陸の人々(中国人、韓国人、北朝鮮人)が、日本人を深層心理的に見下していないだろうか?少なくとも男自身は、彼らは日本人を深層心理的に見下していると思っている。中国人はよく「中国4000年の歴史」と口にする。韓国・北朝鮮の人たちも日本に文化を伝えたのは自分たちであると思っていると思う。いわゆる中華思想である。

実際は日本人が自発的に、かつ取捨選択しながら大陸の文化を吸収したのであって、まるごと受け入れようとしたわけではない。そうして日本独自の文化、とりわけ精神文化を開花させたのである。そのことは事実が証明している。

なぜ、反日あるいは克日という感情が大陸側にあるのであろうか?男は、それは何も先の大戦で日本がロシアを排除すべく大陸に侵攻し、朝鮮半島を支配したというだけの理由によるものではないと考える。そのことを説明すべく、インターネットで公開されている「慶應義塾双生児研究」の記事を以下に引用し、考えていることを述べる。

<自尊感情(self-esteem)とは、「自己に対する評価感情で、自分自身を基本的に価値あるものとする感覚」で、「精神的健康や適応の基盤をなす」ものとされています(心理学辞典、1999)

『中高生双生児世帯を対象とした教育と社会意識に関する大規模調査』結果のご報告・・(途中省略)・・一卵性と二卵性のきょうだいの類似度がそもそもあまり高くなければ,きょうだいひとりひとりに独自の環境(きょうだいで共有されていない環境ですので「非共有環境」といいます。・・(途中省略)・・自尊感情では非共有環境の影響が大きく、加えて遺伝の影響と共有環境の影響の両方が存在することが考えられます。・・(以下省略)>

非居優環境、遺伝及び共有環境のそれぞれの影響の割合について示されているグラフから読み取ると非共有環境の影響の割合は約60%、遺伝の影響が約27%、共有環境の影響は約13%である。

男は、民族感情はその民族の人々個々の自尊感情の集合であると考える。自尊感情で遺伝と共有環境による影響が合わせて40%を占めている。朝鮮半島を含む大陸の人たちの反日・克日感情を和らげるには、日本の精神文化を彼らの間に広げるしかない。それは強制ではなく、経済活動を通じた互恵関係の中で自然に広げるしかない。そのためには、今の日本の若い人たちの間に、日本の精神文化をしっかりと身につけさせることが肝要である。

男はこれまで何度もこのブログに書いてきたが、今の60代、70代の人たちの親は敗戦による価値観の急変にとまどった世代である。その60代、70代の人たちの子供たちは今働き盛りの世代で、アメリカ的合理主義を叩きこまれている世代である。しかし、かつての日本にあった企業における家族主義への回帰の必要を感じつつある世代である。

男は今の働き盛りの世代以下の若い人たちが、自分たちのアイデンティティとして、日本の精神文化の良さを見直し、2000年の昔から脈々として受け継がれてきたものを大事にし、さらにそれを世界に広めてゆくように活動することを願っている。

2010年7月27日火曜日

土用の丑・うなぎ (20100727)

今日(26日)は土用の丑の日である。男は時々うなぎの蒲焼を買う店に行ってうなぎの蒲焼を2枚注文した。1枚1000円である。奥では普通職人が1名か2名でうなぎの蒲焼を作っているが、土用の丑の今日は4、5名で焼いている。店頭の女性店員も増強されている。

その店員の若い女性が「出来上がりは4、50分後になりますがいいですか?」というので男は即座に「いいですよ」と答えて店を出、近くの大型複合商業施設「横浜トレッサ」の書店に行って最近気になっていた『倭の正体』などをもう一度手にとって見た。

この本は以前よく目に着く所にある台上に並べられていたがそれは無く、その代わり本の名前は忘れたが確か菅沼某・中丸某両氏が書いたセンセーショナルな題名の本があった。男はその本を手に取ってみた。その本にはアメリカに本拠を置く「闇の組織」が日本と北朝鮮との接近を妨げているようなことが書かれている。また韓国の哨戒艦沈没事件は当時付近の海底にいたアメリカ海軍の潜水艦が同じアメリカ海軍の誤爆攻撃に自動的に反応した結果引き起こされた事件であるというようなことが書かれている。また中丸某氏は5次元の世界は愛に満ち溢れた世界であるというようなことをその本の中で言っている。

気になっていた『倭の正体』は書棚にあり、歴史研究家が書いた、確か題名は『日本人の正体』という本の近くにあった。男はその両方の本をそれぞれ手にとってページをめくって粗読みした。まあ、内容的には如何にも尤もらしいことが書かれている。しかし、馬鹿馬鹿しくて買ってまでして本気でその本を読む気にはなれない。

しかし元公安調査室調査部長であったという菅沼某氏が言っていることについては、男は大変関心をもっている。世界を彼が言っているように観ることも必要ではないかと思う。

うなぎの蒲焼が出来上がったので家に持ち帰り女房と一緒に食べる。うなぎは大きいがそれでも子供のうなぎでさる。うなぎの蒲焼の専門店で買ううなぎはやはり美味しい!

食べながらテレビを見ていると、日本の‘おもてなし’の心を旅行会社のツアーで泊ったことがある能登の和倉温泉の加賀屋が台湾に進出して広げようとしている様子や、宅配便のヤマトが中国で広めようとしている様子が報道されていた。

菅谷某氏は、北朝鮮は中華思想で日本を犬猫獣同様の国と見下しているという。男もそう思う。大陸は古来島国の日本を東戌(東の犬)と見下して来た。その思想はなかなか改まらないであろう。

しかし今、加賀屋やヤマト運輸が茶の湯を通じて培われてきた日本古来の‘和の精神’や‘おもてなしの心’を大陸側に広めて行こうとしている。日本の科学技術力、経済力、非常に大きな犠牲を払って戦争に負けた相手の戦勝国・アメリカから学んだ合理主義・実証主義を武器に、日本の精神文化を大陸にどんどん広めて行ったらよいのだ。そうすれば、彼らの深層心理・中華思想は徐々に改められて行くことだろう。これから何世紀もの時間がかかると思うが・・・。

2010年7月26日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(128) (20100726)

これからいろいろやっておかなければならぬことがある。

ひとつはわが家の遠い先祖に関することをA4用紙3枚程度にまとめ、印刷し。従兄弟・従姉妹たちに配ること。特に子供のときしか会っていない従弟でわが家と名字が違う者には傍系であるがわが家のY遺伝子が伝わっているので、彼には良く話しておかなければならない。来月お盆の時期に一部の従兄弟・従姉妹が顔を合わせる機会があるので、そのときがわが思いを実行するスタートの機会となる。

もう一つは男及び女房個別に、幼い時からの写真とともに生涯の主な写真と説明文を作り、コンピュータに保存しておくこと。これは男及び女房がいずれかの日あの世に逝ったとき、子たちが男及び女房の人生を見ることができるようにするためである。

女房は、自分の葬式はごく限られた身内だけで行うのがよいと希望している。男も同感である。その日が何年後か何十年後かわからないが、葬式に一切の見栄は望まない。その時、子や孫たちが、男が遺したコンピュータ内の資料を開いてどのように見るかということはどうでもよい。自分の一生の締めくくりをきちんとしておくことが男の作業の目的である。

このように目標を定めて、余生は天寿を全うするように大事に生きる。生きている間をできるだけ幸せで楽しい美しいものにするよう努力する。「一所懸命に生き、一所懸命に死ぬ」これが素晴らしい生き方であると男は思っている。

昨日(25日)は大分駅前から高速バスで約1時間で大分空港に着いた。途中美しい風景を眺めた。車中、女房はまだ若いころ帰郷時親代わりのようにしてくれた叔父叔母がいつも車で空港まで送ってくれて、いろいろ沢山の土産物を買ってくれて、飛行機の出発まで時間があるときは途中杵築の町に立ち寄ってくれて城などの観光見物をさせてくれたことを男に話してくれた。昨日その叔父叔母の孫が結婚式を挙げ、夕刻よりその披露宴が行われたのである。男と女房が自分たちの孫の結婚式まで生きているどうかはわからない。多分生きているだろう。しかし今3歳の孫のときはどうであろうか。

ブッダ「感興のことば」はそろそろ終章に近づく。今年1月23日から始めた『ブッダ「真理のことば」をまなぶ』に続き「感興のことば」も学んできた。この「ことば」は約2500年前釈尊が語られたことを記録したもので、その後仏教の教学が確立する大本になったものである。「真理のことば・感興のことば」の中でその仏教の教学に直接かかわることばについては、やや難しいのでこのブログではあまり取り上げなかった。この『「感興のことば」を学ぶ』を終えた後、教学に関する部分を学びながらブログを書き続けようと思う。

「まとめの句」:

(1)無常と(2)愛欲と(3)愛執と(4)はげみと(5)愛するものと・・・途中省略・・・(30)楽しみと(31)心と(32)修行僧と(33)バラモンと、―――これらの33であると伝えられている。正しく覚った人の説かれたこれらの章とまとめの句が終わった。

2010年7月25日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(127) (20100725)

 このブログ記事はホテルの部屋でLANに接続して送信(公開)操作をしていたのであるが、横浜に戻ってページを開けてみるとまだ下書きのままになっていた。

 結婚披露宴は出席者120名余りで盛大だった。男はいきなりであったが主賓に続き祝辞ということで準備なく挨拶に立った。若い二人へのアドバイスということで電子顕微鏡では決して見えない‘遺伝子’のことを伝えた。二人のご両親、そしてご先祖から脈々として伝えられてきた誠に尊いもの、誠に美しいもの、それは意識して思わなければ気がつかないもの、それを是非見つけ出して、子々孫々に伝えるようにと話した。その後、祝吟を詠じた。今様は一緒に唱和なり手拍子なりをお願いしたが、一部手拍子を取ってくれている人たちが散見されたが、結局男の独吟、独り舞台となった。

 お酒で喉を潤してからと思っていたが、声も良く出て皆から称賛された。初め「上手くやれるかな」気がかりにしていた女房からも「声がよく響き渡って良かった」と褒められた。

 宴もたけなわとなるころ男は親戚のテーブルを回って皆の写真を撮ってあげた。これは横浜に帰ってから現像し写っている皆に送ってあげる。

 この披露宴が行われたホテルで今これを書いている。バッテリーも上がりそうなのでこれで終える。

75 バラモンにとってこれほどすぐれたことは、またと有り得ない。心を快楽から遠ざけるにつれて、かれの意(おもい)が退くにつれて、苦悩が静まる。

2010年7月24日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(126) (20100724)

 昨日は一日中大忙しだった。普段独り暮らしの老母ができないことをすべて行った。台所、風呂、洗面所の掃除、グリル周りの油汚れの除去などのクリーニング、部屋を全部空けて掃除機をかけ風を通す。寝具の取り換え、乾燥などなど。

 今日(24日)の披露宴に男は詩吟を披露するのでその準備(皆に配る二つ折りの詩文印刷したもの、詩文は筑前今様と絶句はレ点、一、ニ点付き漢文)、披露宴には行けない母に男の吟詠を聞かせてやった。

 来月また帰郷する。そのとき普段義理を欠いていた従兄弟・従姉妹たちの母の墓参りもする。初盆の予定など聞いて、宿の確保をする。来月は13日と15日それぞれ別の親戚の初盆であり、15日は女房と共通の親戚の初盆である。

 気温は38度を超す。今年の各地の夏の暑さは異常である。

 キムヨンヒ元死刑囚来日、拉致家族と軽井沢にある鳩山元首相別荘で面会。自民党などこれは「パフォーマンス」と大批判。しかし民主党は「パフォーマンス」は織り込み済み。物事には明暗両面あり、必ずしも批判は当たらないと思う。

74 太陽は昼にかがやき、月は夜に照らし、武士は鎧を着てかがやき、バラモンは瞑想に専念して輝く。

2010年7月23日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(125) (20100723)

 九州の田舎に帰省している。電源アダプターを忘れた。従い、バッテリーだけである。このブログも簡単に書く。

 明日一日、女房と一緒に老母の世話をし、明後日昼前の特急で大分に行く。結婚披露宴は4時からであるので少し早いが、田舎では人が交通機関に合わせて行動するしかない。披露宴が行われるホテルでは午後1時からチェックインできるので、早く着いてもその分ゆっくりできる。

 夕食はテーブルを囲んで焼き肉にした。いつも独りで食事をしている老母は久しぶり皆と一緒の食事でおいしかったという。

 女房が台所などで仕事をしている間、男はトイレの掃除をした。

55 つねにこだわりが無く、智をそなえ、疑惑を去り、ひとり歩み、遠くに行く人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月22日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(124) (20100722)

 昨日(20日)、近くの家電量販店に行ってプリンターを買った。昨年1月にその店で買ったキャノンMP-540が故障したのでMP-550に取り換えたのである。

 これまでのものは「電源を入れ直して下さい」とエラーが出るようになり、電源を入れ直せばうまく作動していたが、そのうちそのエラーメッセージが頻繁に出るようになり遂には電源を入れ直しても元に戻らなくなってしまった。

 メーカーに電話を入れ、担当者のアドバイスでいろいろやってみたが、結局修理が必要であるという結論になった。修理費は9450円で別に送料が1575円かかるという。補償期間中ならば修理費は無料であると言う。しかし補償期間は過ぎてしまっている。

 女房は、修理費が1万円もかかるなら新品を買った方がよいという。件の家電店に行って同じキャノンの製品を買うことにした。使っているインクは同じものが仕える機種の方が良い。たまたま今まで使っていたものより少し新しいものが12800円で売っていた。期間限定の特価だと宣伝している。たまたま在庫が1個残っていたのでそれを買った。

 コンピュータや周辺機器は男にとってなくてはならぬものである。実は明日九州に帰るが、それは親戚の結婚式に呼ばれ、是非祝吟をやって欲しいという。そこでいろいろ考えた末、桧垣賀陽の『結婚式』を吟じることにした。これには初めに筑前今様が入っている。男はその今様の部分は琴の音色で、絶句の方はシンセサイザーの音で楽器を弾きながら吟じることにした。これまで随分練習を重ねてきた。

 何故男が招待されたかというと、結婚の相手側で何か演目を出すらしく、それに対抗して男が詩吟をやることになったらしい。初めごく簡単にお祝いの言葉を述べ、若い二人に一言是非伝えたいことをのべ、そのあと今様は宴席の皆さんに唱和してもらうなり、手拍子を取ってもらうなりして場を盛り上げ、そのあと絶句を吟じる段取りである。

 今様と絶句を漢文で書いた筆書きに見えるフォントで、絶句には1行ごと簡単な解釈をつけたものをちょっと上等な紙に印刷して二つ折りにして、宴席の皆さんに配る。そのためプリンターがうまく作動しないと困る。そこでこのたびプリンターを買い替えたのである。

 早速印刷して二つ折りにしてみると美しい。新郎新婦も漢文の詩の意味を理解して一層嬉しく思うであろう。新郎側の演者として相手側に十分対抗できると思う。

 明日昼過ぎの飛行機で羽田から博多に向かう。今日は今までになく炎暑で室内でも35度になった。今日と言う今日はいまままでに無く暑く、熱中症にならないため大量の水分を摂った。楽器等を鞄にしない旅立ちの準備をするため、前もって吟詠の練習をした。音が近所にあまり大きく聞こえないように部屋を閉め切ってエアコンも無しの状態で30~40分練習した。汗はだらだら水が滴るように流れ出た。サウナに入っているよりエネルギーを消耗した。しかし意外と爽やかである。その間女房はフィットネスに行っていた。

50 牡牛のごとく雄々しく、気高く、竜・大仙人・勝利者・欲望の無い人・沐浴者・覚った人(ブッダ)、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月21日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(123) (20100721)


横浜陶芸センターは本牧公園の近くにある。三渓園の裏で戦前は海だったところである。

辺りは公園として整備されていて陶芸センターに行く道は産業道路や高架高速道路と並行していて3メートルほどの広さの歩道が間門小学校角から本牧公園に向けて一直線に長く続いている。間門から本牧公園に向かって左側には松林、右側には銀杏並木があり、道の両側には両側に四季折々とまではゆかないがシランなどの花をつける草木が良く配置されて植えられている。この道はいつ通っても心が癒される道である。

以前海岸線の白い断崖であった場所の下には池があり、黄色や白の小さな可愛い花をつける睡蓮が一面に広がっている。

男は毎週一回この陶芸センターに通っていて手びねりで楕円形の皿を作り続けている。この種の皿は多目的で使える便利な皿で、ある時はライスカラー、ある時はスパゲッティー、ある時はお惣菜いれに使う皿である。同じものをいろいろやっているが、なかなか気に入るものが出来ない。皿の形状、釉薬などで随分変わった感じになる。

しかし少し明るい見通しである。一番初めに手びねりの教室で作ったものが一番気に入っている。土は赤2号、微妙な曲線の形状、内側に蚊帳を置いて白化粧し、呉須で若干の景色を作り、釉薬はミックスとする。今後作るものはきっと気に入ったものが完成するはずである。詩吟で世話になっている女性にお礼のため贈呈しようと思っている。

陶芸の帰り住宅街を通る。10歳ぐらいの男の子が玄関に入るなり「お母~さん!」と呼んでいる。思えば男は10歳のとき母を亡くした。男の女房は3歳のとき父を亡くした。二人ともそれぞれ祖父母に育てられた。その二人が夫婦になってもう50年近くになる。

先日つかこうへい氏ががんで他界した。遺書に「恥のある人生だった」という旨の文があったという。考えてみれば男にも幾つかの恥があり、幾つかの危険もあった。
未熟ゆえに恥があることをし、危険なことをしたにもかかわらずこの齢になるまで無事過ごしてくることができたのは、矢張り先祖のお陰、亡き母のお陰であると固く信じている。男は人生の役目を確実に果たすべく、これまで生かされてきたのだ。「あの世」に行くまでには役目をきちんと果たし終えねばならぬと思う。

女房には一切の恥など無いし、用心深くて危険なことをしこともない。女房はまるで聖観世音菩薩のようである。女房のそのような面は理解されないことがある。女房は常に相手の立場に立って真心を尽くしている。今はそんなことは無くなったが、以前は若い人に女房の思いが伝わらず、ある意味では無視されたこともあった。そときでも女房は一言も言わなかった。言えば相手が傷つくと思っていたからである。

49 一切の束縛の絆(きずな)を超え、驚き怖れることが無く、執着なく、よく行きし人、覚った人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月20日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(122) (20100720)

 福岡の宗像にロボット製作会社テムサックという会社があって高本と言う方がその会社を立ち上げ、経営しておられる。遠地に実母の介護で帰省中の奥様(若くして他界)の希望で遠隔地で介護をされる方の様子を携帯電話の画面で確認することができる装置を開発し、ヒット商品になっているという。

 わが国のロボットの販売数は世界で7割を占めているという。介護用ロボットが公道に出る場合国土交通省、介護に関わる仕事をする場合は厚生労働省、電波を使う場合総務省と言う風に縦割り行政の規制があり、許認可が複雑で開発したロボットを市場に出すことができるまで5年や10年かかると言う。

 高本氏のロボットはデンマークから引き合いがあり、高本氏はわが国で規制が厳しいので工場をまるごとデンマークなどに移してしまおうかと考えているという。

 縦割り行政の利権に旧政権はしがみついていた。現政権ではどうか。行政改革でそのような利権構造が解消されることを国民は期待している。みんなの党の渡辺代表の覚悟に国民は期待している。

 男は名誉も地位も金も要らぬから高本氏のような人物のところで何か社会に役立つ仕事ができないかとふと思った。青春とは気持ちの持ちようで会って年齢ではないというようなことをサムエル・ウルマンと言う人が言った。チャレンジすればできないことはない。男はかつて会議福祉関係のNPO法人を立ち上げ、経営の基礎を作り、自らもホームヘルパーやガイドヘルパーの資格もとった。

 しかし、一方で社会に役立つ関わり方について考えた。今男がやっているようなインターネットを通じた関わりと男の子孫への‘体外遺伝子’の引き継ぎのための作業のため男は毎日ある程度の時間とエネルギーを割いている。加齢により免疫力も低下している。決して無理をしてはいけないと思う。

 人生には自分が出来ることと実際にその能力を行動に移すことができることがある。行動に移す優先順位がある。この世に生まれてきた役割がある。前途洋洋の、しかし先が見えないがチャレンジすることに意義がある若い時なら、まだ結婚もせず身軽な時なら失敗も恐れず何でもやれるであろう。その時期は遥か遠くに過ぎ去っている。

 子たちも立派に社会で活躍しており、家族に何一つ心配ごともなく、心豊かな日々を送っている。詩吟や陶芸で多少の創作の喜びもある。現代の先端科学を耳学問的に学びながら、お釈迦様の教えを少しでも広めるため自分にできる範囲の努力はしている。いずれ白骨となる時に向かっていろいろ準備をしている。望むらくは何れの日にか晴耕雨読の暮らしをしながら、自分の最期のときを迎えたいと願望している。

その願望は案外早く実現するかもしれない。

48 生きとし生ける者の死生のすべてを知り、執着なく、よく行きし人、覚った人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月19日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(121) (20100719)

身に‘光るもの’を飾ることができるほど豊かでないから身には‘光るもの’を飾らない。その代わり質素で清潔で見た感じが爽やかなものを身にまとい、体も清潔にし、爽やかな笑顔で人に接する。発する言葉も穏やかで人を傷つけない。

たとえ名門大学を出ていなくても、資産家や社会的地位の高い人の家に生まれていなくても、常に学び知性を高めることを怠らず、常に謙虚で出しゃばらず、しかし学んで得た知識を生かして常に自らを律して衣・食・住・暮らし全般にわたって正しい日常生活を送る。心に飢えが無く、心は渇いていないから、他に何かを求めようとはしない。行為の結果がよく見えているので敢えて煩わしいことになる元を造らない。

そのような人は真の‘貴族’である。友は類を以って集まる。心が渇いて淋しい人は、同じような人と交わり自らの心の飢えを癒そうとするが、真の‘貴族’は独りであることを楽しむ。時に遠方より友が来て、傍から見れば簡素な自宅で酒を酌み交わし、天下国家や花鳥風月のことなどを談じあい、時の流れのなかのひとときを過ごす。

国家により年金という多少の‘祿’を受け、それ以上のものは求めず、その‘祿’の範囲内で無駄を省き、質素堅実に暮らす。己を人に見せびらかすための物は買わず、人に自慢するための旅行もしない。偕老同穴夫婦二人だけで行けるところまで行く。その先はまた国家により管理された終の棲家で最期のときまでを過ごす。なんという幸せか!

この日本國で「格差拡大」「弱者の目線」とかマスコミを通じて言葉だけが先行している。本当にそうか?人それぞれの境遇には自己責任が全くないのか?その自己責任もその人の‘前世’に起因するものが全くないと言えるのか?親は、先祖はどうだったのか?

明治初期わが国で作られた新漢語の言葉が、わが国への留学生などを通じて中国・朝鮮・東南アジアの国々に広まった。「哲学」という用語もその一つである。中国人が知らずに使っている言葉の中にわが国で作られた新漢語が沢山使われている。そのことも知らず自虐的な日本人が多い。戦後の価値観が急変した世代に育てられた世代が今この国の指導者層に集中している。それより若い世代の人たちは彼らの考え方に疑問を感じている。

日本人は文化的先進国の隋や唐や宋に学びわが国独自の文化を作り上げてきた。その一つの表れが次の漢詩にある。戦国時代から江戸時代にかけて生きた冷泉家の出の儒学者・藤原惺窩の作である。題は『山居』という。昨年8月の吟詠のブログで公開している。

        青山高く聳(そび)ゆ白雲の辺   

        仄かに樵歌(しょうか)を聴いて世縁(せいえん)を忘る

   意足りて求めず糸竹の楽しみ 

   幽禽(ゆうきん)睡(ねむ)りは熟す碧巌(へきがん)の前

ブッダの次のことばにも「前世」いう言葉が出てくる。

47 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を確立した聖者、苦しみの終末を明らかに知った人、かれをわれは(バラモン)と呼ぶ。

2010年7月18日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(120) (20100718)


 梅雨が明けた。外は日差しが強く湿度も高い。わが家は周囲の窓を全開にすれば、周囲にわが家より高い構築物は無いので風は南に面した和室等の部屋から南から北に吹き抜ける。

 その和室の畳の上には藺草のござが敷き詰められている。一昨日近くのホームセンターで洗たく機の上部空間を有効利用できるように工夫されている組み立て式軽量ラックと一緒に買ってきたものである。

 このござは六帖敷きのものであるが非常に丁寧に造られていて品質が良い。折り目は縦に長く三つ折になっていて、折り目には化粧模様の布が縫い込んである。その縁が縦長であるので狭い部屋でも一層広く感じる。

 家の中を吹き抜ける風が心地よいのでその和室で昼寝をする。男は子供のころ夏の盛りに、当時の農家では習慣的であった昼寝の時間、風が吹き抜ける縁側で昼寝したときのことを思い出し、となりに寝そべっている女房に語りかけた。女房は自分が子供のころの経験を語る。「昼寝しているとアイスキャンデーを売りに来るおじさんがいてね、大きな入れ物をかかえて人数分のアイスキャンデーを買って、それに入れて持って帰ったわ、子供たちにはそのような楽しい思い出を沢山造ってあげたい」と言う。

 確かにこの都会地の子供たちはそのような楽しみが全くない。まだ小学校4、5年生ぐらいの女の子であった女房は昼寝の時間にアイスキャンデーを買うのが楽しみであったのだ。おじさんに大きな入れ物に人数分のアイスキャンデーを入れてもらって持ち帰り、家族皆で食べたことをこの齢になっても楽しく想い出されるので、子供にはできるだけ多くの楽しみを与えなければいけないと女房は言う。そのとおりだと思う。

 ちょっとうつらうつらして眼が覚める。女房が、昨日二男が手土産に持ってきたすももの冷やしたものを3個づつ皿に盛りもってくる。初め三つも食べられるかと思ったが、冷たいすももをかじると甘酸っぱい味と香りが口いっぱいに広がり、一挙に食べてしまった。

 子供の頃男の家にも女房の家にも庭先にすももの木があって、この時期それをもいで食べていた。当時それぞれの家の庭先には柿や枇杷や蜜柑などいろいろな果実が植えられていた。男の家には裏の竹藪の脇に肉桂(シナモン)の木があって、その根っこを切り取って手押しポンプでくみ上げる井戸水で洗って食べていた。そのような想い出は子たちにはさせることができなかった。その代わり子たちを川や海や山やプールなどに遊びによく連れていっていた。今同じようなことを子たちは自分の子供たちに経験させている。

 昨日、二男は自分たち夫婦の子育ての様子を語ってくれた。男は話を聞いて「よく育てている」思い、安心した。子たちが子供のころ、彼らは夕餉の食卓を囲み、先を争うように一日のできごとを母親である女房に語っていた。子育てで最も大事なことは親子の会話である。その習慣は子たちがまだ乳飲み子のころから母親である女房との間でできていた。

43 現世を望まず、来世をも望まず、欲求なくして、とらわれの無い人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月17日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(119) (20100717)

 今日(16日)は風があり風鈴も良く鳴り涼しげであるが、気温・湿度とも非常に高い。うだるような暑さである。梅雨明けのようである。これから数週間本当に炎暑の夏の本番である。女房は近くのフィットネスクラブでちょっと汗を流してきて元気であるが、男は少し疲労気味である。CO2が増えるがエアコンのスイッチを入れた。

 夕方大阪に住む二男が主張で東京にやってきて帰りに立ち寄るという。女房は夕食に手巻きずしを御馳走しようと昨日から行きつけの店に寿司のたねを注文してある。手巻きずしとしじみ貝汁がこの暑さには一番のご馳走である。

 夏と言えば土用のうなぎ、しかし大手のうなぎ流通業者が台湾産を国産と偽って販売したことがばれ大問題になっている。彼らは偽装して暴利を稼ごうとしたから責められるのであって、台湾産でも国産と変わらぬほど美味でありかつ安価であることを積極的に宣伝すればよかったのである。そのような正直さがないのがけしからん。

 小沢氏は第一検察審査会から4億円について陸山会かの小沢氏への返済について収支報告書小沢氏が全く知らなかったということについて不起訴不当処分が出された。松木某という小沢氏の子分はそれを非難し、また他の小沢グループの国会議員は「素人集団の検察審査会云々」と非難したという。非難した議員を皆実名で報道すればよいのに、何故名前を伏せるのか。検察は小沢氏から自白を引き出せなかったら小沢氏はその件について罪を問われないだろう。「秘書が、秘書が」で終わりである。一方小沢氏が陸山会に貸した4億円については第5審査会で審議中である。民主党は政治と金の問題を引きずったまま、徐々に支持率を下げている。衆院解散の方向に向かっている。

 お釈迦様が説かれたことと現代の自然観の関係について思索したものを公開しているブログ『現代の自然観と仏教』をBiglobeからOCNに載せかえようといろいろやって疲れた。男はもともとOCNの会員で光とADSL二つの会員になっている。Biglobeでも無料であるが、OCN会員の場合無料のサービスがある。暫く両方にアップロードし、OCNでブログについていろいろ習熟した後、OCNだけでやってゆこうと思う。

 二男は手土産に高級なさくらんぼとすももを持て来た。女房は二男が来たときに少し高級なくだものを一緒に食べようとさくらんぼとすももとブルーベリーを買ってきていた。二男もブルーベリーも買おうと思ったがそうしなかったと言う。たまたま母と息子の考えることが一致していた。母子考えることが全く同じだったのは子供のころからずっと一緒に暮らしてきたからだと二男は言う。

 二男と‘体外遺伝子’的なものについて語り合った。二男は男が70過ぎてITに相当上達していることを評価してくれていて、ブログに投稿した記事を本の形で遺しておくようにと言う。是非そのようにしようと思う。

33 知識が深く、聡明な英知に富み、種々の道に通達し、最高の目的を達した人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月16日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(118) (20100716)

男も女房もそのニュースには胸張り裂ける思いである。5歳のその女の子が可哀そうで可哀そうでならない。しかしそのニュースに接した非常に多くの人々は「またか」と思い、可哀そうには思うが関心度は低いに違いない。否、今の世の中がそのような情の薄い世の中になってしまっているのだと思う。

そのニュースとは、福岡県の久留米市で母子家庭の34歳の母親が5歳になる自分の子供・女の子を折檻し、遂には首を絞めて殺してしまった、しかもその折檻は電気洗濯機にその女の子を入れ、蓋を閉め、スイッチを入れて回したことが何度かあったほど残酷なものであった。世に鬼畜以下のような母親がいて度々ニュースになっているが、この母親も同じである。社会学上大きなテーマとすべき問題である。

イギリス、ロンドン大学のカスピ博士たちは、MAMO(モノアミノ酸という神経伝達物質を酸化して、機能させなくなる酵素)の遺伝子のはたらきが高い人と低い人で、虐待経験によって犯罪などの反社会的行動を引き起こすようになる程度が異なることを示した。

この遺伝子のはたらきの低い人では虐待経験が多い場合反社会的行動を起こしやすいが、そのはたらきの高い人にはそのような影響はほとんどない。遺伝的に環境に敏感な人が特に虐待の影響を受けて反社会的行動に走ってしまう傾向がある。つまり、遺伝的要素より本人の環境による影響が大きいと言うのである。(参考:『Newton別冊「知りたい!遺伝子のしくみ」』)

カスピ博士らの考え方に基づけば、件の母親は家庭を守ってくれる主人も居ず、自暴自棄になってしまうような環境にいたためそのような残虐な行動をしたということであろう。しかし、男は反論する。確かに環境の影響は大きいことは間違いないが、それが問題の原因のすべてではないのである。そのような環境に件の母親がいるという原因は、その母親の親、親族、その他の関係者との間の‘因縁’によることが大きいと男は思う。カスピ博士らは仏教の知識がない人たちであると思うから、‘因縁’ということを知らないと思う。

この‘因縁’は、件の母親が自らの問題を最善の方法で解決する能力を持っていなかったという根本原因である。その女の親から受けた遺伝子、親からうけた精神的なもの、周囲の者との関係など様々な要素が原因となって、‘因縁’となっているのである。

この‘因縁’を断ち切るためには自らのあらゆる執着を捨て去ることができるよう、ブッダにすがるしかない。ブッダに帰依しようとしている人々は自分の周囲にもしそのような女がいる場合はその女に声をかけ、その女の苦悩をすこしでも和らげてやる努力をしなければならない。そのようにすることはブッダに帰依しようとしている人々自身を救う道でもある。かく言う男も女房も例外ではない。もしもしそのような女がいれば、男も女房も必ずなにかの声をかけている。特に男はそういう‘おせっかい’をしたがる人間である。

27 すでにこの世において、自分の苦しみの滅びるのを明らかに知っていて、情欲を離れ、とらわれることの無い人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月15日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(117) (20100715)


男は「この世」と「あの世」について以下のように考えた。

お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。

子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。

遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。

このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。

現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない男がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。

例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与えるがそれは少ないものである。

一方「言語性知能」とか「学業成績」は約70%が遺伝によるものである。しかし、「言語性知能」ではその55%が特に親や周囲の指導如何により影響を受けるものである。つまり、生まれつきその知能が高くても、親や周囲の指導如何によりその知能を発揮できないのである。また「権威主義的伝統主義」についても約15%が同様である。

男はブログ「現代の自然観と仏教」に上記の思索について書こうと思う。

21 来るものを喜ばず、去るものを悲しまず、執着から脱している、戦場の勝利者、かれをわれは(バラモン)と呼ぶ。

2010年7月14日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(116) (20100714)

選挙は自民党が大勝し、民主党は大敗し、昨年自民党から離党した渡辺氏が立ち上げた「みんなの党」が大躍進した。衆参ねじれ状態が起こり、少数与党となりこの9月までの間に政界の再編が起きる可能性がある。衆議院解散もあり得る。庶民宰相菅氏は精一杯頑張ったが所詮庶民の出、幼少から大政治家になるための訓練を受けていなかったから仕方ない。明治維新も下士・郷士階級の者たちが成し遂げたが、そのバックには優れた藩主たちや、上士がいた。藩主たちや上士たちには何世代にもわたり培われたある種の素質があった。今後の日本の為、そのような‘体外遺伝的’な要素を大事にして育成された人材が必要である。庶民は所詮庶民でしかないのだ。

さて、昨日に続き発見したノートに書かれていた詩を今日(13日)もここに書く。日付は2/5/90とあるから90年2月5日に作ったものである。

題『夕刻の風景』

1 

パートタイムの 会社から

仕事を終えて 帰るとき

スーパーマーケットに 立ち寄って

夕餉の品を 買い求め

疲れた足を 引きづって

狭い道路に 車避け

ものの思いに ふけりつつ

とぼとぼ遠い 家路ゆく



ひたいに苦労の しわの数

子供は 中2校1か

夫は 通勤会社員

早朝深夜の 働き蜂

妻も苦労に 耐えている

夢は子供の 先のこと

夢で今の 苦労耐え

両手に重い 荷物下げ

とぼとぼ遠い 家路ゆく



夫は知るまい その苦労

子らも知るまい その苦労

時には夫に いじめられ

子らにも良くは 思われず

泣いてわが身を 慰める



夫よ時には あの妻を

子らよ時には あの母を

やさしくいたわり なぐさめよ

いたわりこそは 何よりも

大きな力と なることを

夫よ子らよ 知るべきだ

互いに労り いたわって

いたわり合いさえ するならば

家庭は平和 笑顔満ち

未来に 幸せ一杯が

あふれてくるに 違いない





寒風が吹く 夕刻に

首を伸ばして バスを待つ

妻の姿が そこにある

母の姿が そこにある

バスが早く 来ないかな

帰れば夕餉の 支度する

主婦の仕事が 待っている

妻は休む 暇もなし

母は休む 暇もなし

夫よ時には 思えよや

働かねばならぬ 妻のこと

子らよ時には 思えよや

働かねばならぬ 母のこと

いたわり労り いたわって

その苦労を 慰めよ



ブッダ「感興のことば」第33章は「バラモン」である。バラモンは古代インドで最上級の階層の人たちであった。

19 怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、博学であって、身をととのえ、最後の身体に達した人、かれをわれは(バラモン)とよぶ。

2010年7月13日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(115) (20100713)

 書棚に1冊のノートがあった。その中に次の詩が書かれていた。作詞の日付は12/9/89とある。男が現役のころ書いた詩である。決して出来の良いものではなく、公開も大変恥ずかしいものである。しかし、一人の、ごく普通の人間が 57歳のとき作ったものである。

 反古にすればきっと後悔すると思うので、ここに遺しておく。子にとって母は偉大である。わが子に対して真実・無私の愛情を注ぎ込むその本性に、すべての男は頭が下がる。

 昨今、そのような本性を失った母が散見される。そのような母に生まれた子は可哀そうである。橋の欄干から川に投げ込まれた女の子、10日間以上もトイレに缶詰めにされろくに食べ物も与えられずにいた男の子、義父や実の母に父が違う妹と差別され虐待され、学校に相談したがろくに話も聞いてもらえず絶望的になって罪を犯した少女、などなど可哀そうな子供たちが毎日のように報道されている。今の世の中は何処かおかしい。

 この詩は男のそういう思いを少しでも多くの人々に伝えたくて公開する。



   題『母(妻)への讃歌』



まだ 胎児であった お前の肉体が

母の 子宮に あった時

母は お前の鼓動を感じて

限りない 幸福感に 満たされていた



お前の「精神」の 宿主である お前の「肉体」は

母の「肉体」を 痛めつけて この世に 生れ出た

その時 母の「精神」は 

歯を食いしばって その苦痛に耐え

お前を この世に産み出した



母の「精神」は

お前の この世における 第一声を聞いて和み

そして 暫くの間 休息をとった

それから お前を 育て上げるための 苦闘が始まった



まだ言葉を話せない お前との間の 意思疎通 それは

お前の表情 お前の泣き声 お前の仕草

その 一つ一つから 

母は お前の 希望を 読み取った



その 愛に満ちた この母の 顔を 見よ

それは 母にしか 出来ない ことだ



母は お前を 育て上げるため

全てを 打ち込んだ

あらゆる 仕打ち

あらゆる 苦難に 耐えながら



そして ようやく お前は 成人した

母の 人生の 一区切りがついた

母は 独りで 納得した

「全てが 終わった

これで 私の役目は 終わった

これでよいのだ」――と

誰からも 慰められることもなく

誰からも 称賛されることもなく



全ての 子等よ

全ての 夫等よ



独りぼっちの母を

子育ての終わった妻を

いたわれ



その気持ちが 

母への 妻への 最大の 贈り物だ



母は 妻は やがて年老いて

この世を 去ってゆく



ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」最終番

82  戒めをたもっている人は修行僧であり、空を体現している人は瞑想者であり、専念している人はヨーガ行者であり、ときほごされてやすらぎに帰しているところに安楽がある。


83 修行僧はこのように楽しむことと楽しまないこととに堪え、情欲の煩悩の潜勢力を取り出して除きつつ・・・・・。

2010年7月12日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(114) (20100712)

 今日は参議院の選挙日である。男と女房は天気予報で午後は雨と言うので、午前中に投票をすませた。投票を終えて帰りの途中、近所のSさんご夫妻に会う。投票する候補者について一言二言言葉を交わす。比例区でSさんと同郷の若い候補者に入れてくれるよう話す。奥さんが「オホホ」と笑う。

 帰る途中、園芸店に立ち寄り、ブーゲンビリヤ一株を買って帰る。女房が値札2800円のものが800円の特別価格で売っているのを見つけ、買おうか買うまいか思案中であったので、男は「買おう」と言ってその鉢を持ち、会計カウンターに行った。

 昨年秋、女房と一緒に宮崎旅行をしたとき、あちこちでブーゲンビリヤの花が美しく咲いていた。そのことが強い印象として残っている。家に帰っておやつにブドウを食べているとき女房が「宮崎であの花が綺麗だったねえ」と思い出している。この樹木の育て方がわからないからどうしようかと女房は迷っていたが、「勉強すれば大丈夫だよ」と男は女房の背中を押してこの樹木を買った。男もその育て方について勉強するつもりである。

 今日から大相撲名古屋場所が始まる。しかしNHKによる実況中継もない。賜杯もない。会場は暴力団完全排除のためぴりぴりした状況である。相撲協会のガバナンスに関する独立委員会が立ち上がった。果して相撲協会は立ち直れるのだろうか。昨日は神事が行われた。相撲は2000年の歴史がある日本固有の伝統文化である。その重みを今一度思い直し、昨今の日本人の軽薄な風潮に歯止めをかけなければならないと思う。

 日曜日はNHKで園芸の時間がある。女房は毎週欠かさずそれを見ているが男もある程度見ている。今日は初めに長ネギや下仁田ネギの育て方やジャガイモの収穫について放送された。これを見ていて男はそのうち田舎に帰ってそこで暮らし、多少の農耕をし、日々晴耕雨読と読経の日々を送りたいと思った。これは男のロマンであり、美学である。

 田舎でもADSLで100Bpsの通信ができるようにしてある。そのためわざわざNTT西日本と契約している。普段は電話だけしか使っていないが、男は田舎に帰るとき小さなコンピュータを持って帰り、その回線につないでこちらに居るのと変わらないインターネット生活をしている。独り暮らしの婆さんはそれを見て「勉強している」と思っている。田舎で本格的に暮らすようになる場合は、ある程度の書物も持って帰らなければならない。

 田舎とこちらと年に何回か行き来する生活が理想である。今でも行き来してはいるが、田舎に居を移すとなると男にとって田舎が主生活の場となるので今とは逆の行き来となる。あと数年間は今のパターン。その後数年間は今とは逆のパターン。最後に田舎で介護付きの老人ホームに夫婦で入る。こんな余生を描いている。絵に書いた餅のような贅沢な余生である。しかし、実際はそのとおりにはならないのが世の常である。

 ウオーキングに出かけようと思ったが、予報通りポツリポツリ雨が降ってきた。

43 心が煩悩に汚れていないで、実体について固執を絶ち切った修行僧にとっては、生れをくり返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。

2010年7月11日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(113) (20100711)


午前中また川の周りを散策した。高啓の「胡隠君を尋ぬ」さながらに、川沿いの路を歩き、橋を渡り、また橋を渡り、路沿いに咲く花を見、また別の花を見、楽しみながら歩いた。途中、川原の広場で高校の野球部の生徒たちが教員の合図で一斉に、声を出して足腰や体の動きを練る運動をしている様子を見た。土手の下に小さなテント一つ張ってあり、大人が2、3人いる。女性が一人いる。彼女は飲料などのサービスをするのであろう。生徒たちは運動して一休みするとき、そこで飲料など貰うのであろう。若い時にそのように集団で訓練を受けることは非常によいことであると思う。

川沿いの風景はとても良い。川幅50メートル位の流れもゆっくりした川であるが、雨天のときは増水する。昔はこの川は氾濫していたらしく、増水時に犠牲者も出ていたらしい。川沿いに無縁仏の祠があり、誰かがときどき花などを上げている。現在は防災工事もしっかりしていて、急な増水があったときのため、地下に直径9メートルほどのバイパス水路も完成している。また災害時人員物資を運ぶことができるように、川岸の一部に舟が接岸できるようなポートも出来ている。

この川沿いに建つマンション群の一つに24年前完成した世帯数28戸、7階建ての小さなマンションがある。男は24年前、転職を機にこのマンションの東角7階の1室を購入して移り住んだ。北、東、南の3面が窓であり、前に遮るものが何もないので風通しがとてもよい。初め4人家族で住んでいたが息子たちはそれぞれ早々と独立したので、今は女房と二人だけで住んでいる。時々遠隔地に住む息子やその家族が来て泊ってゆく。

初めこのマンションが出来たとき、辺り一帯は綺麗ではなかった。その後次々マンションが建ち、家々も逐次建て直され、あるいは新たに建てられて、川辺の風景はとても綺麗になった。24年前川沿いの土手に植えられていた櫻並木も大きくなり、キンモクセイの一種であろうが花の香りがしない樹木の並木も大きくなり、春ともなれば一帯は家族や職場の仲間で野外パーティを楽しむ人たちを見かけるようになった。

男の部屋と隣りの女房の部屋は角部屋で、窓を開けると眼下にその川が見える。2面に窓があり風通しがよく明るい部屋である。このような住環境は田舎では得られない。男は時々田舎で暮らしたいと思うことがあるが、いざ田舎に住むとなると失うものが多いと思う。第一女房の幸せを奪うことになる。田舎は田舎でまた良いところが多いのであるが・・。

男は、自分がいよいよ「あの世」に近づく頃には、良寛さんのように自分だけの庵に閉じこもり、良寛さんの庵には無かったと思うが自分の庵には大きな仏壇を置き、毎日経を上げて修行僧の真似をしながら過ごしたいと思う。その時までは、世俗の垢にまみれながら、しかし自制しながらできるだけ仏に近い生き方をしようと思う。しかし、男は自分の最期の時まで遂に完全なニルヴァーナを得るには至らないと思う。輪廻は繰り返すだろう。

41 心が永久に静まり、実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、生れを繰り返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。

2010年7月10日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(112) (20100710)

昨日(7日)午後遅く近くの川の周囲を散歩した。快晴で日差しは強いが割に爽やかである。川辺の茅が風に揺れている。名前は知らないが色とりどりの色々な花が風に揺れている。太陽が傾き影が長く伸びている。下の草地の広場で犬を連れた女性らが語り合っている。川面にボラが飛び跳ねている。男のように散歩を楽しんでいる者あり、軽いジョギングをしている者あり、皆それぞれリラックスしている。夕刻に近い午後の川辺の風景である。

男はこの風景を楽しみながら「人相」と「性格」や「知能」について、遺伝的なものや後天的なものとの関係について考え、それが子孫にどう伝わるのかなどあれこれ考えていた。そのうちに次の漢詩を小声で吟じていた。

そのようにして川辺を小1時間ほど歩いた。本当は自分も何か一つ詩を作る才能があれば良いのであるが、次の詩のような本当に素晴らしい詩は到底作ることはできない。その詩は高啓という人が作ったものである。『胡隠君を尋ぬ』と題する詩である。

   水を渡り 復(また)水を渡り

   花を看(み)還(また)花を看(み)る

   春風江上の路(みち)

   覚えず君が家に到(いた)る

というものである。

作者・高啓は明の時代(1369-1633年)(日本では室町時代から江戸初期)の詩人である。41歳のとき謀反の疑いの連座、一説には明の太祖の好色を風刺して太祖の怒りにふれた罪で腰折の刑に処せられている。残酷な処刑であった。

この詩は、春の暖かなある日、川の風景を眺めながら胡某という隠者を尋ねたときの作ったと言われる。まさしく男が今川の周りの路を歩きながら感じた風景のようである。

男は別に誰かを尋ねて歩いたわけではないが、自らなるべく隠遁の暮らしをし、何事にも関わらず自分の意の趣くままに日々を送ろうと思っているので、作者の気持ちと相通じるものを感じる。おのずから自分の顔をも穏やかな表情になっている。

人相と遺伝との関係はどうなのか、生後の人生の歩みの中で人相も変わるが、それが自分の遺伝子の中にどのように影響を与えるのか、人は何故生まれつき好運な人生を歩むことが約束されているような人がいる一方で、不幸な人生を歩むことを強いられているような人がいるのであろうか?人相には性格や知能や気質が表れていることは間違いない。性格や知能や気質などはすべて遺伝子に組み込まれている。同じDNAでも人によって発現の仕方が異なっている。人相はその人の「過去世」、つまり親やその親、そのまた親に遡る遺伝子の影響があることは間違いない。それがまた、その人の子孫に伝わるのである。つまり、「来世」に伝わるのである。4次元にいる人は自分の「前世」も「来世」も見えない。

34 この世は(変化して)異なったのとなる。この世の人々は迷いの生存に執着し、迷いの生存を楽しみ、つねに迷いの生存を喜び、迷いの生存からすっかり解脱することがない。

2010年7月9日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(111) (20100709)


男は自ら勝手に、自分自身が‘仏弟子’であると思い、およそ2500年前ブッダが語られたことを現代人の頭で理解できる方法を見つけようとしている。

ブッダは、端的に言えば「‘この世’の行いの結果が‘あの世’で現れる。だから‘この世’では修行して‘ニルヴァーナ’に近づくようにしなければならない。」と説いておられる。

悪い行いをする人たちは「あの世」など信じていない。今生きているこの世界でできるだけいい思いをしたいと願い、他者を傷つけ、他者を殺してまでして「この世」での利益を追い求めている。古来修行し、高度な学問を身に付けた先哲が話し、書きのこしたことを学ぼうとはせず、ものごとを自分勝手に解釈し、自分の言動を様々な理由をつけて正当化し、こころの安寧を得ようとしてかえって蟻地獄の深みにはまり、もがき苦しんでいる。

男は自らを‘仏弟子’と勝手に思いながらも、修行僧のように仏壇・仏像の前でお経をあげるでもなく、座禅するでもなく、世俗の垢にまみれ切った日々を送っている。しかし、そのうちごく短い期間でも何処かのお寺にお世話になって雲水の経験をしてみたいと思う。しかし最期まで男は世俗の垢にまみれたまま生を終えるだろう。というよりはそう望んでいる。男は世俗と縁を切ることはどうしてもできない。

さて、ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士は、核分裂実験の過程で偶然、一部の素粒子が突然消失するのを発見した。博士は、素粒子が突然消失したのは、素粒子が5次元空間に飛んで行ったためであるという仮説を立てた。

博士によると我々の4次元の世界は5次元の世界からみると薄い膜のようなものであるという。そして4次元と5次元の間には重力が行き来しており、4次元の世界は何もわれわれだけの世界ではなく、他にも薄い膜のような4次元世界が存在しているはずであるという。もしかして「この世」の薄い膜も時系列の「あの世」の薄い膜も、畳み込まれていてホログラムのようになっているのかもしれない。

博士は仮説を理論物理学的に実証しようとして、スイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の素粒子衝突型加速器(LHC)おける実験に期待している。しかし、このLHCはトラブル続きで昨年11月20日に稼働を再開したが、実験が危険であるという理由で訴訟が起こされており、また理論が正しいとしてもこのLHCのエネルギー程度では極小ブラックホールは生じず、余剰次元、5次元は検出されないだろうと言われている。

男は、人類はいずれそう遠くない将来必ず5次元の存在を実証するだろうと確信している。この実験に参加している東大など日本の各大学の若き研究者たちに大いに期待したい。日本の各大学はCERNのLHCでATLAS (A Toroidal LHC ApparatuS)という実験に参加している。その様子は「LHCアトラス実験おフィッシャルブログで公開されている。男はそのブログのページを随時開くことができるようにコンピュータを設定している。

30 この世で自分にとって苦しみの滅びてなくなることを明らかに知り、善い知慧のある人を、(つねに戒めをたもち汚れの無い人)と呼ぶ。

2010年7月8日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(110) (20100708)

 暑中見舞いの文案を考えた。その文案を女房に読んで聞かせたら、‘仏弟子’とかそのほかくどくど書いていることについて批判された。「思うところあって」の‘思うところ’の中身も不要であるし、何故年賀状を出さないかという理由も不要であると言う。

 言われてみれば確かにそのとおりで、‘年賀状を出さない’ことを簡単に伝えればよいのである。そこで暑中見舞いの文案は次のとおりとなった。

 暑中お見舞い申し上げます。お元気ですか?この炎熱の時期が過ぎればまた爽やかな秋となります。どうぞお健やかにこの夏をお過ごしになられますように。

 さて、小生思うところあり、今後なるべく隠居・遁世の日々を送ろうと考えました。従い今後は年賀状も失礼させて頂こうと思います。

 この勝手気まま・義理を欠く行いをどうぞお許し下されたく云々。

 初め、「小生の消息について下記ブログ云々」という下りがあった。女房の指摘で削除した。その代わり自宅住所、電話番号、Eメールアドレスに続きブログのURLを連記することにした。この部分は相手がインターネットをできるかでき来ないかは考えないことにする。

 このようにして年賀状を出さない宛先をリストアップした。使っているソフトは「筆まめ」である。出さない相手先にはこれまでの人生の上で大変お世話になった方や、自分の人生の上で大変影響の会った方、その他自分の最期の時まで深い印象がある友人を含めな。

 またそのような暑中見舞いを受け取ったとき違和感を持つと思われるような人たちも含めない。そのようにして絞った宛先は250件ほどになった。

 実際にそのような暑中見舞いを出すとき、友人などには一言メッセージをペン書して気持ちを伝えることにする。ここ数週間のうちに出すが、結構忙しい。急がねばならぬ。しかし、この仕事が終われば今年の暮近く、何かと忙しい時期を気楽に過ごせると思う。

 ワールドカップは日本が1対0で惜しくも敗れたオランダが決勝に進出した。次はドイツとスペインが対戦し、その勝者と優勝を争う。何れそう遠くない将来、日本も決勝を争う力をつけることだろう。若者よ大志を抱いて未来を開拓して欲しい!

 大相撲に捜査の手が入った。NHKは大相撲の中継を取りやめた。外部の人だけで構成する特別委員会を立ち上げて‘ガバナンス’を決めるという。これはちょっとおかしい。委員会のメンバーには貴乃花親方などを加えるべきであると男は思う。

 神奈川選挙区には民主党もみんなの党もたちあがれ日本もそれぞれ優秀な候補者を立てている。激戦である。全国的には自民党も追い上げている。11日の結果はどうなるか?日本の未来はリーダー次第である。曾祖父が鹿児島県人の小泉進二郎氏、今度全国区で当選が期待される鹿児島生れ鹿児島育ち、防衛大学校・航空自衛隊出身、松下政経塾卒業の宇都隆史氏(35歳)など、九州人、祖先が九州出身の政治家に、男は日本の未来を期待する。

28 身体にも、ことばにも、心にも、悪が無くて、善いことをなす性(たち)で、恥を知る最上の人を(修行僧)と呼ぶ。

2010年7月7日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(109) (20100707)


昨日(5日)嫁の一人から自分が作った湯呑のペアとわざわざ取り寄せて沖縄のシークワーサーを贈ってくれた。湯呑は先日の父の日に間に合わせようと造っていたが、間に合わずそのときはTシャツを贈ってくれた。今回ようやく自分が造っていたものが完成し、血圧が高い女房のためにとシークワーサーと一緒に贈ってきたものである。嬉しいことこの上ない。シークワーサーは沖縄で取れる柑橘類の果実の汁である。説明書を読まずにコップに少し注ぎそのまま飲んでしまったが説明書には1日にキャップ1杯5mgと書いてあった。女房も男も3日分以上を一度に飲んでしまった。多く飲んでも害はないと書いてある。

湯呑は本当に良くできている。土は地元で取れた土だと言う。釉は教室の先生からアドバイスを受けてロクロを回しながら白と灰色の模様がついていて茶わんの淵に褐色のちょっとした垂れ下がりがあり、なかなか良くできている。女房のための茶わんは高さが少し低く、口広の形をしており、女房も大変気に入って喜んでいる。

男はそう遠くない将来、嫁と一緒の工房で陶器を創るようになればさぞ素晴らしいことだろうと思い、その思いを嫁に伝えた。嫁もそう思っているようである。そのようにしてお互い切磋琢磨して陶器を造り、一緒にブログに載せ、まあ、これは夢であるが一緒に作品展を開くとどんなに素晴らしいかと思う。嫁に「死ぬまでに是非実現したい」と言ったら嫁は喜んでくれた。もともと陶芸のブログを開設したらどうかと提案してくれたのは嫁である。今回贈ってきた湯呑茶碗2個は早速ブログに載せようと思う。

今日、男が造った楕円形舟形の多目的皿が焼き上がっていた。出来の悪さにがっかりした。3枚のうち1枚にはひびが入っている。しかも素焼きの段階では左程歪んではいなかったのに、釉をかけて本焼きにしたら歪んでいる。気に入らない。

それでも今日また同じ形のものを3枚造った。今度は厚さを6㎜にした。形の歪みやナイフでカットした淵のでこぼこなど形の悪さを気にしないで自然のままの出来上がりで良しとすることにした。周囲のアドバイスも聞かないことにした。

一般に芸術品と言う物は非常に細やかな丁寧な作業の結果完成するものであるし、人はそのような非常に繊細な丁寧な仕上がりのものを美しいと感じる。男も例外ではない。しかしいざ自分が物を創ろうとすると性格の故か粗雑な粗っぽいやり方を好んでいる。

今度造った3枚の皿は男のそのような気質を逆に利用して、釉をかけるとき2種類以上の釉薬を使い粗っぽい模様を造り出そうと思う。粗っぽい中にある種の美を、焼き上がりの偶然の産物として期待しようと思う。初めから仕上がりを念頭に置いて根気よく集中して細やかな作業をすることは気短な男の性には合わない。物事は結果次第である。

男はもともと粗野である。今更上品なことはできない。自然のままにした方が精神状態もすこぶる良い。身の丈に合わぬ余計なことを考えたりしたりすることは馬鹿げている。

25 明らかな知慧の無い人には、禅定がない。禅定を修行しない人には、明らかな知慧が無い。禅定と知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。

2010年7月6日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(108) (20100706)


 昨日列車の優先席の脇の壁に次の文章が書かれている広告があった。

   親が子を思う情はいつの世にも「永遠の片思い」であるという。

   片思いに応えられる年齢になったとき、親はいない。

   墓前にたたずめば、人は誰も

   「馬鹿野郎」と殴ってもらいたいと思う息子や娘である。

終わりの部分はちょっと記憶が確かではないが、まあ大体そのようなことが書かれていた。

 男は自分のことを振り返って、それほど「馬鹿野郎」でもなかったと思うが、10歳のとき死別した母には身を以って人の生き方を教えてもらったと思う。そのことは、このブログの「母」というラベルのところに書いてある。

 「子供の頃のことであったから」と大目にみれば「まあ、そうだろう」と非難されないであろうが、母には甘え心はあっても母に優しくする気遣いはなかった。

 昭和20年8月、朝鮮から連絡船で引き揚げて、国鉄に乗って多分小倉で乗り換えるときではなかったかと思うが、ホームに降り立つとき妹をおんぶしていた母はホームに降り立ったとたん仰向けに転んでしまった。10歳だった男は母が転んで仰向けになってしまったことをなじった。子供ながら引揚者一家の長であるつもりだったのだろう。

 車中親切な叔父さんがいてスーツケースを運んでくれたが、その人はホームには降りて来ず、そのままそのスーツケースを持ち逃げしてしまった。そのスーツケースの中には宝石など貴重品が入っていたという。母とすれば当面の生活のため必要な品々であったと思う。

 父は小学校の校長であったので事務引き継ぎなどして9月末に帆船で引き揚げてきた。家族一緒に父の実家に身を寄せたのはその後のことであったと思う。男には別府で母の親戚筋の家に暫くいたことを記憶している。

 父の実家で暮らしているとき、どういう理由だったかは記憶していないが、母に激しく食ってかかり母の胸を両手で強く押しやったことがあった。そのとき既に母の胸には乳がんのしこりができていた頃であったと思うが、子供の頃の男はそれがどういう意味か全く理解していなかった。

 入院中の母が男や男の弟に宛てたハガキをいつの間にか亡くしてしまった。今考えれば、母は息子である男に「片思い」の情を抱き続け、死ぬ間際まで男に教え続けたのである。母の祖父は侍であった。母は熊本藩士・御船奉行の祖父を誇りとし最期まで立派に生きた。

 人は必ず白骨となる。男はいずれそう遠くない自分の最期まで立派に生きるため、勝手に「在家仏弟子」となり、出来る限り隠居・遁世の暮らしをしようと考えている。

 そのことを皆に知らせるための文案を練っている。その手紙を受け取った人にあまり驚かれずにすむような文章にしなければならないと苦心しているところである。

24 修行僧は、身も静か、語(ことば)も静かで、心をよく安定統一し、世俗の享楽物を吐き捨てたならば、(やすらぎに帰した人)と呼ばれる。

2010年7月5日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(107) (20100705)


 京成曳舟駅から徒歩1分のところにある曳舟文化センターで財団法人日本吟剣詩舞振興会に所属している全国各地の詩吟の団体の全国吟詠コンクール東日本地区大会というものが行われた。

 この大会は年齢別に幼年、少年、青年、一般一部、一般二部、一般三部に分かれており、今日(4日)JR赤羽駅近くの赤羽会館と曳舟文化センターの2か所で、東日本各都道府県の大会で選抜された318名が吟詠の力を競い合った。男もかつて地区大会を経て県大会まで進んだことはあったが、その上には進むことができずじまいだった。

 男は、曳舟文化センターで午前中に行われた35歳以上55歳未満の区分である一般二部の競技を、詩吟を教えている女性2名とともに観に行った。というのは、男が主宰している詩吟の会にときどき来てくれて詩吟の指導をしてくれているある女性がこの大会に出場するからである。彼女の吟詠はなかなか素晴らしかった。男は午後の部は聴かず家に帰ったのでコンクールの結果は聞いていないが、多分入賞はしている筈だと思っている。

 会場で以前男が所属していた詩吟の会のメンバーに会った。メンバーの一人から男の吟詠のブログを見ていると言われ、男は嬉しく思った。それならば一層頑張ってできるだけ良い吟詠をアップロードしなければ、と思った。

 会場には詩吟用の各種品物を展示販売していた。そこで吟詠の伴奏用のカラオケのCDを買うことにした。男が持っているCDよりも新しい伴奏が入っているものをかねがね欲しいと思っていたからである。このCDがなくても男が持っている演奏装置に新たなICカードを入れれば音程も自由にかえることができ好都合であるが、その装置を製造元に送ったりしなければならず面倒なので、今後主に使う音程のものを一つ買った。

 男は「幾らですか」とも聞かずに注文したら、「4000円です」と言う。そこで4000円払って品物を受け取り会場を後にした。帰りの列車のなかでその品物を見て男は「しまった!」と思った。その品物の裏面には定価3000円と印刷されている。買うとき4000円は高いなと思ったが、「まそんなものだろう」と思い深く考えなかったのである。

 売り子は悪気で3000円のものを4000円にしたのではあるまい。多分、皆ボアランティアでやっている。詩吟の会ではコンクールなどの大会の時、詩吟歴の長い指導者クラスの人で例えば舞台、音響、会場、接待などの役割分担をし、コンクールでは審査、集計、賞状などの役割分担をする。CDや教本などを売っている人たちも皆何処かの詩吟の会の会員が役割を受け持ってやっている。男もかつてそのような役割分担をして大会の運営に当たっていたことがある。男は「1000円の余分は彼らの何かの費用になるものだ」と思った。しかし、詩吟に全く無関係な人たちに誤解を与えないように、吟詠の伴奏のカラオケなど詩吟をやる人が対象の品物については「1000円は寄付」と明示した方がよいと思う。

23 心が勇み、こころ楽しく、愛憎に打ち克って、喜びにみちた修行僧は、苦しみを滅ぼすに至るであろう。

2010年7月4日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(106) (20100704)


 NHKの連続テレビドラマ『龍馬伝』をたまに観る。ドラマの中で龍馬はもとより武市半平太、勝海舟、西郷隆盛など近代歴史上の人物が登場する。男は詩吟をやっていて、これらの人物が詩吟で詠う漢詩の題材になっているのを嬉しく思う。

 何が嬉しいかと言うと、もし自分が詩吟に全く縁のなかったならこれらの人物への親近感が薄いと思うが、詩吟をやってきたお陰でこれらの人物への親近感が一層濃いからである。

 武市半平太は土佐藩で郷士から上士身分に取り立てられたが藩主への忠義のあまり、藩論を尊王攘夷にさせ、反対派の吉田東洋の暗殺に関わり、結局藩主山内容堂により切腹させられた。享年37歳。後に明治政府により明治10年(1877年)名誉が回復され、後に坂本龍馬らとともに正四位が贈られている。

 武市半平太が牢獄で作った詞に次のものがある。

  獄中の作    武市半平太

花は清香に依って愛せられ 人は仁義を以って栄ゆ

幽囚何ぞ恥ずべけんや   只赤心の明らかなる有り

 今日(3日)、男は都内のある公共の施設で詩吟を教える日である。男は10年前からある詩吟のサークルを主宰していて月2回詩吟を教えている。7月に教える吟題は、今からおよそ1300年前19歳の時、留学生として第9次遣唐使船に乗って中国に渡り、中国で科挙という国家公務員採用試験に合格し、当時の中国・唐の玄宗皇帝に仕えていた阿倍仲麻呂が、30年経った頃故郷の父母を思って作った詩『無題』である。その詩は;

  無題     阿倍仲麻呂

義を慕う名空しく在り 忠を輸(いた)すも孝全からず

恩に報ゆる幾日も無し 国に帰るは定めて何れの年ぞ

 仲麻呂は日本への帰国を許され、藤原清河率いる遣唐使船の帰国の船に乗り帰国の途に着いたが、途中沖縄あたりで嵐に遭い難破し、漂流して今のベトナム中部に漂着した。その時生き残っていたのは清河や仲麻呂ら10数人であった。

 帰国の船団は4隻、人員は総員550名あまりであったが、日本に無事帰り着いたのは1隻のみであった。たまたまその1隻に奈良の唐招提寺を創った鑑真和上が乗っていた。

 清河や仲麻呂らは唐の都・長安(今の西安)に戻り、彼の地で没した。仲麻呂は72歳まで生きた。清河と唐の女性との間に出来た娘は日本に帰国したが父・清河に再会することはできなかった。清河や仲麻呂が日本に帰国できず唐に滞在している間に政変があり、玄宗皇帝が寵愛した絶世の美女・楊貴妃はやむなく死を賜わっている。実際は絞首刑で死んだ。

 ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」に書かれていることを読むと、男は到底修行僧のようにはなることができない。しかし、在家のまま修行僧の近づくことはできると思う。

23 慈しみに住し、仏の教えを喜ぶ修行僧は、堕落するおそれなく、ニルヴァーナの近くにいる。

2010年7月3日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(105) (20100703)


分子生物学関連の最新知識を得るため、インターネットでいろいろ調べる。入手する資料の中で色刷りものはキャノンのプリンターで印刷しようしたが、プリンターの調子が悪い。うまく印刷できるときもあるが、しばしば「電源を入れ直せ」と指示が出てエラーになる。それでも騙し騙しなんとか動かして必要な資料は得た。モノクロで良いものはブラザーのレーザープリンターで資料を得た。

入手した資料の内容は、ミトコンドリアDNA、遺伝子刷り込み、DNAのメチル化、ES細胞、ips細胞、恐怖記憶を思い出すときの脳内アクチビン活性などのである。結構分厚い資料となった。これらを丹念に読み、男の哲学のテーマ「現代の自然観と仏教」に関する思索を深めて行こうと思う。

それにしてもカラープリンターの作動が良くないのはこの蒸し暑さのせいだろうか。以前からときどき調子が悪いことがあったが、それが頻繁になった。これはやはりメーカーの修理部門に問い合わせ、要すれば修理に出さざるを得なくなるかもしれない。

コンピュータやその周辺機器は知的作業の道具である。その道具の調子が悪いため無駄な時間を浪費するのは馬鹿げている。そう思いながらもドライバーソフトウエアをアンインストールして新たにダウンロードして使ってみたり、ケーブルを取り換えてみたりしていろいろやってみた。それはそれで勉強にはなる。

毎日適度な運動はしなくてはならぬ。そう思い一端きりをつけウォーキングに出る。川の周りを5000歩ほど歩く。土手に生え茂っている背丈の長い雑草が風に揺れている様を見、道のわきのフェンス越しに顔をのぞかせる赤い花を見、川面の水の揺らぎを見ると、曇天で北寄りの風が吹いているためか秋を感じる。子供の頃の風景を思い出す。

宇宙の時間の流れと共に万物は生成消滅を繰り返しながら生命を繋いできていて、吾もまたその過程の途上にある。別に感傷的になっているのではなく、自然の有り様を素直に受け止め、若竹の時は遠く去り、炎熱の盛りもとっくに過ぎ、今「あの世」に向かって歩んでいる。その「あの世」が分子生物学で解明できないかと男は思って、まあ、科学者たちは「馬鹿なこと」と笑うであろうことを、大真面目で考えている。

女房はCDでヴォーカリスト徳永英明の歌を聴きながら夕餉の支度をしている。「ご飯ですよ!」との声、男はキーボードを叩くのを一端切りをつけて、食卓に向かう。

ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」

3 一切の業をすて去り、以前に造った塵を振い落し、「わがもの」という観念がなく、つねに自己が安住している修行僧には、人にむかってしゃべる必要がない。


20 仏の教えを喜び、慈しみに従する修行僧は、見るも快い、静けさの境地に到達するであろう。

男は、当面の最善の生き方として、自ら在家の仏弟子になったつもりになり、できるだけ隠居・遁世しようと思う。多少我儘・身勝手、義理を欠くことを敢えてしてまでも・・・。

2010年7月2日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(104) (20100702)

 ブログはそもそも公開する日記である。これまでこのブログに‘男’とか、‘私’とかを主人公にしてきた。読者は主として遠隔地に住む家族である。息子たちや嫁たちから見て「お父さん」や「お母さん」がどのように日々を送っているか分かると思って書いている。

 ある日、一人の息子から「長すぎるよ」と苦情があった。またある日一人の嫁から「毎日読んでいます」と男を喜ばせてくれた。

 吟詠のブログに毎月自分の吟詠を発表していて、毎日結構多くの人たち(ただし固有名詞やメールアドレス等は分からない、人数や回数だけ解析できる)がそのブログを訪問してくれている。数ヶ月前夜中に急に咳き込むことがあって以来であるが、その症状は解消したにも拘わらず、自分の吟声に響きがないことを感じている。今日も自分の吟声を録音して聞いてみたが、どうもよくない。

 最近自分の体力が落ちてきていると感じる。これは加齢に伴う現象であるのかもしれない。ブログで公開する自分の吟を自己評価することは、自分自身の体の状態を自分で把握する手段にもなっている。浴室に体重や体脂肪率を測る器具を置いてあり、毎日測っているが、そのデータは以前に比べ改善されている。男の体重は69kg前後、体脂肪率は20%前後である。以前体脂肪率は22%を超えることが多かった。

 女房は数日前から近所にあるCurvesというフィットネスクラブに通っている。近所のよくつき合っている主婦から誘われてそこに通うようになった。そこではいろいろな器械があって、トレーニングは1台の器械で30秒程度運動をして次の器械に移り、次々器械を変えて30分間ほど運動をする方式らしい。そして体重や体脂肪率や腹囲など10項目ぐらいを毎月定期的に計測し、トレーニングの成果を自己評価できるようになっているようである。

 ここ数カ月女房は体調を崩して以来医者通いで、かなりの医療費を支払っている。役所から送られてくる通知でどのくらい医療費を使ったか分かる。国家予算が足りない状況の中、そのような医療費を使わなくてもよいようにしなければならないと思う。

 参院選で国民が何をどのような基準で評価し、投票すればよいのか考えている。テレビ朝日は今朝(1日)の放送で政党別の考え方などをレポートしている。今日、自民党、みんなの党、たちあがれ日本、国民新党などについて共通の視点で各党の政策担当者にインタヴューしたことを大変わかりやすくレポートしていた。明日は民主党、社民党などについて同様なレポートが行われるという。これは大変参考になるだろう。

ブッダ「感興のことば」第31章「心」;

6 汝は、幾多の生涯にわたって、生死の流れをくりかえし経めぐってきた、家屋の作者(つくりて)をさがしもとめて。あの生涯、この生涯とくりかえすのは、苦しいことである。


60 心を制することは楽しい。汝らは心を守れ。怠るな。心がよく守られているならば、或る生けるものどもは、やすらぎ(ニルヴァーナ)に達する。

2010年7月1日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(103) (20100701)


日本はパラグアイと対戦、延長120分でも0対0、ついにPK戦に突入、惜しくも敗れた。この日本列島中が興奮と感動の渦に包まれ、「日本!日本!」の大合唱で湧いた。選手たちは日の丸の旗を背負って、本当によく戦ってくれた。心から「有難う」を言いたい。

選挙戦たけなわである。民主党では小沢氏およびその一統が選挙公約の消費税10%目標の議論を始めるということを批判した。静かに黙っているはずがやはりそうしてはおれず、何れ自分がトップに立って思うように国を動かそうと目論んでいる。大衆迎合で票を集め、自分の言いなりになる国会議員を増やそうと目論んでいる。男は、小沢氏を国の為にならぬ人物、大陸との関係において立派な見識を持っているように見えるが、性急すぎて国を誤らせる大変危険な人物であると見ている。

男は、日本と中国とはそう遠くない将来、価値観を全く同じにする関係になって欲しいと願っている。しかし、中国4千年の歴史を誇りとする漢民族は、日本を内心‘小日本’と思っているようである。先を急がない超長期的な視野で周辺国を実質的支配下に置こうとしているように見える。今日(30日)の新聞で中国と台湾とが800項目の関税を撤廃し、自由貿易協定に調印したと報じられている。それは彼らの超長期的な視野にたつ戦略である。香港も台湾も、支配層は同じ漢民族の血が流れている者同士である。そう遠くない将来、中国は香港を完全な支配下に置き、台湾も自国の領土に組み入れることになるだろう。

そうなると今でも中国政府は堂々と「尖閣諸島は中国の領土である」「沖ノ鳥島は単なる岩である」と言っているとおり、何かの国際的な情勢をきっかけにして日本の警備・警戒のすきをついて尖閣諸島を軍事的に確保し、沖ノ鳥島を爆破して彼らが言う「岩礁」さえも無くし、日本が支配している海域を狭める行動に出るかもしれない。

小沢氏は‘チルドレン’議員たし140名を引率し、中国に渡り、胡錦濤国家主席に‘チルドレン’たちを謁見させ、自らは超大型のリムジンに乗って‘国賓’並みの扱いを受けた。そのお返しに次期中国国家主席候補の習近平国家副主席を、慣例に反して天皇陛下に謁見させるよう宮内庁に圧力をかけさせ、宮内庁が断ると「内閣の一長官に過ぎない宮内庁長官が内閣の判断について、公の場で批判するのであれば辞表を書いてから発言すべきだ」と言った。彼は天皇が行う国事行為として内閣の助言により行う「外国の大使及び公使を接受すること」をしないのは宮内庁長官が公務員として間違っていると言ったのである。

彼の言動は一見正しいように見える。しかし物事には記述されていない事項がある。それは文化的なものであり、慣例的なものである。彼は自分の考え通りにすれば日本国はうまく行くと信じ込んでいるようである。彼は古代の蘇我宗家のような開明性はあるように見える。しかしその蘇我宗家のように天皇をないがしろにした。今、消費税のことで参院選の自分が関わっている民主党選挙公約をも無視し、私利私欲的な行動をしている。

52 立派な人々は、いかなることがあっても、快楽のゆえにしゃべることが無い。楽しいことに遭っても、立派な人々は動ずる色がない。